本田宗一郎さん | 三宮の不動産屋女社長奮闘記

井深さんと並び称される日本の創業者と言えば、

”世界のホンダ”の本田宗一郎さんでしょう。

 

そのお二方が、親友だったなんて、

とても素敵なお話しです。

 

詳しくは知らないのですが、

本田さんが、自動車に使用するエレクトロニクスの依頼というか、

お願いのような相談、夢のような質問、

そんなお話しをソニーの井深さんのところに持ち込んだことが、

仲良くなられるきっかけだったとか。

 

本田さんは、けっして高学歴な方では無かったし、

井深さんは高学歴ではあったけれど、

学歴無用論を持論として持っておられた方、

どこか同じ香りがするお二人のような気がします。

 

井深さんは、工場の技術者に対して、

「君は、机の下で何を作っているのですか?」と、

本来の業務以外に、何に興味があって、

どんな研究をしているのかと問われたそうです。

社員の子息が小学校に入学するときにランドセルを送るというお話しは、前回させて頂きました。

 

空冷と水冷のエンジン比較で、若いエンジニアに非を認め、

社長を潔く辞められた本田さん。

そんな本田さんの逸話があります。

 

高級肉店で食事をとりながら社内の会議をするという話があった時、

「50人もが一堂に会して食事ができるのか?」と本田さんが聞き、

幹部以下の社員は弁当を食べるのだと聞いたとき、

本田さんは、「それなら俺も弁当を食べる」と即決。

そんな”オヤジさん”の本田さんだったそうです。


本田さんと井深さん、

明治39年生れの本田さん、

明治41年生れの井深さん、

そんな二人の素晴らしい創業者。

世界に通用した日本人。

世界から尊敬される日本人。

 

お二方の偉業を偲びながら、

親友の片方だけ紹介するのはもったいないので、

お二方とも、尊敬しながらご紹介しようと、

本田宗一郎さんのお話しでした。

 

足下にも及びませんが、

昭和の傑物たちに少しでも近づきたいと、

「人が好き」だった二人の親友の真心に学びたいと、

私なりの「誠心誠意」を精一杯生きていきたく思っています。