江村親俊(えむら・ちかとし)


生没年・不明

通称・孫左衛門


 長岡郡の江村領主、江村備後守親家の子、兄には吉田重康がいる。
 江村氏は長宗我部氏の流れをくむ家柄であったが、祖父・親政のとき、吉田重俊の次男であった親家を養子に迎えた。
 長宗我部元親に仕えて、天正13年(1585)羽柴秀吉による四国征伐が行われると、阿波国一宮城の北側本丸を守備し、羽柴秀長軍の増田長盛や蜂須賀正勝ら主力部隊と対峙する。阿波国内の諸城が次々落城していくなかでも谷忠澄と共によく城を守った。
 同年、秀吉に降伏した元親は三男の津野親忠を人質に出すことになり、親俊は比江山親興と共にこれに従い伏見に赴いた。
 だが、翌年には故郷の江村に帰り、その後、朝鮮の役では文禄の出兵で晋州城攻撃に参加して戦功を挙げる。
 病のため慶長の初め頃に死去したと伝えられる。