今日の箇所(イザヤ書 51111)には、苦難の中でも決して諦めず、希望を持ち続け、信仰を守って義の道を歩み続ける秘訣について記されています。

 

イスラエルの民は、バビロンの捕囚として多くの辛酸を舐めました。 そんな苦難の中にあっても、ご自分を尋ね求める者に対して、神様は自分たちのルーツを思い起こすよう促されます。 彼らのルーツは、弱々しく衰えた老夫婦アブラハムとサラでした。 神様は彼らに約束を与え、その子孫を大いなる民族にすると約束されました。 そして、まさにその約束通りになり、イスラエルは神の民として立派な民族となったのです。

 

とても一つの大きな民族が起こる起点になるようには見えなかった老夫婦から、イスラエル国家を起こされたように、神様は、今、悲惨な状況に置かれて瀕死状態であるイスラエルを回復させるという約束も必ずや成就するとおっしゃっているわけです。 神様は必ずやシオンを慰め、荒地のようになってしまっていたエルサレムを再び主の園のようにし、喜びと感謝が溢れるよう回復させられるのです。

 

これは、キリストによる贖いのみわざの完成を預言するものでもあります。 神様が公義をもって世を裁き、ご自分の民を完全に救われる時が必ずや到来します。 この世は消え去っても、神様の救いは永遠です。 ここにこそ、私たちの望みがあるのです。

 

それゆえ、神の民は、世からのそしりや罵りを恐れる必要はありません。 神の民に敵対する者は、いつか消え去るからです。 世のそしりや脅威もしばらくの間だけで、やがて消滅します。 しかし、神様の義と救いは永久に続くのです。

 

出エジプトの時、葦の海を分けて贖われた人々を通された神様が、今度はバビロンからご自分の民を救い出してシオンに帰らせ、彼らを喜びで満たされます。 神様は絶望の海の真っ只中にも救いの大路を開いてくださる方です。 その神様が共にいてくださるので、神の民はどんな試練の前でも、どんなそしりを受けても、決して諦めることなく、希望を持ち、みことばを守って、義の道を歩み続けることができるのです。

 

自分たちのルーツを思い起こし、神様の恵みと憐れみに満ちた過去の救いの経験を数えることこそ、苦難の中でも決して諦めず、希望を持ち続け、信仰を守って義の道を歩み続ける秘訣であることを学びました。 神様の驚くべき救いのみわざは、大昔の時代の遺物ではなく、まさに今、私の人生の現場でなされているということを憶え、永遠の救いを信じ、希望と確信をもって、主の道を歩み続けたいと思います。 目の前の苦難にくじけそうになる私を、主が支えてくださり、御手に載せて救いの大路へと運んでくださいますように。 御霊の照らしと導きがありますように。