中村哲さん | 三宮の不動産屋女社長奮闘記

中村哲さん

脳神経内科のお医者さんですが、

お医者さんとしてのイメージより、

作業服姿でブルトーザーに乗っておられる印象が強い方です。

 

先日、再放送のBSNHKのドキュメント番組で、また感動しました。

三回目かな、感動させていただいたのは?

 

杉原千畝さんと、中村哲さん。

 

世界に誇れる日本人の偉大なお二方だと思います。

数千のユダヤ人にビザの発行をし命を助けた杉原千畝さん。

杉原千畝さんのことは機会があれば、また書くことにして、

今回は中村哲さんのことを書こうと思います。

 

「砂漠を緑に変えたお医者様」

たくさんの形容がある方ですが、

小学生の教材にされる時に冠された形容。

この形容が一番わかりやすいのかなと思います。

 

三十歳すぎに山岳登山隊の帯同医師として参加されたとき、

医師にも診てもらえない人々への無力を体験し、

迷わず、登山遠征の終わった後にパキスタンの無医村に赴き、

その後、国境を越えた貧困地帯のアフガニスタンへ、

医療活動の傍ら、未曾有の干ばつに遭遇、

水があれば、食料が自給でき、病気も防げると。

 

こんなに短い文章で表せるものではありませんが、

30歳から50歳を、こんな感じで過ごされたのかなと思います。

 

「100の診療所より一本の用水路を」

砂漠に用水路を引こうと考えられ、

経験も無かった土木工事の勉強をされたのが50歳を過ぎた頃、

そして医療活動の傍ら、ブルトーザーの運転までされ、

現地の人々を先導されていったのです。

 

7年間の歳月をかけ、25キロの用水路ができ、

3000ヘクタールの畑ができたのです。

 

これも、こんな短い文章では表せない、言わば神の作業なのかもと。

 

31歳での登山参加が、この偉大な人生のきっかけとなった。

 

人生のターニングポイント。

人それぞれ、様々な出会いによるものなのだなあと思います。

偉大な人生で無くても、

すべての道程に意味があるものだと思いますし、

意義もあるものなのだと思います。

 

73歳で凶弾に倒れられた中村先生ですが、

その人生は語り継がれ、引き継がれていくものでしょう。

 

とうてい及ぶものではありませんし、

真似をしようなど大それた考えは持っていませんが、

自分の人生の軌跡の中にも、

何かしら人の役に立てることができればいいなあと考えます。