2024年6月11日(火)太陽

 

音訳*仲間のHさんがLaLaLaシンガーズの一員として初舞台で歌います乙女のトキメキ

(*音訳=目の不自由な方のために様々な情報を正確に音声化すること)

Yさんと一緒に立川の会場へ。

 

人・人・人で座席が埋まっていました。

やっと空席を見つけて前の方に座りました。

 

会場内での撮影禁止のため、写真は撮れませんでした泣

(写真はパンフレットから)

庄野さんが開く「歌の広場」で歌のレッスンを受けているLaLaLaシンガーズ。

 

今日はお揃いのTシャツを着て、歌ったり、踊ったり、

 

童謡や懐かしい歌謡曲など、会場の私たちも一緒に歌いました。

 

「しあわせなら手をたたこう」秘話

(写真東京新聞webより)

 

「しあわせなら手をたたこう」拍手 作詞者・木村利人さんが会場に来ていて、

この歌が生まれた背景を語ってくださいました。

 

木村さんは、1959年YMCAの農村復興ワークキャンプに参加しフィリピンに滞在しました。

 

「日本はアジアで正義の戦いをして、多くの日本兵が亡くなり日本は被害者」

と信じていた木村さん。

でも、フィリピンでは根強い反日感情と戦争の傷痕が残っていて、

木村さんは、自分たちこそ加害者だと知ります。

 

木村さんは、フィリピンのボランティア仲間と農村でトイレをつくる労働奉仕をしました。

戦争で日本軍に父を殺され、日本人を憎んでいたという青年から、

ともに汗を流して働いた後で

「過去を許そう。二度と戦争を起こさないよう誓い合おう」と言われ、友だちになったという。

 

滞在先の小学校では子どもたちがスペイン民謡として伝わる歌を、

手や足をたたきながら歌っていました拍手

そのメロディーに、木村さんは聖書の言葉をもとに

「手をたたこう」「態度で示そう」と歌詞をつけました音符

 

帰国後にYMCAの集会で披露したところ、学生の間で全国に広まり、

坂本九さんが64年にレコード化してヒット。

東京五輪をきっかけに世界にも広まりました。

 

木村さんの話には衝撃を受けました気づき

 

日本軍はレイテ島決戦に多くの部隊を送り込んでいたため

ルソン島での決戦は最初からあきらめるしかなかった。

「自活自戦、永久抗戦」

食料も物資も自ら調達し、永久に戦い続けろというものだった。

マニラは米軍の砲撃によって全滅。

市民約9万人も犠牲となり、マニラ市街は瓦礫の山と化した。

日本軍兵士の戦死者は22万人といわれる。

ルバング島に30年近く潜んでゲリラ戦を続けた「最後の日本兵」小野田さん。

 

絶望の戦場だった島で、戦後にあった交流。

「しあわせなら手をたたこう」が生まれた背景を孫たちにも語っていこうと思います。

 

進行役Hさんのリードで「しあわせなら手をたたこう」を歌いました。

 

Hさん、音訳で鍛えたよく通る声で、ユーモアを交えながらの進行役素敵でしたスター

 

庄野真代さんは音楽を通じた社会貢献・国際貢献を志してボランティア活動をしています。

 

木村さんを招いたことも、最後の「平和のうた」も

 

庄野さんの目指す「戦争のない世界」を願う思いに溢れていると思いました。

 

ベルボトムズ「平和のうた」 (youtube.com)

クリックして聞いてみてください。

ベルボトムをはいた庄野さんの歌声、沁みます拍手ルンルン飛び出すハート

 

アンコールは「翼をください」音譜

 

二番の歌詞

「今 富とか名誉ならば いらないいけど 翼がほしい」

 

「省略されているこの部分をしっかり歌いましょうルンルン

 

こういうところに拘る庄野さん、いいなぁキューン

 

涙なしでは歌えないくらいの感動でした泣

 

いいコンサート音符 Hさん、ありがとう飛び出すハート