街道歩き

街道歩き

2022年東海道五十三次完歩後、いろんな街道歩きをしています。

2024年7月14日(日)雨

 

「しょうけい館」定期講話会へ行ってきました。

「しょうけい館」は戦傷病者とその家族の労苦を語り継いでいく施設。

 

第一部は、語り部による失明した三人の戦傷病者の話でした。

 

第二部は、佐佐木頼綱さんによる「戦盲歌」についての解説。

(戦盲歌とは戦争で失明した兵士が詠んだ短歌に曲をつけたもの)

佐佐木頼綱さんが、盲人の短歌に出会った経緯を話しました。

 

曾祖父である、「佐佐木信綱研究」をしている時に『盲人歌集』を見つけます。

信綱は「臨時東京第一陸軍病院に、伊藤嘉夫君と共に隔週作歌指導し、万葉集を講じた」

 

失明した戦傷病者に短歌指導を続けて、歌集を刊行しました。

 

6年間で100回以上通ったとのことです。

 

 


東海道「石薬師宿」を歩いた時の、信綱生家。

 

押しも押されぬ日本一の歌人で国文学者、佐佐木信綱。

 

「夏は来ぬ」日本人なら誰でも知っている歌の作詞をしました。

音符「卯の花の にほふ垣根に ほととぎす 早も来鳴きて しのび音もらす 夏は来ぬ」

ウツギの花が咲く「佐佐木信綱記念館」

 

石薬師にはウツギの花がいっぱい咲いて、

「信綱かるた道」として短歌50首が街道沿いにあり、

町を上げて信綱を顕彰していました。

 

そんな信綱が、若き日に戦傷病者に作歌指導をしたことは知られていませんが、

 

信綱の宝となったのでは、と思いました。

目が見えなくなり、何をするにもひとりではできない毎日。

 

「淋しいから何かやりたい・・・

歌の講義を聞きに行ってみる。

生まれてはじめて歌をつくってみる。作ったことがうれしい。

人出を借りずにできるものがあることで夢中になる。」

 

「自信がついて明るい気持ちになる。

短歌や俳句は小さな創作だが、一歩を踏み出せる大きな力となる」

伊藤嘉夫(信綱と一緒に作歌指導した人)

 

失明を受け入れた頃か?現実を知りその先の願いを書く。

 

魂の叫びや祈りがこちらの胸にとどき、締め付けられるような歌。

 

「・・・・悲しみに対し精神はその意識を その言葉を求める」

小林秀雄

 

言葉にすることで自分の現実を受け入れていく。

 

昭和18年4月に刊行された『盲人歌集』を読んだ作曲家の越谷達之助が感動し、

その中から十首を選んで曲を付けました。

「戦盲歌」は、昭和52年、33年ぶりにやっと日の目を見ました。


「戦盲歌」を歌う オペラ歌手神戸薫子さん(頼綱氏妻)

 

西洋の発声法で歌われるので、歌の世界がまた違って聞こえました。

短歌の言葉に込められた作者の思いや平和への願い「戦盲歌」が

「しょうけい館」の新たな継承のひとつとなることを願っています。

 

幼なじみが40歳で全盲になり、俳句を作って日々の暮らしを詠っていたこと。

言葉が生活を彩り、豊かにしていたことも今日の講話と重なりましたスター