今日の箇所(イザヤ書 59:9-21)には、死に体の共同体を生き返らせる方法について記されています。
神様に背いて罪を犯し続けたイスラエルの民は、昼夜、敵に攻撃され、死の淵に置かれます。 彼らにはもはや何の望みもなく、ただ恐れ震えるばかりでした。 罪は、霊的沈滞と絶望、そして死をもたらします。 罪に染まって公義を失った共同体は、道を見失ってさまようだけです。
このような死に体の共同体を生き返らせるには、まず「私」の罪だけでなく、「私たち」の罪に目を向ける必要があります。 罪で汚れ、神様の基準から遠く離れてしまっている自分たち自身を直視し、はっきりと罪を悟らなければなりません。 罪を隠したり、正当化したりせず、神様の御前に正直に告白し、自分たちがどれほど大きな罪を犯して来た罪人の集まりであるかを素直に認めるのです。 あらゆる回復はここから始まります。
神様は、イスラエルを愛しておられましたが、どれほどの苦境に陥っても、なお罪から離れようとしない彼らをつぶさにご覧になり、人間の限界を憶えられます。 罪によって正義がなくなり、絶望の中、暗闇を歩んでいる民を見て、心を痛められます。 そして、暗闇の中で抑圧されている民を助ける者、すなわち、とりなす者がいないのをご覧になり、ご自分の御腕で救いをもたらす決心を固められます。
義を鎧のように着て、救いの兜を頭に被り、神の民の敵に報いる方とは、まさに神様が遣わされた御子イエス・キリストを指し示しています。 主は、自分の罪を真摯に告白し、悔い改め、ご自分に立ち返ろうとする者には、救いをもって報いられます。 たとえその悔い改めがまだ完全なものになっていなくても、まず神様にある義を授け、神様との関係をまず回復させた後、聖霊をもって共に歩んでくださることを通して、私たちを聖なる者へと変えるという恵みを授けることにしてくださったのです。
一人ひとりの霊的回復が、共同体の回復に繋がります。 活き活きとした共同体は、その共同体に属する一人ひとりが主の御前にへりくだり、主の義をまとって、御霊と共に義の道を歩むことを通して、造り上げられて行くのです。
共同体の回復は、共同体として共に自分たちの罪を認め、悔い改めた上で、まず自分自身の罪深さをしっかりと悔い改め、自分自身が主の恵みを受けて、神様と共に真摯に義の道を歩むところからしか始まらないということを悟りました。 自分の属する共同体が死の淵から救われるために、まず自分が神様の御前に出て、自らの罪を悔い改め、主の恵みに満たされたいと思います。 その上で、同じ思いを持つ者たちと共に、小さな交わりから、共同体のための祈りと真の礼拝を捧げ始めたいと思います。 御霊の照らしと導きがありますように。