今日の箇所(イザヤ書 5213536)には、神様の為される救いのみわざにおける驚くべき逆説が明らかにされています。

 

神様は、ご自分の民を救いに至らせるために、驚くべき方法を用いられます。 それは、かつて告げられたことなく、また聞いたこともないような方法で、力ではなく、愛による救いです。

 

主のしもべは、弱々しくみすぼらしい姿で、人々から蔑まれ、のけ者にされます。 しかし、彼が受けた傷や痛みが、私たちの癒しとなり、平安となるのです。 彼の身代わりの苦しみと死が、私たちの罪の赦しを成し遂げるのです。

 

もちろん、このしもべとは、天の栄光を捨て、卑しい姿で世に来られ、死んでよみがえられることを通して、救いを成し遂げられたイエス・キリストを指し示しています。 神様は、何の罪もないイエスさまに私たちの罪のすべてを背負わせ、代わりに苦しみを受けさせました。 それによって、私たちは平安と癒しと罪の赦しを得るに至ったのです。

 

ここに驚くべき逆説が示されています。 力ではなく、愛によって救いが成し遂げられたのです。 私たち人間は、救いや勝利は力によって成し遂げられるものと考えています。 それゆえ、力を蓄えるために、身体を鍛えたり、知識を増し加えたり、成功を追求したり、富を獲得しようとするのです。

 

ところが、神様の方法は完全に異なります。 弱々しく、みすぼらしい姿のしもべが、人々から蔑まれ、のけ者にされた者が、救いの使命をまっとうされ、尊ばれ、それを見て全世界が驚くのです。 ここに神様の真の偉大さ、神様が私たち人間を遥かに超越し、神様の愚かさが私たち人間の賢さを遥かに凌ぐことが証明されています。

 

この逆説に示されている真理と愛に気付いた者は、当然、このしもべと神様を慕うようになります。 そこには、完全なる赦しと完全なる受け入れを可能にする本当の愛、無条件で無償の一方的な愛が示されているからです。

 

神様の為される救いのみわざにおける驚くべき逆説、「力ではなく愛による救い」に示された神様の素晴らしさと深い愛にあらためて心を打たれました。 これくらいの逆説がなければ、決して救いへは至ることができない自分の罪深さを今一度憶えたいと思います。 そして、唯一の救いの道である御子イエス・キリストの贖いを、もう一度新たな気持ちで受け取りたいと思います。 この世の基準である「力による救い」の概念の縛りから解放され、主にある「愛による救い」の概念の中に身を浸すことができるようになるために…。 そして、自分もまた、力ではなく愛によるかたちで、この素晴らしい福音を伝えられるようになるために…。 御霊の照らしと導きがありますように。