クーベルタン男爵の言葉だと習いました。
小学校での話ですが、
今はクーベルタン男爵と言っても、知ってる人が少ないというか、
60歳以上の人なら知ってるかなというくらいの感じなのでしょう。
アメリカの有力紙の記事で、
日本人のオリンピック出場者は、銀メダルを獲得しても、
謝罪する不思議な人種であると。
「メダル偏重」
日本のマスコミが作り上げてきた悪癖。
私は、そう思います。
あくまで私見、私の独り言なので、
違う考えの方は気になさらないでください。
「ある日走った、その後で、僕は静かに考えた、
誰のために走るのか、
日本のためのメダルじゃない
走る力の糧なんだ」
円谷幸吉さん
東京オリンピックのマラソン銅メダリストです。
1964年の東京オリンピックの話ですが。
上は、自殺された彼のことを歌ったフォークソングの一節です。
この頃は、マスコミの事前調査も今ほどで無く、
「金メダル確実」なんて情報が、
きっと、あまり拾えなかったものなのでしょう。
と、知ってるように言っていますが、
私は当時4歳、幼稚園にも行ってませんから、
後から拾い集めた情報なのですけれど。
とにかく、
「金メダル確実」のプレッシャーに押しつぶされそうになり、
金メダルが取れずに涙し、
謝罪するアスリートを多く見てきたように思います。
「参加することに意義がある」
私は、これでいいと思うのです。
皆さん血のにじむような努力をして、
もちろん優勝目指して頑張ってこられた、その結果なのですから。
何位であっても、胸を張れる権利をお持ちだと思うのです。
「金メダル確実」のフィギュアスケートの羽生さんが躓きのスタート。
逆転目指して頑張ってほしいと一ファンとしては思いましたが今回は残念でしたね。