2024年6月1日 晴れ

 

お昼を食べて、本当は一休みしたいタケちゃんですが、頑張って後半を歩きます走る人

 

十九夜塔

明治廿二年(1889)建立、如意輪観音像が陽刻されています。

 

台座石が痛んでいて、屋根が架けられていました。

 

何処に行っても十九夜塔!!

 

女性を護る「十九夜様」として石仏が建てられ、

旧暦19日には供え物をしたり、月が出るまで女性がここに集まって念仏を唱えて月を拝み

悪霊を追い払うという月待行事を行いました。

その記念や供養の証として建てられたものです。

 

昔は命の危機が隣り合わせだったから、安産祈願や子供の無事の成長を祈ることは女性たちの大事な行事であったと思う。

台座に刻まれた「女人講中」側面には「○○村 女人○○人」と刻まれた文字。

集まった女性たちの思いが伝わるような「十九夜塔」でした。

 

佛光寺

「二代将軍秀忠から十石の寺領を賜った」とガイドブックにありました。

文久元年(1861)建立の十九夜塔。

 

村社八幡宮社標

 

立派な鳥居。元禄十六年(1703)船問屋が寄進したもの。

目だった損傷もなく、近世前期の貴重な鳥居です。

島木を持つ「明神鳥居」で、小山市で五番目に大きい石造鳥居です。

 

乙女村の鎮守。鎌倉時代の創建と伝えられます。

乙女河岸で働く人々の信仰が篤く、多くの人々がお詣りしました。

 

ここから、乙女河岸道を歩き、思川へ~

 

「乙女」とか「思川」とかロマンチックな名称飛び出すハート

 

思川沿いに続く堤防上には桜並木が続いています。

 

「桜の季節はきれいだろうねラブ

夢の世界みたいスター(写真・栃ナビさんの㏋より)

 

思川桜 

赤色に白を合わせたような淡紅色の花を咲かせるジュウガツザクラから突然変異した小山市原産の品種。

市内では現在、思川沿いを中心に約3000本の思川桜を見ることができます。

その開花時期はソメイヨシノより約1週間遅く、思川桜の見ごろは4月上旬~中旬桜

(KADOKAWA ASCII Research Laboratories, Inc. 2024 ㏋より)

 

思川土手道を登る面々アセアセ

 

やっと「思川」へ。思いなしか水量の少ない思川。

 

河川専門家のYさんが「普段の水量はこんなもんよ」と。

乙女大橋は橋脚架け替え工事中でした。

 

乙女河岸公園にあった説明板。

 

乙女河岸は思川沿いの船着き場。

 

上流が浅くなるため、大型の高瀬舟と陸運の切り替え地点となりました。

 

日光東照宮造営の資材も陸揚げされ、小山評定後、江戸に戻る家康も利用しました。

(写真・小山市博物館)

 

高瀬舟 

各河岸から集められた城米や年貢米400俵など荷物を高瀬舟に積み替えて江戸に運びました。

 

乙女河岸の様子が描かれています。大きな河岸だったんですね。

(写真・小山市立車屋美術館)

 

乙女河岸には3軒の大きな問屋があって(上河岸・中河岸・下河岸)

東照宮への資材の他、年貢米をはじめとする領主荷物の輸送に大きな役割を果たしました。

 

肥料問屋を営んでいた小川善平(車屋)も此処に蔵を構えていました。

 

明治44年(1911)に車屋の土蔵は、国道沿いに移築されました右矢印「小川家住宅」は最後に見ます。

 

その後、鉄道輸送の発達によって、昭和25年(1950)を最後に幕を閉じました。

(写真・小山市博物館)

 

よく晴れた日には富士山~八ヶ岳~浅間山~日光表連山まで見えるそうです富士山

 

ここは「自然の里おとめ」ネーミングも乙女チックキューン

 

田んぼアート2018 間々田八幡宮近くの田んぼ(間々田八幡宮㏋)

 

田んぼアートは10種7色のお米を使って、設計図通りに植えていくそうです。

 

無人販売所の野菜

安いし新鮮だから、全員キュウリやニンジンや玉ねぎを買いました。

 

Yさんは漬物用のメロンを!!前回に続き、またまた重い荷物ですあせる

 

 

「小山市博物館」を見た後、隣りのこの広場に来ました。

 

史跡乙女不動原瓦窯跡

 

奈良時代当時の最新式の平窯によって、国家的な事業であった下野薬師寺の再建や

下野国分寺造営に用いる瓦の製造を担った重要な瓦窯跡です。

 

粘土採掘抗跡

採掘抗からは、軒瓦が66点出土しています。

 

白鳳様式のものを含む複弁八葉蓮華大軒丸瓦、均整唐草文軒平瓦などがあります。

 

複弁八葉蓮華大軒丸瓦

均整唐草文軒平瓦(写真・文化遺産オンライン㏋より)

 

随分立派な瓦で、当時の技術の高さには驚きました。

 

復元1号窯

登り窯形式の4基が発掘されました。

 

平窯構造模型

瓦窯の断面です。

 

泉龍寺(乙女不動尊)

疫病に悩む庶民の苦しみを救うため本尊に祈ったところ、清らかな泉が湧き出てて、

病がたちまちにして平癒したことから、「泉龍」と称するようになった、と伝えられます。

 

参道は花が一杯で極楽に迷い込んだみたい黄色い花クローバーあじさい

 

境内のお花はお寺の女性が一人で植えて、お世話をしているそうです。

 

ニコニコ笑顔でニコニコ 汗びっしょりになって雑草を取っていましたアセアセ

 

清らかな泉の功徳を授かっている人なんだろうと思いましたキラキラ

 

その先の朱い鐘楼門には目を奪われました。

鐘楼門は享保五年(1720)の建立です。

 

紫陽花の花の向こうに、十九夜塔が並んでいます。

 

25年に一度開扉される本尊の前に坐像の不動明王。

 

水かけ乙女不動尊 ご本尊の分身像です。

 

この水は延命の水

この水でお不動さんの身体を清めると、家内安全・厄除消除・無病息災・ボケ防止一切の病苦を除去し、招福を授かる功徳の霊験があると言われています。

 

「あと4年、守ってくださいとお願いしてきたよお願い」とタケちゃん。

 

4年と言わず、長~く守ってもらいましょう乙女のトキメキ
 

小山市立車屋美術館

肥料問屋として財をなした小川家住宅(国有形登録文化財)が公開されています。

 

明治末期に建てられた住宅。お金持ちのお宅拝見しました。

 

今日は早い時間の終了で、足取り軽く駅に向かう面々。

「ソフトクリームが食べたい~」

 

カフェはなく悲しい 駅前の「不二家」へ。

アイスクリームを買って、間々田駅のベンチで食べました。

 

10㌔ 2万歩超え、みんなよく歩きました拍手

 

今回も総合ガイドのHさん、

ストリートビューで史跡探しをしながら、昼食の店も探してくれるYさん、

ありがとうございました花

 

次回は間々田宿~小山宿まで。

かなりの距離があるので、頑張ろうねびっくりマーク