2024年6月15日(土)晴れ

 

お腹いっぱいになって、重いからだを引きずるように歩きます。

 

暑くなってきたので、「ソフトクリーム食べた~い」!!

 

千駄塚古墳道標

説明板を読むタケちゃん。横のイチョウの木にも負けない堂々とした姿びっくりマーク

 

古墳の上に浅間神社があり、以前は鳥居があったようです。

こちらは「栃木県教育委員会」と「小山市教育委員会」の監修。

 

笹の中に埋もれた小さな十九夜塔。

 

参道脇の「山神社」と「雷電神社」

 

覆屋内には、青面金剛像と六臂馬頭観音像が安置されているそうです。

「大杉神社」と「安宅神社」 上りは疲れますアセアセ

 

浅間神社

千駄塚古墳、墳丘頂上の浅間神社。

 

拝殿屋根のブルーシートは東日本大震災の影響だそうです。

 

修復する費用がないのか、長年そのままになっていますが、

それなりの手入れはされているような?

 

拝殿の後ろに、本殿が囲まれるようにしてありました。

 

足を上げている珍しい狛犬です。

 

石棺

近くの桃塚という古墳から発掘されたものをここに移しました。

凝灰岩の家形石棺で、当時の有力者の小児を葬ったものではないかとされています。

石棺とその蓋(右側)

「小児を葬ったのではないか」とされていますが、

「大人の場合はこうして膝を折り曲げて・・・・」と、

入棺の様子を説明するタケちゃん。

 

西堀酒造

創業明治5年(1872)「門外不出」「若盛」「奥座敷」の蔵元。

 

仕込み蔵だったところがショップになっています。

仕込み蔵だった内部。サイダーを買って、喉を潤しました。

 

残念ながら「ソフトクリーム」はありませんでしたアセアセ

 

お酒のソフトクリーム、期待していたけど泣

 

わたしはお土産に「梅酒」を買いました。

 

長屋門

 

お店のパンフレット、煙突の全容がわかります。

 

大橋訥庵旧居跡

尊王攘夷思想家訥庵が婿入りした大橋家旧居跡。

 

坂下門外の変への関与を疑われて、江戸小伝馬町牢屋敷に投獄され、

文久2年(1862)47歳で病没。

 

説明板には妻・巻子のことが書かれています。

「吾嬬絵姿烈女競 大橋訥庵の妻巻子」 月岡芳年作

 

その経緯を綴った妻巻子の歌日記「夢路日記」が刊行されると

当時のベストセラーとなりました。
中でも夫庵の生涯を追想した詠、

 

天がける魂の行方は九重の
御階の下をなほや護らん

 

は、夫を支え通す貞節な妻の生き方を示すものとして賞賛されたのでした。

明治十四年(一八ハー)五十八歳の生涯を終えます。

巻子はこの地に一時夫妻で居住したと伝えられています。

(以上説明板より)

 

根底に流れる勤皇思想が多くの人々の心を惹き付け、

後に政権を回復する天皇制国家における愛国婦人として高く評価されたとのこと。

 

政権に利用されたことを、巻子自身はどう思ったのでしょうか??

 

 

立場茶屋があった、旧道痕跡を歩きます。

 

安房神社

長い参道は多くの木々に囲まれた神域。

粟宮村の鎮守。

創建は不詳。2000年ほど前、崇神天皇代の創建であると伝えられます。

天慶2年(939)藤原秀郷が平将門討伐に際し、戦勝を祈願し守護神とました。

市天然記念物の「モミの群落」が見事です。

 

長屋門

 

長屋門の前にあった、古民家を改装したお店。

 

14時を過ぎてしまい、ソフトクリームはバツブルー

 

ムクノキ

市指定保存樹木でしたが、伐採されました。小さな社もあったようです。

 

天満宮

鳥居は享和3年(1803)の建立。

この辺りが小山宿の江戸(南)口で土塁や矢来柵があったところです。

 

目の前の、第一ホテルのレストランに「ソフトクリーム」が!!

 

でも時間がないので、入りませんでした悲しい

 

代わりに、甘い香りを放っている梅の実の落下したものを拾って、

その香りで、ソフトクリームの欲望を抑え込んだ私たちでしたえー

 

 

持宝寺

鐘楼門。「龍昌寺」と同じ形の鐘楼門。

梵鐘は寛政4年(1792)の鋳造。


観音堂

十九夜塔や庚申塔などがありましたが、柵で囲われて入れませんでした。

 

17:04 快速(逗子行き)に乗るために急いで「小山駅」へ。

 

結局、今日もソフトクリームは食べることができませんでしたガーン

 

今回は初めて20㌔越えの長距離を歩く、ハードな一日でしたアセアセ

 

でも、盛夏の暑さではなかったので、助かりました。

 

タケちゃんも無事に完歩できてよかったですクラッカー拍手

 

お疲れ様でしたキラキラ