『地域で生きるアスペっ子』の津谷てる子です。


「てる子さんは、てる子さんのままで、素晴らしい」


 当時34歳だった私に、心からの気持ちで、この言葉をかけてくれた最初の人は、保健師さんでした。その保健師さんとの温かい思い出を書きます。


 保健師さんと言うと、赤ちゃん、子どもたちとその親をサポートをするイメージが強かったのですが、大人の障害者の相談にものってくれます。


 歴代の担当保健師さんにはそれぞれ思い入れがあります。『医療と制度の知識×地域の情報×優しさ=保健師さん』です。ひとり暮らしの心強い存在です。


 保健師さんとの出会いは、電話帳にのっている助けてくれそうな公共施設に、片っ端から電話をかけていた時でした。どこへかけても「それは管轄がちがうので◯◯のほうへかけ直してもらえませんか」の連続でした。なので、保健師さんにつながった時には、既に疲れきっていました。


 担当の保健師さんがわかったので、そのまま電話を切ろうとしました。その瞬間、呼び止められました。


「待って。何か困ったことがあったから、電話をかけてきてくれたんでしょう?」


 その一言が、私の心をぎゅっとつかみました。「あなたを助けたい」という気持ちが声からひしひしと伝わってきたのです。そうして、ぽつりぽつりと、困っていることを話しました。ぽろりぽろりと、涙が出てきてしまいました。


 それから、2年ほど担当してもらいました。その間「てる子さんは、てる子さんのままで、素晴らしいんですよ」という言葉を何度もかけてくれました。


 ある時、住んでいたアパートの水道が使えなくなりました。修繕の見込みがなく、ユニットバスの水を飲む生活になり、大ピンチでした。さまざまなトラブルや不安から、体調がどんどん悪くなりました。安定した住居を確保するため、保健師さんは、私のためにグループホームを懸命に探してくれました。


 そんな矢先に保健師さんの異動が決まりました。グループホームの入居の審査が迫っていました。しかし、それを待つことはできませんでした。保健師さんは移動前の最後の日に、こんな言葉をかけてくれました。


「私たち支援者は、てる子さんが望む生活を実現させるための道具のようなものです。なので、どうぞ私たちを上手に使ってください」


 今の私はグループホームを卒業し、地域で頑張って生きています。この姿を見せて安心してほしかったと、時々あの保健師さんのことを思い出します。たしかに毎日が精一杯で、余裕はないけれど、保健師さんのこの言葉を胸にしっかり刻んだので、私は大丈夫だと思えます。