鎌倉歩き 第4回 亀ヶ谷~紅葉 | 街道歩き

街道歩き

2022年東海道五十三次完歩後、いろんな街道歩きをしています。

2023年12月3日(日)晴れ

 

Yさんの案内で鎌倉歩きの4回目音譜

 

Y氏の久しぶりの参加。

Gちゃんはコロナにかかってしまい、止む無く欠席です。

 

地図と見どころをまとめたプリントを用意してもらいましたメモ

 

今日は亀ヶ谷(かめがやつ)を通って、北鎌倉から鎌倉へ入る道。

 

紅葉もきれいで「散策日和」の一日になりそうですもみじ

北鎌倉駅に集合して駅前の「生そば やま本」へ。

この先はお昼を食べる場所も、お店もないとのことで、ここで腹ごしらえです。

 

円覚寺

臨済宗大本山。鎌倉五山(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)の第二位。

 

鎌倉幕府の執権北条時宗が、

蒙古襲来で戦没した多くの霊を敵味方の区別なく弔うために発願。

深く帰依した無学祖元を開山に迎えました。

 

山門

仏殿

宝冠釈迦如来坐像。(怖いお顔ダウン

 

1563年の大火で顔だけが残り、江戸時代の再建で体部を補造したとのこと。

 

 

選仏場

修行僧の座禅道場。

ここで山岡鉄舟や夏目漱石も参禅したというので、感慨深げなH氏。

 

百観音霊場

西国33観音霊場・坂東33観音霊場・秩父34観音霊場の総称。

 

妙香池

円覚寺創建当初から知られる放生池。紅葉がきれいもみじ

 

舎利殿

源実朝公が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利ぶつげしゃり」というお釈迦様の歯が祀られています。

 

拝観できないので、パンフレットからの写真↓

鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されています。

 

葉先が焼けてチリチリになったものもありましたが、紅葉はきれいでした。

 

洪鐘(おおがね)道、長い急な階段を上ります。

みんな、それぞれのペースで上りましたアセアセ

 

洪鐘

関東で最も大きい洪鐘(高さ259.5cm)で、国宝に指定されています。

 

円覚寺の開基である北条時宗の子である貞時が正安3年(1301)

国家安泰を祈願して寄進したものです。

 

弁天堂

北条貞時が洪鐘とあわせて弁天堂を建立しました。

 

江ノ島弁財天の加護によって洪鐘の鋳造が完成したと伝えられ、その弁財天を祀るお堂です。

 

山の稜線の向こうにうっすらと富士山富士山

 

洪鐘道を降りて、休憩です。

Bさんのお勧めニコニコ 

「御菓子司 こまき」鎌倉に住んでいた川端康成が愛した菓子匠だそうです。

 

こしあんで包まれた上品な味、鎌倉らしいお菓子が食べられてうれしい飛び出すハート

 

長い階段を上り下りした体に、この甘さが染みました。

 

Y氏とH氏が一緒に歩いていると、東海道を歩いた時のことを思い出します音符

 

 

長寿寺(長寿禅寺)

建長寺に続く人通りの多い道からこの階段を上ると別世界。

 

毎年春と秋の季節限定で公開される、鎌倉の隠れた名所です。

 

臨済宗建長寺派。建武3年(1336)足利尊氏創建。

 

観音堂

奈良の古刹である円成寺より多宝塔を大正時代に改造移築したものです。

聖観音像のスッキリとしたお姿。

観音堂前の美しい紅葉、これは本堂に飾ってあった写真ですキラキラ

 

足利尊氏墓

境内裏山に尊氏の遺髪を埋葬したお墓、ひっそりとした小さな墓でした。

 

長寿寺から亀ヶ谷坂に向かいます。

 

亀ヶ谷坂

鎌倉七切通の一つで、鎌倉と武蔵を結ぶ道。

個人の家も建っていましたが、かなり湿気が多そうです。

車両は侵入禁止ですが、バイクが何台もスピードをあげて通っていましたダッシュ

 

切通を抜け、この辺りは扇が谷。

岩船観音堂

頼朝の長女大姫を祀るお堂。

 

大姫は、木曽義仲の嫡男・義高と許婚になっていましたが、

父頼朝により義高が斬首されたのちに病気になり20歳で亡くなりましたハートブレイク

お堂の中のお地蔵様。

 

 

海蔵寺へ向かう扇が谷の紅葉のトンネルを歩きますもみじ

個人宅横にあったやぐら、中は空っぽでした。

 

海蔵寺

鎌倉有数の花と寺として知られ、今は紅葉がきれいです。

 

底脱ノ井(そこぬけのい)

門前にある鎌倉十井のひとつ。

 

「千代能が いただく桶の底脱けて 水たまらねば月もやどらす」

 

千代能(尼僧)という娘が、夕餉の支度に井戸の水を汲みに行くと、

桶の底がぬけてしまい、それまで水面に映っていた満月が見られなくなってしまった。

この時、心に宿っていた煩悩が消えてこの瞬間に悟りの境地に達した、そうです。

 

悟りの境地というのは、何でもない時に訪れるものなんでしょうかはてなマーク

 

それをキャッチする感性がないと境地には至らないでしょうが。

 

本堂

仏殿(薬師堂)

仏殿の中の本尊、薬師三尊像と十二神将。

 

十六井戸への隧道。

 

十六ノ井

境内南隅の岩窟中にある鎌倉時代の井戸。

地面が濡れて足元の悪い階段を上って中を覗く目

何があるのか?? 目が暗さになれてくると見えてきました。

 

4×4=16の穴があることから、十六井。水が湧き続けています。

 

観音菩薩像とその下に弘法大師像が安置されていました。

 

不思議な井戸でしたびっくりマーク

隊道はコンクリートで補強されていました。

 

境内のやぐらに、鳥居が建ち、人頭蛇身の宇賀福神を祀る「雨宝殿」

ここにも弘法大師が掘ったと伝わる井がありました。

 

私たちは「どこでも弘法大師」と言っています笑い

 

語り部?のじい様おじいちゃん いつまでも説明するので退散するのに一苦労あせる

回遊式庭園ですが、非公開です。

 

英勝寺

いろんな様式が合体したようなデザインのゲート。

 

浄土宗、寛永3年(1636)創建。

 

徳川家康の側室であったお勝の方(太田道灌の子孫)を開山として
水戸徳川家が、祖先の太田道灌の屋敷跡と伝えられる場所に創建した、鎌倉唯一の尼寺です。

仏殿

仏殿の中の本尊の阿弥陀三尊像と、天井の極彩色の鳥や天女が豪華です。

 

正面しか見ないわたしに、Bさんが「天井を見て!!」と教えてくれましたグッド!

 

山門

禅宗様と和様を組み合わせた二階二重門。

屋根のそりがなく、真っすぐに葺き下ろされて、繊細な彫刻や装飾を施した山門。

上層内には、中尊の阿弥陀仏如来、観音菩薩と勢至菩薩、十六羅漢が安置されています。

後水尾天皇御痕筆の「英勝寺」の扁額。

Yさんに倣ってカメラを向けました。すばらしいアングルグッド!

紅葉の葉がチリチリに焼けたようになっていて、残念でした。

 

三霊社権現

仏殿の裏の洞窟は三霊社権現というそうで、中は真っ暗でよく見えませんでした。

石仏が安置されているそうです。

 

洞窟の石段を上ると小さな聖徳太子を祀る「太子堂」と聖観音菩薩像を安置した観音堂。

太子堂

 

太田道灌邸舊蹟

大正時代に鎌倉町青年会によって建てられた史跡碑・旧跡碑です。

 

英勝寺の境内の中、横須賀線のすぐ前に建っています。

イチョウと人力車の組み合わせが美しい。

 

寿福寺

鎌倉五山の第三位。

 

正治2年(1200)源頼朝の妻・北条政子が頼朝の死後、
頼朝の父である義朝の旧邸跡に
明庵栄西を招いて創建した寺で、13世紀後半になって禅宗の寺院となりました。

 

山門前から左の小径を登ると墓地があり、

墓地の山側にはやぐらが二つ並び、
一つは政子、一つはその子源実朝の墓だといわれています。
 

供養の五輪塔があります。

 

たくさんのやぐらがあり、個人のものもありました。

 

山際のやぐらや、古い石塔が並ぶ墓地からは、

無念の死を遂げた人たちの声が聞こえるようで、ざわざわしましたもやもや

 

日暮れの早いこの時期、今日の予定は全て終了です完了

 

「鎌倉駅16時到着」というYさんの計画がバッチリ拍手

 

 

お土産に鳩サブレーを買ってから、

不二家で、反省会。

 

というより、病気の話のてんこ盛り!!

心筋梗塞やら心臓のペースメーカーやら、白内障、緑内障、黄斑変性症などなどネガティブ

 

Yさん、次回は来年。紫陽花あじさいの頃の散策を計画しているそうです。

 

どんどん掘り出されるYさんの鎌倉歩きの計画案乙女のトキメキ

 

再会を楽しみに飛び出すハート帰路に着きました。

 

Yさん、今回も一日、ありがとうございましたリボン