「敦盛」 | 三宮の不動産屋女社長奮闘記

織田信長の舞う謡曲の「敦盛」。

桶狭間の合戦に向かう前に舞ったとされます。

 

その有名な歌詞に「人間五十年・・・」という下りがありますが、

「人生は五十年ほどしかない」と言う意味ではないのです。

 

実は、人間界の五十年は下天(天界)の時間で言えば、

たった一日なのであって、夢幻のように儚いものなのだとの意味だとのことです。

 

鵯越、一ノ谷、

今は、私どものお仕事の戦場とでも言える場所のひとつですが、

その昔、源平の戦いの主戦場の一つで、

「敦盛」が、若い命を失った場所なのですね。

平清盛の甥であった平敦盛は、16,7歳の美少年だったそうです。

 

儚い、一瞬のような人生だったのですね。

 

話は「敦盛」から少し脱線しますが、

いくつの頃か、少女からは随分と大人になっていたと思います。

私は何故か死ぬことがすごく怖かった頃がありました。

 

まあ、未知の世界ですから、誰しも、死への恐怖は持つものだとは思いますが、死がもたらす寂しさへの恐怖とでも言うものだったのか、

とにかく、死ぬことが怖くて。

 

ある時、仕事で遅くなり、タクシーで家に帰った時のことです、

タクシーの運転手さんが、おいくつくらいだったのでしょう?

70過ぎだったのかと思います、

その運転手さんに、不躾な質問をしました。

 

「運転手さんは、私より随分年上だと思いますが、死ぬことを怖いと思ったことは、ありませんか?」

とんでもない、突然の不躾な私の質問に対して、

運転手さんは、嫌な表情にならずに、丁寧に答えてくださいました。

 

「う~ん、そうやねえ」

「お嬢さん、私くらいの歳になるとねえ」

「親はもちろんやけど、友達も数名が、もう亡くなっててね」

「慣れ、では無いんやけど、理解というか覚悟というか、心の中にそんなものができてきたかなあと思ったりするものなんですわ。」

 

「敦盛」をふと思い出して、

そこからタクシーの運転手さんの話を思い出して、

子供達のために「終活」的なことを考えたりしている今の私の歳に行き着いたものです(笑)。

 

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

 

と、悟りの境地のようにはまだまだたどり着けませんが、

たんとなく、解るようにはなってきました。

解るようになるには長いようで短く、

短いようで長い人生です。

 

天界の時間では一瞬なのでしょうが、

もう少し人間界の時間を過ごそうと思います。