江村親家(えむら・ちかいえ)


生没年・不明

通称・小備後


 土佐国長岡郡吉田領主、吉田備後守重俊の次男だったが、江村領主、江村備後守親政の養子となり、その娘を妻に迎えた。
親政と同じく備後守を称したが、実父・重俊も「備後守」だったので、家中で親家は小備後、重俊は大備後と呼ばれた。
 長宗我部国親と元親の2代に仕え、天文18年(1549)山田基通(元義)との戦いをはじめとする幾多の合戦に参加して、武勇を轟かせた。
 天正年間に病没、子に親俊がいる。
 『夏草の賦』では、一条兼定に拝謁するために中村を訪れた元親の正室・菜々を護衛する役目を仰せつかり、智勇に優れた活躍ぶりを見せている。