2024年3月16日晴れ

 

東武日光線「栗橋駅」に集合。

今日の天気予報は気温18度、暑くなりそうあせる

「八坂神社」をぐるっと回ると、利根川が見えてきました。

利根川橋を渡ります。

河川工事も終盤でしょうかキラキラ

埼玉県の鳥「シラコバト」のレリーフ

茨城県古河市に入ります。

茨城県の鳥は「ヒバリ」

ヒバリが空中を高く舞い上がりホバリングしながら鳴き続けていました。

 

房川渡しと中田関所跡

中田宿説明板

 

中田宿

中田宿は「房川の渡し」を控え、元和10年(1624)に創設された。

「鮒の甘露煮」が名物であった。

栗橋宿とは合宿で問屋業務は半月交代で務めた。

宿内家数は69軒、うち本陣1,脇本陣1,旅籠6軒、人口403人

(天保14(1843)の日光道中宿村大概帳による)

 

「地元のお寿司屋さん・黒潮」Yさんが見つけてくれました

とても美味しいお寿司、タケちゃん素早く完食。開店してすぐに満席になる人気店キラキラ

 

鶴峯八幡宮

養和元年(1181年)、源頼朝が関東三鶴である鶴岡八幡宮より御神霊を勧請したもの。

 

江戸時代より東照宮に旅する際に足踏みして、旅の安全祈願をしたそうです。
 

無事に日光まで歩けるように足踏み祈願するBさん走る人

 

文化財である古河神楽も江戸時代より伝承されています。(古河市観光協会HPより)

 

 

光了寺

静御前を葬ったという栗橋の「高柳寺(光了寺)」がこの地に移転。

静御前が後鳥羽上皇より賜ったという「蛙螟龍(あまりりゅう)の舞衣」等の遺品が保存されているという。

 

京都の神泉宛は雨乞いの霊地としても知られていた。

後白河法皇が100人の白拍子を召して雨乞いの儀式をさせた際、

99人の白拍子が神前にて供える舞を舞ったが効果がなく、最後に静御前が舞うとにわかに雨が降り出したという。

雨乞いに成功した静御前に上皇が与えた舞衣。

「蛙螟龍(あまりりゅう)の舞衣」はこんな衣装なのかな?

 

中田の松原

「東海道にもこれほどきれいな松並木はない」と言われていましたが、

戦時中の「松根油」採取のために伐採されてしまったそうです。

「信州戦争資料センター 長野県から伝える戦争の姿」より

 

香取神社

茶屋新田村の鎮守。シニアグループが入口ベンチで歓談していましたおじいちゃんおばあちゃんおじいちゃん

 

話がしたそうなタケちゃん乙女のトキメキ

 

立場茶屋跡

二代将軍秀忠、日光社参の際に仮設の茶屋が設けられ、以降は立場となった。

この辺りにあったらしいけれど、何も説明がありませんでした。

 

石仏石塔群

石仏や石塔を集めて安置してあるのだけれど、どんな由来があるのか説明がない。

コンクリートの頭をのせた仏様もいて、どんな形にしても補修して祀っているところがすごい。

屋根もあるし、生花を飾って、きれいにしてあるのは地元の人々の信仰心かな。

 

ここから「古河駅」まではとても歩けそうもないので、予定を変更。

日光街道を離れます。

 

古賀公方公園

ちょうど「古賀桃まつり」たけなわハートのバルーン

みんな「桃の花見」は初めてで、華やかなピンクに心ウキウキラブラブ

芽吹いたばかりの柳が風に揺れて、必死にカメラに収める外国の方。

 

旧飛田家(国指定重要文化財)

18世紀前半の建立。常陸地方によくみられる「曲がり屋」

 

旧中山家(県指定文化財)

1674年の建立か?代々の組頭を務めた旧家で、直屋と言われる大型農家。

この二棟ともNHK大河ドラマ「西郷どん」のロケで使われたそうです。

 

古賀公方館跡石碑

「公方さまの森」土塁を歩くタケちゃん。


古賀公方足利義氏墓所

 

暑くなったので「桃ソフト」を食べました。桃の味はしなかったけど濃厚なクリーム飛び出すハート

 

渡良瀬川沿いの堤に出ました。川の姿が見えません、Yさんの説明を聞きます。

 

古賀城本丸跡

以前は一本の木の標識が立っていただけ。真新しい石碑が鎮座していました。

古賀公方足利成氏が康正元年(1455)に古賀へ移座して整備・拡張された。

 

土井利勝によって寛永12年(1635)一応の完成をみたが、江戸中期に取り壊されている。

 

明治7年(1874)前年発効された廃城令により取り壊され、払い下げられた。

 

明治43年(1910)に始まる渡良瀬川河川改修工事によって、曲輪は削平され、堀は埋め立てられて、堤防や河川敷などに変わり、城跡のほとんどが消滅。

 

湾処(わんど)

川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっているところ。

 

魚類などの水生生物に安定した棲み処を与えるとともに、様々な植生が繁殖する場ともなっているので、こんな活動をしているらしい。

自然体験教室

 

三国橋を渡ります。

 

渡良瀬調節池第1排水門

排水門の威容が現れてきました、カッコいいキラキラ

 

昭和45年度(1970)設置。谷田川と渡良瀬川の合流部に位置し、渡良瀬第1調節池の洪水調節

 

を目的として建設されました。

 

排水門の向こうは、大きな游水池。

 

渡良瀬遊水地は、足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に、渡良瀬川下流に作られた日本最大の遊水地(遊水池)である」

 

洪水対策の前の歴史をここに来て初めて知りましたガーン

 

渡良瀬遊水池の歴史|渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会 (watarase-kyougikai.org)

 

 

 

決潰口碑

昭和22年(1947)9月のカスリ―ン台風で、渡良瀬游水池の堤防は13カ所が決壊。

 

その時の決壊口に建てられた碑です。

 

「利根川の治水」についての卒論を書いたタケちゃんにとっては感慨深い場所でしょうか。

 

「決潰口碑」のある堤から下って、東武日光線「新古賀駅」から帰途に着きました。

 

眼の手術をして家にこもっていたので、今日の28,000歩超えはキツかったですピリピリ

 

久しぶりの筋肉痛と花粉症で、ダウンしましたダウン

 

次回までには体力回復させなくちゃ、頑張ろうびっくりマーク