今日の箇所(イザヤ書 50:1-11)には、私たちの苦しみの問題の原因と祝福のいのちを生きるための方法について記されています。
イスラエルの民が捕囚となって苦しんだのは、神様が一方的に彼らとの契約関係を破って、彼らを売り渡されたからではありません。 彼ら自身が神様に背き、罪を重ねたからです。 神様は、イスラエルを救うために彼らを呼ばれましたが、誰も答えませんでした。
私たちの苦しみの問題の原因は、私たち自身の罪です。 私たちが、自分自身の思いや欲求を満たすために、神様の守りの御手を振り払って、わざわざ災いへと向かって行くのです。 そして、災いが起こって苦しくなると、突如として、神様に救いを求め始めます。 しかし、なかなか救いが来なければ、その災いを止めてくださらず、苦しみから解放してくださらない神様を恨むわけです。
神様に救い出す力がないから、苦難が続くのではありません。 天地を創造し、万物を司っておられる神様に、解決できない問題はありません。 なぜ救いの手を差し伸べてくださらないのかと神様につぶやく前に、自分の不従順を悔い改め、信仰を回復する必要があります。 神様はその悔い改めと信仰の回復を待っておられるのです。
神様は、だからと言って、苦しみの中にある私たちを放っておかれるわけではありません。 苦難の中で疲れた人々をみことばをもって励ます使命を担わすために、ご自分のしもべに弟子の舌を与え、教え、聞く耳を開かれました。 そのため、主のしもべは、朝ごとにみことばを聞いて悟り、神様のみこころに喜んで従って、人々に真理を伝えました。 彼は、人々から迫害され、侮辱を受けましたが、それでも使命を放棄しません。 神様が彼を助け、義とし、近くにおられるからです。
この「しもべ」は、第一義的には、神様が立てられた預言者や働き人を指していますが、こちらも究極的にはメシヤ・救い主イエス・キリストを示しています。 この「主のしもべ」の声に聞き従う者は、暗闇の中でも光を得て、堂々と歩むことができます。 しかし、自分の火のあかり、すなわち、自分の経験や知恵に拠り頼んで歩み、神様を求めない者は、神様の御手によって苦しみに遭い、倒れます。
私たちは、自分の基準に沿って生きるなら、必然的に悪の道に歩み、苦難と災いに行き着くことを忘れてはなりません。 本当の生きる道、すなわち喜びと祝福に満ちた実り多きいのちを生きる道は、神様が遣わしてくださった「主のしもべ」の声に耳を傾け、究極的な「主のしもべ」であるイエスさまの御声に聞き従うことによってのみ、歩めるのです。
自分の思いや欲求を果たすことが幸せへの道であるかのように錯覚させられる誘惑に、常に晒されていることを肝に銘じたいと思います。 苦難はそのような錯覚に嵌り、罪へと陥った結果であることを憶え、自分の救いのために神様が送ってくださった「主のしもべ」の声に素直に耳を傾けたいと思います。 真の幸せ、真の実り豊かないのちへの道は、救い主イエスさまに付き従う道であることを憶え、誘惑に惑わされないよう、常にみことばによって自分を守りたいと思います。 御霊の照らしと導きがありますように。