なぜケアマネが支援内容を想定できるの? | 横に立つケアマネ論〜ひだまりの詩

横に立つケアマネ論〜ひだまりの詩

25年のキャリアで見出した、ただ「横に立つ」という支援の形。
利用者が眺める景色を、同じ向き、同じ温度で見つめながら、共に悩み歩むプロセスを大切にしています。
制度の枠を超えた「本来のケアマネジメント」とは何かを、現場の息遣いと共に綴るブログです。




「なぜ、ケアマネが支援内容を想定できるのだろう?」

最近、この疑問がどうしても頭から離れない。

もちろん、ケアマネが支援内容について考えてはいけない、という話ではない。

問題は、具体的な支援内容が見えてくる前の段階で、それを「想定される支援内容」として置いてしまうことにある。

アセスメントで、そこまで分かるのだろうか

アセスメントでケアマネが把握するのは、利用者の生活、意向、現在の状況、本人が望む暮らしとのズレなどである。

そこから、

「本人の望む暮らしに近づくためには、何が必要なのだろう」

という方向性が見えてくる。

しかし、その時点で、

「歩行訓練が必要だ」
「可動域訓練が必要だ」
「栄養指導が必要だ」

といった具体的な支援内容まで、本当に分かるのだろうか。

私は、ここには一つの工程が抜けているように思う。

支援内容は、専門性につないで初めて見えてくる

例えば、本人が「できるだけ自分で歩いて買い物に行きたい」と望んでいるとする。

アセスメントによって、

「移動について何らかの働きかけを検討する必要がある」

という方向性は見えてくる。

しかし、それが、

- 筋力訓練なのか
- 可動域訓練なのか
- 歩行方法の見直しなのか
- 福祉用具なのか
- 住環境の調整なのか

は、ケアマネだけでは決められない。

実際に本人を見て、状態を評価し、本人の意向を確認し、その専門性から検討してもらう。

そのプロセスを経て初めて、

「今回は可動域へのアプローチが必要だ」

という具体的な支援内容が見えてくる。

つまり、

アセスメントから支援内容が直接出てくるわけではない。

その間には、

「接続」と「検討」

がある。

「想定」より「接続」

ここが、私が今強く感じている違和感である。

アセスメントで必要なのは、

「想定される支援内容」ではなく、「本人の望む暮らしに近づくために必要なこと」

ではないだろうか。

「必要なこと」までなら、アセスメントで捉えることができる。

そして、その必要なことを、必要な専門性につないでいく。

そこで本人と専門職が一緒に検討する。

その結果として、具体的な支援内容が決まってくる。

この順番なら自然である。

ケアプランは、支援内容を発明する場所ではない

ここまで整理すると、ケアプランのサービス内容の位置づけも変わってくる。

ケアプランに「可動域訓練」と書くことが問題なのではない。

専門職との検討を経て、

「本人にとって必要である」
「本人も納得している」
「この方法で取り組む」

というところまで具体化されたのであれば、ケアプランにその支援内容を位置づければいい。

問題なのは、

専門職と接続する前から、ケアマネが具体的な支援内容を想定してしまうこと。

つまり、

「可動域訓練」と書いてはいけないのではない。
「可動域訓練」が見えてくるまでのプロセスを飛ばしてはいけない。

ということだ。

ケアマネの専門性は、支援内容そのものではない

ここまで考えると、ケアマネの専門性についても、少し違った見方ができる。

ケアマネの専門性は、

「どんな支援をするかを知っていること」

だけではない。

むしろ、

本人の望む暮らしを起点に、何が必要なのかを捉え、必要な専門性につなぎ、本人と専門職が具体的な支援を検討できるところまでプロセスをつくること。

そこにケアマネジメントの専門性があるのではないだろうか。

だから、具体的な支援内容は重要である。

しかし、支援内容そのものがケアマネの専門性なのではない。

支援内容は、そのプロセスの結果として生まれるものだからだ。

「解決策」を先に求めてはいけない

今、ケアマネに解決策まで求める場面がある。

しかし、そこでケアマネが具体的な解決策まで出してしまうと、専門職につなぐ前に、ケアマネが専門職の領域を先取りすることになる。

これは、ケアマネの専門性を高めているようでいて、実は逆かもしれない。

ケアマネに必要なのは、すべての解決策を自分の中に持つことではない。

「ここは自分だけでは分からない。だから、この専門性につなごう」

と判断できること。

そして、その専門性と本人をつなぎ、一緒に具体化していくこと。

それこそが、ケアマネジメントにおける「つなぐ」という専門性なのではないだろうか。

問いたいのは、支援内容ではない

だから、私はこう問い直したい。

なぜ、ケアマネが支援内容を想定できるのだろう?

まだ本人との具体的な検討をしていない。

まだ専門職にも接続していない。

まだ現場で専門的な評価もされていない。

その段階で、なぜ具体的な支援内容が見えることになっているのだろう。

もしかすると、私たちが見直すべきなのは、

「どんな支援内容を想定するか」ではない。

「支援内容が見えてくるまでに、どのようなプロセスを踏むのか」

こちらの方なのではないだろうか。

「想定」より「接続」。

そして、

「支援内容」ではなく、「支援内容が見えてくるプロセス」へ。

ケアマネジメントの専門性を、もう一度ここから捉え直してみたい。