五百蔵左馬進(いおろい・さまのしん)


生没年・不明(初代)

生没年・不明~1615(二代目)



(初代) 土佐国香美郡韮生郷の五百蔵城主、佐渡守の弟。
 天正14年(1586)長宗我部信親に従って豊後国戸次川の戦いに参加し戦死した。


(2代目) 左馬進が亡くなると、桑名太郎左衛門の次男藤次郎が左馬進の娘を娶って養子となり、自らも義父と同じ左馬進を名乗った。
 長宗我部盛親に仕え関ヶ原の合戦に出陣、敗走する盛親に従って大坂へ退却する。
 長宗我部氏滅亡後は浪人となり紀州田辺に隠棲していたという。
 慶長19年(1614)盛親が大坂城に入ると、これに従う。翌年始まった大坂夏の陣で八尾の戦いに参加し盛親の馬前で討ち死にした。