もし、社会に出ないで、家族としか関わらない生活を続けたら、人はどうなるのだろうか? しかも、それを17年続けてしまったら? 実は、私がその経験者なのだ。

*これは、39歳を過ぎてから『思春期』を迎え、心を成長させるために奮闘する私の備忘録である*

17歳のある夏の日、友達から電話がかかってきて目が覚めた。時計を見ると、10時過ぎだった。その日は、文化祭の演目に向けて、わざわざお金を払ってリハーサル場所をとった日だった。青ざめるというより「もう、どうでもいい」と思った。私がやってしまった人生初のドタキャンだった。それが引きこもりのきっかけだった。

しかし、それはきっかけに過ぎない。原因は、母との関係性だった。

17歳の私は、母の期待の大きさに、深刻に悩んでいた。期待に応え続けているのに、一向にほめられない。「もっと上へ」と要求され続けた。成績も、クラス活動も、委員会も。唯一、要求されなかったのは、部活だった。けれども、私は部活が一番楽しかった。歌や踊りで自己表現できるのが、とても嬉しかった。

次第に私は夢を持つようになった。「宝塚音楽学校に入りたい」と。授業が全科目でダンスや歌、演技といった、魅力的なもので構成されていた。「一番端でもいいから、宝塚の舞台に立ってみたい」その思いは日に日に強くなった。

ある日、私は母に宝塚受験をしたいと打ち明けた。母は大反対だった。父を巻き込んで、私に攻撃的な言葉であきらめさせようとした。私はその時に約束をした。「私が宝塚を受けたいことは、まだ周りには言わないで。自分で決めたタイミングで言うから」大きすぎる夢を持っている自覚があったし、みんなに知られるのは恥ずかしかった。その時の私は、まだ、母を信じていた。

母を信じるべからずーーそれが発覚したのは、部活の保護者会があった翌日のことだった。練習時間になって、私が部屋に入ると、メンバーたちはなんとなくよそよそしい雰囲気だった。誰も私に話しかけなかった。その中でひとりだけ私に話しかけてくれたメンバーから、信じられない言葉が出てきた。

「てるちゃん、宝塚に入りたいの?」
 一瞬頭が真っ白になった。なんで知ってるの?という言葉が出てくる前に、彼女は様子を察したようだった。こう続けた。
「昨日の保護者会で、私の母が言ってたんだけど……てるちゃんのお母さんが、他のお母さんたちに言って回ってたんだって。『うちの子、宝塚に入りたいって言うのよ。困っちゃうわよ』って。あと顧問の先生に、『娘を部活させるために、この高校に入れたわけではない』って、はっきり言ってたらしくて」
はずかしさや、悔しさ、何より、信頼を裏切られた絶望に、涙を堪えるのが精一杯だった。
「でもね、私の母は、宝塚のファンで色々知ってるから『もし、てるちゃんがタカラジェンヌになったら必ず応援するよ。ファンクラブの立ち上げも私がやるから』って。だから、頑張ってね」

その日学校から帰宅したとき、私は、母にいきなりこう聞いた。「何で言ったの?」できるだけ怒りが伝わるように、努めて低い声を出した。しかし、予想外の展開に陥った。
 
続く