今日はどうするか1ヶ月前から悩んでいた。
沿岸では地元に残っている人達で追悼式が行われるだろうから、内陸の人間が行くべき時ではないだろうという思いがあった。
震災とは関係のないイベントや遊びで時間を過ごそうか。Kとはそんな話をしていた。
しかし、いろんな案が浮かんでも、どれも決定的なものとならず決まらない。
何もしないでもいいのだが、気分的にそうもならない。
朝起きて、しばらくリビングで時間を過ごし、
「大槌に行こうか。Kの宅地跡を見たら帰って来よう」
そう言うと、Kも応じた。
2時46分
遠野付近でサイレンを聞いた。
黙祷…
釜石駅では復興の鐘の周りにキャンドルが並べられ、追悼イベントの準備がされている。
復興の鐘を突いた。
言葉では言い表せない想いが重く深く鳴り響く。
大槌に着いた。
大槌駅前にテントがあり、何人かの人たちが集まっている。
何だろう。
テントに寄ってみると、多分ボランティアであろうと思われる人たちがコーヒーや献花の白菊を無料で提供してくれている。
宅地跡は寒かったので暖かいコーヒーがありがたかった。
そして、Kの母の実家跡地に白菊を供えることもできた。
Kの宅地跡だけ見に来たはずが、そこまで出来たのは予想しない嬉しい出来事であった。
Kの宅地跡に着いた。
全体的に水が少し退けたかなというくらいで、前と何も変わらない風景である。
これからここがどんな風景に変わって行くのだろうか。
宅地に戻らないのは確かであるが、またまだ時間はかかりそうである。
少し時間があるので、大槌漁港を見に行くことにした。
途中で大槌町役場が見えた。そこで気になる物に気づいた。
町役場の時計である。
少し見にくいが、短針が3時、長針が24分で止まっている。
地震発生時間の2時46で止まっている時計はよく見かける。
しかし、町役場の時計は違っていた。
地震発生から30分後に津波が押し寄せているから、第一波は3時16分頃と推測出来る。
時計はそれから8分後に止まっている。
二階に到達する波がきた時に衝撃で止まったのであろう。第二波の方が高い波だったということから、第二波の津波時間であろうか。
…あくまでもこれは自分の推測であるが。
大槌漁港に着いた。
かつて釣りをした堤防はこのような姿に変わっていた。
修復は始まったばかりに見える。町の行政機能が長期間不能になったことも影響しているのであろう。
そして、町内の瓦礫はいたるところにまだ山積みである。
これは大槌に限らず、被災地全ての現状だ。
瓦礫処理を協力してくれている都道府県は未だ数カ所である。
同じ東北では青森と山形が処理を実施してくれている。
秋田は受け入れ表明をしているが、今はまだ調整中の段階である。早く受け入れ環境が整うことを願うばかりである。
帰り道、マストに寄った。
目的は、マスト内の催事場に開設してある「写真返却展」に寄るためである。
写真返却展には瓦礫と一緒に埋もれていた写真がたくさん展示されていた。
残念ながらKの思い出の写真は見つからなかった。
探しながら、他の家族の思い出を見るのもツラいものがあった。だから全ての写真は見ないでしまった。
夕方、釜石駅前のキャンドルを見てから家路に着いた。
三陸大津波から一年。
一年が過ぎたというのに、過ぎた月日の数ほどには復興が進んでいない。
これから何年かかるか判らないが、本当の意味で復興を果たすまで、三陸をずっと応援して行きたい。
いや、復興を果たしたその後までもだ。