今日の箇所(イザヤ書 60:1-9)には、キリストの福音の光に照らされた神の民は、世の人々を神様のみもとへと引き寄せる使命を帯びていることが示されています。
暗闇の中にいたイスラエルの状況が一気に変わる日がやって来ます。 光である神様の栄光が彼らに臨むのです。 これは、罪に覆われて霊的に真っ暗になっている世に、光であるイエス・キリストが来られることを意味しています。
神の民に臨んだ救いの光を見て、外国の人々も集まって来ます。 ここで、「神の民」の定義が変わります。 それまでは、狭く「イスラエルの民」を意味していた言葉でしたが、「救い主イエスさまの贖いのみわざを信仰によって信じた民」を意味するようになります。
神の民は、救い主イエスさまの光を受けて、生き様の中で反射させるという使命を担っています。 教会が立ち上がり、正しい行いと生き様を通して光を放ち、福音宣教の働きを担う時、死の陰でうずくまっていた全世界の人たちが、主の光の下へと歩み出て来るのです。
イスラエルに臨む栄光は、四方に散らされていた神の民がエルサレムに集まる時に現れます。 国々の財宝がイスラエルに移されて神様に捧げられるとは、第一義的には、バビロンから故郷に帰還して神の宮を再建するイスラエルの民に、異邦人たちが財産を提供し、彼らも神様に仕えるようになるという預言です。 しかし、広義的には、新約時代に異邦人の教会が神の御国の拡大に献身するようになることをも預言しています。
私たちは、たとえ目の前に暗闇が広がっていようとも、たとえ失敗によってつまずき倒れたとしても、そこで諦めてはなりません。 それは、私たちには光が照らされ続けているからです。 私たちには、再び立ち上がって、その光を反射させる使命があるのです。 その光が明るく輝けば輝くほど、多くの人が神様のみもとへとやって来て、神の御国は前進します。 その光を明るく輝かせるのは、私たちの力だけで為されることではありません。 神様が御霊を通して私たちの内でその光を明るく輝かせてくださるのです。 私たちがすべきことは、御霊が輝かせようとしている光を阻害する障害物にならないようにすることです。
暗く希望のなかった私の魂を主の光で照らしてくださった恵みの大きさを憶え、深く感謝したいと思います。 日々、みことばを黙想し、主のみこころに従うことを通して、この素晴らしい主の光を世に反射する鏡となれますように。 私の人生に現れた福音の輝きを見て、苦しみ葛藤している人々が主に立ち返る救いのみわざが起こりますように。 御霊の照らしと導きがありますように。