吉田内匠(よしだ・たくみ)

生没年・不明~1615


 長宗我部盛親の家老を務める。大坂の陣が始まると入城して長宗我部隊に組した。
 慶長20年(1615)5月6日の八尾・若江の戦いでは長宗我部勢の斥候として約2000人を率いて前進した。戦場に立ち込めていた霧が晴れてくると藤堂高虎隊と遭遇する事になり、盛親からの撤退命令が到着する前に戦闘が始まってしまった。
 鉄砲を持っていなかった斥候隊は、藤堂高吉・式部らの部隊の突入を防ぎきれず、後戻りができなかったためである。
 吉田内匠は高塚地蔵堂の陰に潜み、藤堂式部を待ち構えていたが、逆に式部の手によって討ち取られたという。