令和の幕開けですね。

 

平成の時代、私はブラジル→日本→アメリカ→ノルウェー、そして現在の居住地のシンガポールの5か国に住みました。

 

ほとんどが家族の都合での移動で、唯一、自分の意志で住んだのは、アメリカだけですが。

 

今現在、海外で育つ日本人の子どもたちも、そうですね。

 

親の仕事の都合で、海外に住むケースがほとんどでしょう。

 

そこで、適応力や順応力を養っていく。

 

たまたま家族で英語圏に赴任したので、自然と英語が身についた場合、英語が得意、語学を特技と捉えがちですが、今や、人工知能のAIに仕事を奪われないよう意識するような時代。

 

英語ができるだけでは、明らかに十分ではありません。

 

そこには、AIにはできない付加価値が求められます。

 

英語は、いつの時代にもツールであり、目的ではありません。

 

今では自動翻訳機でAIが全て訳してくれるので、英語習得そのものが必要ないかといえば、それも違いますね。

 

AIを使いこなせるには、それなりの語学力も必要。

 

そこそこの英語力はAIに取って代わられるので、むしろそれ以上の語学力がないと、これからは厳しいかもしれません。

 

「英語が話せます」以外の付加価値。

 

読解力も、ますます問われてきますね。

 

東ロボくんが、苦手だったのも読解でしたね。

 

今後は、英語も学習方法が問われてくるかもしれません。

 

英語を身につけ、AIをどう活用していくか、という時代ですね。