横に立つケアマネ論〜ひだまりの詩

横に立つケアマネ論〜ひだまりの詩

25年のキャリアで見出した、ただ「横に立つ」という支援の形。
利用者が眺める景色を、同じ向き、同じ温度で見つめながら、共に悩み歩むプロセスを大切にしています。
制度の枠を超えた「本来のケアマネジメント」とは何かを、現場の息遣いと共に綴るブログです。


これまで、このブログでは、現場でケアマネジャーとして仕事をしてきた中で感じてきたこと、どうしても拭えなかった違和感について、たくさん書いてきました。


「これは本当にケアマネジメントなのだろうか」

「ケアマネジャーの専門性は、いったいどこにあるのだろう」

そんな問いを、何度も何度も繰り返してきました。

同じようなことを、少し表現を変えながら何度も書いてきたと思います。

でも、それは考えがまとまっていなかったからではありません。

長い時間をかけて、ようやく一つの場所にたどり着こうとしていたからです。

そして今、少しだけ景色が変わってきました。

これまでが「なぜなのか」を考える時間だったとすれば、これからは、

「では、どうしていくのか」

を考え、実際に動いていく時間です。



「適切なケアマネジメント手法」を読んで感じたこと

現在、ケアマネジメントの標準化や体系化が進められています。

その代表的なものの一つが、「適切なケアマネジメント手法」です。

私はこれを読んだとき、強い違和感を覚えました。

もちろん、知識として学ぶことに意味がないと言っているわけではありません。

しかし、何度読んでも、

「ここにケアマネジャーの専門性が見えてこない」

という感覚が残りました。

そして、考え続ける中で、一つのことに気づきました。

私には、

「意思決定支援のプロセス」が、すっぽり抜け落ちているように見えたのです。



今の制度の中で、私たちは何をしているのか

現在の制度内のケアマネジャーの仕事を大きく分けてみると、二つの側面があります。

一つは、制度を運営するための業務です。

給付管理、限度額管理、ケアプラン作成、提供票・利用票の作成、各種福祉サービスの申請、介護保険の更新・新規申請、住宅改修の理由書、福祉用具の理由書など。

もちろん、実際にはもっとたくさんあります。

しかし、これらを大きく括ってみると、

行政手続きとして整理できる仕事が非常に多い。

これは、制度を動かすためには必要な仕事です。

だから、それ自体を否定するつもりはありません。

問題は、

それだけではケアマネジメントの専門性を説明できない

ということです。



もう一つの仕事がある

ケアマネジャーには、もう一つの仕事があります。

それが、

利用者との対人援助を基盤にしたケアマネジメント

です。

困っていることがあって、ケアマネジャーと出会う。

そこから、

「本当はどうしたいのか」

「何を大切にしているのか」

「どんな暮らしを望んでいるのか」

を、本人と一緒に考えていく。

困っていることから、本人が望む暮らしを探していく。

そして、

そこに少しでも近づくためには、どうすればいいのか。

本人と一緒に考え、迷い、時には立ち止まり、また考える。

私は、このプロセスこそがケアマネジメントの専門性の中心にあるのではないかと思っています。

つまり、

「支援を決める専門性」ではなく、「本人と一緒に考える専門性」

です。


なぜ「意思決定支援」が抜け落ちるのか

ここまで考えて、もう一つ構造が見えてきました。

制度には、制度の目的があります。

一方、ケアマネジメントには、ケアマネジメントの目的があります。

この二つは、同じではありません。

制度は制度を適正に運営する必要があります。

限度額を管理する必要がある。

給付を適正に行う必要がある。

必要な書類を整える必要がある。

サービスを制度の中に適切に位置づける必要がある。

当然です。

ところが、その制度運営の仕組みの中に、本人との意思決定支援まで一緒に組み込んでしまうと、どうしても制度側の目的が強くなります。

なぜなら、制度は、

「本人と一緒に迷いながら考える」

ことを目的として設計されているわけではないからです。

制度にとって重要なのは、サービスが適切に提供され、必要な手続きが行われ、制度が適正に運営されることです。

その結果、

意思決定支援という、時間もかかり、答えも一つではなく、成果を数値化しにくいプロセスが、制度の中では後ろに追いやられてしまう。

そんな構造が見えてきました。



「ケアプランを作ってください」と頼まれているわけではない

ここで、もう一つ大きな問題があります。

ケアプランの有料化が議論される中で、

「では、利用者は何にお金を払うのだろう?」

と考えてみました。

利用者がケアマネジャーに、

「ケアプランを作ってください」

とお願いしてサービスを利用するでしょうか。

おそらく、そうではありません。

利用者が困っているからケアマネジャーに相談する。

生活の中で迷っているから、一緒に考えてほしいと思う。

どうしたらいいのか分からないから、話をする。

つまり、利用者が求めているのは、紙としての「ケアプラン」そのものではありません。

ましてや、給付管理や限度額管理、各種行政手続きに対して、利用者自身が直接的な価値を感じるのは難しいでしょう。

それらは必要な仕事です。

しかし、

「必要であること」と「利用者が価値を感じて対価を払いたいと思うこと」は、同じではありません。



では、どこに価値があるのか

私は、ここで初めて、少し違う景色が見えてきました。

利用者が困っている。

そこからケアマネジャーと出会う。

一緒に話をする。

困っていることの中から、

「本当はどうしたいのか」

を探していく。

そして、

「そこに近づくためには、どうしたらいいのだろう」

と一緒に考える。

この一連のプロセス。

私は、

ここにこそケアマネジメントの価値があるのではないか

と思うようになりました。

つまり、価値が発生するのは、

「ケアプランという書類を作った瞬間」ではなく、

困っている状態から、望む暮らしに近づいていくための意思決定を、本人と一緒に支えるプロセス

なのではないか。



「横に立つ」ということ

だから私は、「横に立つ」という言葉にたどり着きました。

前に立って、

「こうしたほうがいいですよ」

と導くのではない。

後ろから、

「これをやりましょう」

と押すのでもない。

本人より先に答えを決めるのでもない。

横に立つ。

同じ景色を見る。

本人の言葉を聴く。

迷いも含めて受け止める。

分からないことは、分からないまま一緒に考える。

そして、本人が自分の人生について意思決定していくプロセスに伴走する。

これが、私が考えるケアマネジメントです。



だから、これからは少し外側へ

ここまで考えてきて、私はこれからの方向性を一つ決めました。

意思決定支援のプロセスを起点にして、少しずつ制度の外側へ軸をずらしていく。

制度を否定するのではありません。

制度は必要です。

医療も必要です。

介護サービスも必要です。

行政も必要です。

ただし、それらを起点にするのではなく、

本人との意思決定支援を起点にして、必要なときに制度や社会資源につないでいく。

そのほうが、本人を主語にしたケアマネジメントになるのではないか。

そう考えるようになりました。

制度の内側から本人を見るのではなく、

本人の側から制度を見る。

この向きを少し変えてみる。

それが、これから私がやってみたいことです。



これは、最近思いついた話ではない

そして、この考えは突然思いついたものではありません。

20年以上、ケアマネジャーとして現場に立ってきました。

その間に出会った人たち。

うまくいかなかったこと。

制度への違和感。

研修で感じた違和感。

ケアプランを書きながら感じた違和感。

本人と話しているときに感じたこと。

「どうして、こんなに本人から離れていくのだろう」と思ったこと。

一つひとつは、小さな出来事でした。

でも、それらが20年以上かけて積み重なって、ようやく今の場所につながった。

だから、これは理論を最初につくって、あとから現場に当てはめようとしている話ではありません。

現場で感じた違和感を、一つずつ問い直してきた結果として、今ここにいる。

それが私の現在地です。



そして、「ひだまり」が生まれた

この先の話には、一人の方との出会いがあります。

その方との出会いを通して、私はさまざまな思いを聴きました。

そして、その方に少しずつ未来が見えてきた。

ある場所は、もともとは物置のような部屋でした。

そこが就労支援を行う場所になり、少しずつ整えられて、オフィスへと変わっていきました。

そして、ある日。

きれいになったその部屋に、日差しが差し込んできた。

その光を見たとき、ふと、

「ひだまり」

という言葉が浮かびました。

暗かった場所が、少しずつ変わっていく。

そこに光が差し込む。

未来が、ほんの少し見えてくる。

私は、この景色をこれからの物語の象徴にしたいと思いました。



そして、物語が動き出す

これから、その方との関わりが、私にとって制度外の自費サービスの最初のケースになる可能性があります。

これは、私にとって非常に大きな意味を持っています。

これまで考えてきたことを、今度は現実の中で試していくことになるからです。

「意思決定支援を起点にする」

「横に立つ」

「本人と一緒に考える」

「必要になったら制度につなぐ」

そんな言葉を、今度は実際の生活の中でどう形にしていくのか。

ここからが、本当の意味でのスタートなのかもしれません。

これまで私は、たくさんの「違和感」を書いてきました。

なぜ今の仕組みに違和感があるのか。

なぜ「適切なケアマネジメント手法」に専門性を感じられないのか。

なぜ「正解」を探す方向に進んでしまうのか。

なぜ本人より先に「あたり」をつけてはいけないのか。

なぜケアマネジメントは「治す」専門性ではなく、「一緒に考える」専門性なのか。

たくさん書いてきました。

もう、十分書いたのかもしれません。

もちろん、これからも問い続けます。

でも、これからは少し違います。

「では、どうするのか」

を、実際にやってみる。



過去と現在が、未来につながる

このブログも、ここから少しずつ変わっていくと思います。

これまでの記事は、いわば「なぜ、こうなっているのか」を考えるための時間でした。

これからは、その先です。

過去があった。

現在がある。

そして、その二つがつながって、未来へ向かっていく。

一人の人との出会いがあって、

一つの部屋に光が差し込んで、

そこから新しい仕事が始まろうとしている。

だから、このブログに新しい名前を添えることにしました。

横に立つケアマネ論

――ひだまりの詩――

「ひだまり」は、理想郷の名前ではありません。

実際に見た光です。

そこに至るまでの時間があります。

出会いがあります。

迷いがあります。

そして、その先に、まだ見えていない未来があります。

これから、その一つひとつを書いていきたいと思います。

制度の中で感じてきた違和感も。

20年以上かけてたどり着いた現在地も。

そして、これから実際に始めていくことも。

全部つなげて。

一つの物語として。

ようやく、物語が動き始めます。