2025年12月14日

 

日光橋を渡って「世界遺産・日光社寺」日光山内へ。

日光山内への石段と石碑

 

日光社寺への参道、観光客が散策

御旅所

日光山内の赤い建物と緑の木々

勝道上人像

日光山内 勝道上人像と参道

日光は、奈良時代に勝道上人により開山され、

山岳修験の霊場として1200年の歴史を紡ぐ。

 

前日の雪が残っている。表参道から東照宮へ向かう。

日光東照宮の鳥居と参拝客

五重塔

五重塔と苔むした石灯籠

慶安3年(1650)酒井忠勝(小浜藩主)により奉納された。

現在の塔は江戸後期に再建されたもの。

 

この先に東照宮拝観券売り場があり、すごい行列アセアセ

すかさずYさんがネットで4人分の券を購入してくれた合格

 

拝観券を渡して階段を上ると、逆立ちの狛犬はてなマークはてなマークはてなマーク

 

飛越えの獅子

日光東照宮の石柵と狛犬

苔むした狛犬、日光東照宮の石柵

「獅子はまるで塀を飛び越えているようだ。良く出来ている」

と家光が褒めたことから、その名がついたという。

 

石柵と一体の獅子は単なる飾りではなく、

石柵を補助補強する脚柱の役割もあるという。

 

苔むした顔の迫力はかなりのものだったピリピリ

 

神厩舎

日光社寺の木造建築と参拝者

家康が関ヶ原の戦いで乗った馬が神馬とされていたため、馬の飼育が行われていた。

 

冬季は神馬はここにいないとのこと。

 

以前来た時、この中に白馬がいるのを見たことがある馬

白い神馬で厳かな光を放っていたキラキラ

日光東照宮の三猿彫刻

おなじみの「三猿」

猿は、馬の病を治したり、 馬の世話をするなどされているところから、

長押上には猿の彫刻8面が描かれ、人間の一生が風刺されているのだとか。

 

陽明門

日光東照宮の豪華な唐門と観光客

「平成の大修理」で、きらびやかに極彩色の輝きを放つというが、

今日の天気のため輝きは半分くらいか?

 

唐門

日光東照宮の唐門と昇龍の彫刻

本殿の前に建つ正門。胡粉の白さが際立っている。

 

東回廊の門の上に

眠り猫

眠り猫 彫刻 日光東照宮

眠っているように見える、小さな猫。

坂下門

日光東照宮 坂下門と石段

この門を通り、階段を上ると・・・

日光山内、苔むす石段と杉並木

「奥社」につづく207段の長~~~い階段。

一段ごとに一枚の石が用いられ、冬の凍て上がり防止を考慮している。

石柵は一枚の石をくり抜いて、笠・柱・土台が作られているのだとか。

 

「人の一生は荷物を負うて、遠き道を行くが如し、急ぐべからず」 

家康公の御遺訓が書かれた立て札がある。

 

う~ん、人生は長いし、ここの階段も長い~

なかなか辿り着かないアセアセアセアセアセアセ

 

奥社宝塔(御墓所)

日光東照宮・奥社宝塔・墓所

「東照大権」神となった徳川家康公の御霊が宿る神聖な場所。

 

豪華絢爛の社殿から一転、ここは静謐で荘厳な雰囲気があり神秘的。

 

長い階段も終点があり、わたしの長い人生も終盤の下り坂下差し

日光社寺への参道、木々が並ぶ冬の景色

薬師堂の「鳴龍」を拝観。

わたしだけ龍の音が聞こえず難聴を自覚する泣

 

帰り道の参道。

 

日光火之番八王子千人同心顕彰之碑

日光火之番八王子千人同心碑

八王子千人同心は、遠い八王子から任につき、父子相伝え、

雷や火事、暴風雨などの災害から東照宮を200年以上にわたり守ってきた。
 

戊辰戦役時、千人頭・石坂弥次右衛門義礼は戦わずして政府軍に明け渡し、

八王子に引き上げた。その後、責任を追及する声があり、帰郷した夜に自刃した。

 

顕彰碑は昭和33年(1958)建立。

日光東照宮への参道、石畳の道

左は「日光山輪王寺」

右側には「安養院」「「照尊院」など塔頭があり、

まるで京都のお寺を巡っているような静かな道だった。

 

丸3年の歩き旅の感慨に浸ることなく、

帰りの電車の時間を気にしながらお土産を買って、

いつものように帰りの電車に飛び乗った。

 

東武日光駅前の「あげ湯波まんじゅう」をBさんからもらって、

電車の中でサクサクカリカリの湯葉まんじゅうを食べ、

(おいしかった飛び出すハートごちそうさまお願い

「よく歩いたね~」と旅を振り返りつつ、

心地よい電車の揺れにウトウトしてぐぅぐぅ帰宅した。

 

来春の奥州街道歩きは総勢8人の大所帯になる予定。

どんな旅になることやら??