幼児からの原動力 反骨精神は、協調性、創造性、自律性、挑戦性
・・・❣ と、いろいろな面での原動力になってきたと感じます。といいますのは、「大地の子」として満州で生まれ敗戦によって「引揚者」として内地に還り、6歳児で何とか親父も通っていた南浜幼稚園1年保育に入れてもらえた後、小学校を卒業しました。その幼年期に培われたのが、反骨精神だったと思います。負けず嫌いでありながら、目立つのは嫌で学級委員長は引受けず、みんなが嫌がる「美化班」掃除係を6年間やり遂げました。
郊外活動では親父が必ず同行「ウサギ狩り・芋ほり・田植え」・・・❣や、毎月クラスへ給食費集金に前掛けをしたままきていました。その関係かよく分かりませんが土曜日には先生4~6人が、親父を交えて友達のように歓談会食をしているのが不思議でした。卒業前年、卒業式で卒業生の中で10名「優等生」の表彰がありました。それを励みにしていた卒業式ては、差別になるととかで優等生表彰は取りやめになりガッカリしたのを覚えています。しかし、その代わり「努力賞」を戴けて納得していました。
高校時代へ継続 反骨精神はスポ-ツにおいても変わらず中学時代、担任長谷川純也恩師が顧問のバスケットボ-ル部へ勧誘されて練習で体力を鍛えられ、チームワ-ク・組織 を学びました。
桃山高校でもバスケットに入部草々6月に直腸炎で「入院生活」夏休みには校内での「合宿」初めての体験で、病み上がりではまだ無理だといわれましたが参加しました。自主的に参加していい体験をしました。
秋には「体育祭」3,000m走で、2位の結果で終った口惜しさを
バネに耐久力づくりに励み、翌年はマラソンに挑戦して「優勝」、努力は報われることを実感できました。日没後、校庭の真ん中の櫓に火が灯され、表彰されて嬉しかった「想い出」のグッズとして残しております。
未来を見据え・・・❣ 反骨精神は、❝ものづくり❞にも未来を見据えて、喜んでもらえるものづくりは普遍のものです。帽子業界もちょうど過渡期だと感じます。大正・昭和のロマン時代を知っている方と、平成・令和生まれと、価値観が全く違う世代が混在しています。それに伴い価値観も変化するでしょう。
❝ 時代が変わり価値観も変わっても、ものづくりの心は変わりません❣ ❞