龍神様と対話して
あなたの心と未来を優しく照らす
フラ踊る 天照龍遣い てるるです
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やさぐれ人生編
幸せへの道のり編
先日から始めた自分の記録
「今が自分史上一番幸せ」
なんだけどダメな自分を振り返るのパート2
前回のブログ
初めて夢が出来たってところまで書いたけど
その前段階をも少し書こうかな
20歳で歯科衛生士の専門学校を卒業して歯科医院に勤務する事に。
仕事は嫌いでなく(好きでもないが)お調子者の私は、職場で先輩に可愛がられ
同僚とも仲良かったのだったが…
サラリーが安かった
当時、私はどんな風に職場を探すのかを知らず信じられない事だが学校の求人票にはお給料の提示がなかった…しかも…
学校の先生からは面接の時にお給料はいくらか聞いてはいけないと言われていたので私は家から近いというだけで職場を選んだ
世の中はバブルで浮かれているのに私はこんなサラリーの安い所で働くなんて本当に運が悪いと思った
しかし、石の上にも三年(あーバリバリの昭和感)
とにかく仕事を覚えればすぐに転職できると思い三年後転職をする事に(転職の理由はサラリーだけではないけどね)
次の職場はとても楽しく仕事が出来てサラリーも前の所よりは
良くなった
が
仕事に慣れてくると今度は毎日同じルーティンに飽きてくる(全くこらえ性がない)
年齢は24歳。
何をしても満たされない感が続いていたある日私の元へ朗報がやってきた。
海外に憧れを抱いていた私に「ワーキングホリデー」という制度があって1年間働きながら海外に住めるビザがあると
選んだのはオーストラリア
年齢制限は25歳まで…急がねば
当時あまり貯金が無かったので、仕事が終わってからアルバイトをする日々。1年がかりでお金を貯めた。
自分の夢のためにこんなに頑張れたのは高校受験依頼
おそらく副業禁止だったのだろうが…(バレなきゃいんだよ)
今振り返ると、若いころの自分は、ずっと負にフォーカスしてたように思っていたが、自力で幸せになる努力もしてたんだなってことがわかった。
根拠はないけど、自分は絶対に幸せになりたいと思ってたし
なれると思っていた。この頃は地で「引き寄せ」をしてたなって思う。(やや強引だけど)
当時はお金がなくて、金運が無いと思っていたけど
人との関係は何故か上手く保ててた。
それは、私が一人っ子でいつもさみしくてつまらなかったから
人が好きで、恋しかったから自然と人に可愛がられる手段を身に付けていたのだろう。
さて
夢のオーストラリアはシドニーへの滞在となる。
3か月間語学学校に通い
その後は免税店やジャパニーズレストランで働いていた。
初めて知らない土地に住み毎日が刺激的なんだけど
マインドは変わらないのですぐに不満を探し始める。
意気揚々と夢に向かっていったはいいが、またもや
「なんか違う」が始まりなかなか幸せを感じられない
ヤバメの私なのでした。
その理由は
ワーキングホリデーで海外に住むからには
英語を完璧にマスターして帰らなくてはとか
自分に制限をかけていたこと。
しかし
だんだん自由な生活が楽しくなってきて、この1年は
楽しもうって決めてから
は生活が少しずつ、充実していった。
まさに「快を選ぶ」って事を
人生で初めてやったんだ
自分に制限をかけて我慢をしたり
~するべき、~しなくてはを尊重している時は
幸福感を感じられなかった。
だけど
自分を自由にさせてあげた途端
楽しい事が増えたり
英語が上達する環境の仕事が見つかったりして
なりたい自分に近づいた。
自分を許して、好きな事をさせてあげるのが
幸せへの1番の近道なんだって
振り返ってみて、よーくわかった。
(ウン十年前の事だけどね)
そんな体験をしながら、10代の頃よりは少しずつ自分で自分を幸せにするスベを身に付け始めた私なのでした
…つづく…
ではでは
今日も 良き一日でありますように