小さなおばあさんの死 | 三宮の不動産屋女社長奮闘記

プライベートな話題が二回ほど続きましたので、

起動修正して、本来の不動産屋の四方山話に戻ろうと思います。

 

会社の近所のアパートをお世話させて頂いた「ご縁」の話です。

 

5年ほど前に会社の近くのアパートが地上げに遭い、

住んでいる6世帯の方が強制的に退去しなければならなくなりました。

 

立ち退かせることを専門に行っている業者がうちに来て、

「6世帯の人の代わりの住まいを探してほしい」と。

 

お世話をさせて頂いた方の中に80歳くらいの女性の方がいらっしゃったのですが、超短髪で細くて、アパートの外でノラネコやすずめにまで餌をあげている姿をよく見かけていました。

 

近所からは苦情も出ていましたが、仲良くなった私に

「お腹が空くのは、人間も猫もすずめも同じ」と言いながら、

生活保護を受けておられたのですが、いつも豪快に笑っておられました。

 

そして、すぐ近くの別のアパートをお世話させて頂き、引っ越されました。

 

引越して半年経った頃からだったと思いますが、

私のところに「5千円貸してくれへん?勝手言うて悪いなあ」と来られ、

お話を聞くと、ノラネコの餌代を買うお金が足りないと。

 

「生活保護受けてんのにわざわ買うてノラネコに餌をやるなんて、人に

言われるけどな。生きてるものはみんな一緒やろ」との理屈に少し笑いそうにはなりましたが、5000円お貸ししました。

 

「市から保護費が支給される日に必ず返しに来るから」とおっしゃって、

約束の日には、お菓子を添えて返しに来られました。

 

それ以降、毎月、約4年半、5000円を借りに来られ、翌月の1日に返しに来られるという事が続きました。

必ずお菓子か何かを添えて。

 

「気は遣わないでくださいよ」と言いましたが、お金だけを返しに来られたことはありませんでした。

 

月半ばに借りに来て、翌月初に返し、また月半ばに借りるというパターンでしたので、月のうち半分は「借りている状態」です。

 

でも、人懐っこく、憎めず、必ず約束は守ってくれ、金額も5000円より上がることはありませんでしたので、私は「もしも急に亡くなるようなことがあってもかまわない」という気持ちで快くお貸ししていました。

 

ところが今月、半ばになっても「貸して欲しい」の連絡がなく、

どうしたのだろう・・・入院でもされたのか・・・と、

借金にくる人を心配するものおかしいかもしれませんが、

気になっていました。

 

すると先日、その方の長年のパートナー(籍は入っておらず、家は別)のおじいさんが訪ねてこられ、

「○○さん、亡くなったもんでねえ」と。

おじいさんも少し前に脳梗塞を患われたので、歩くのもやっとです。

50年以上のパートナーだと聞いています。

 

貧しくも二人で支えあって生きてこられていました。

 

「お線香をあげさせてください」と、

私はパートナーのおじいさんのアパートへ一緒に行かせて頂きました、。

本当に小さな祭壇(台だけ)にお骨と花とろうそくと線香だけが置いてありました。

お位牌はありませんでした。

 

私は小さく分骨されたお骨を抱っこして、

「○○さん、おじさんに看取ってもらえてよかったね。

今度は天国からおじさんのことを守ってあげてね」

と、言って、アパートを後にしました。

 

おばあさんの80年余りの人生に思いをはせ、

「いろんなことがあったんやろうなあ」と・・・

 

長いようで短い人生

いつ死んでも良し

いつまで生きても良し

 

自分では何一つ決められない人生

そんなものなんやろうなあと思いながら

小さな小さなおばあさんの死がとても寂しいです。