吉田病院 新棟竣工式 | 小林てるよのブログ

吉田病院 新棟竣工式

8月23日 (木) 晴れ・夕立
 地域とともにすすめる精神科医療ーこころもからだも癒せる病院めざしてー

 西大寺にある平和会吉田病院は、39年前、私が初めて奈良での仕事と生活をはじめた病院。

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 この吉田病院の源流は精神科ー悲願であった全面リニューアルが完成。竣工式が行われました。

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 以下吉田病院の源流からー

 吉田病院は、1928年(昭和3年)、”あやめ池サナトリウム”として、奈良県下で最初の精神病院でした。

 開設者の初代吉田院長は、当時監置一点張りの精神病院に反対し、開放、早期治療を基本方針とし、当時社会に登場しつつあった俸給生活者の理想卿とする病院づくりをめざしました。

 一万坪の広大な敷地に本館と病棟など8棟、庭園の池には水鳥が泳ぎ、四季折々の花が咲き、テニスコート、落ち葉スキー、農園等々。

 木々の緑の中に病棟の赤い屋根が点在する姿は、”赤い屋根の病院”として長吉田病院のイメージとして定着していました。

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 終戦後、病院の継続再建を決意した2代目の青木院長は医療民主化運動に合流し、吉田病院を「民主病院」として再建する道を選びました。

 病院の民主化、大衆のための医療を使命として自覚した吉田病院は、奈良県か各地に移動診療活動を開始し、桜井、高田に民主診療所の開設など民主診療所設立の運動として広がっていきました。

 そして、1953年全日本民医連結成、奈良民医連の結成へとつながっていきました。

 初代吉田院長の精神障害者の人権を尊重した医療への情熱と2代目青木院長の民主的医療運動の先駆性こそ吉田病院の源流です。