本日は祝日のため、放射線治療はお休みです。 相変わらず目立った副作用もなく、穏やかに過ごせています。

 

昨日の記事では、父の看病における「後悔」についてお話ししました。その苦い経験から、「母親に対しては絶対に後悔しないようにしよう」と心に強く誓っていたのです。

 

しかし、そんな私の思いを揺るがす、残酷な現実が待ち受けていました。

 

 

元気だった母の「唯一の気がかり」

父が亡くなった後、母は一人暮らしになりました。 80歳を超えてはいたものの比較的元気で、毎日数キロのウォーキングやグラウンド・ゴルフを楽しみ、自分で車の運転をしてスーパーへ買い物に行ったり、友人を乗せてランチに出かけたりと、充実した日々を送っていました。

 

ただ一つだけ気になっていたのが、持病の「心房細動(不整脈の一種)」です。 過去に2回、「カテーテルアブレーション」という発作を抑える治療を受けてからは順調そうに見えましたが、再発しやすい病気でもあります。「発作は出ていない?」とことあるごとに確認し、「以前ほどひどくないから大丈夫」という言葉に少し安心しつつも、高齢の一人暮らしには不安が拭えませんでした。

 

一方、私自身も体調を崩していたこと(後にがんと判明します)があり、今年の3月に早期退職することが決まっていました。 「仕事を辞めて時間ができたら、これまで以上に母のために時間を割こう。一緒に旅行をしたり、たくさん話をしたりして、幸せな時間を過ごしてもらおう」——そう楽しみに考えていた矢先のことでした。

 

 

1月下旬の寒い日、職場に届いた緊急着信

1月下旬のある寒い日の午後2時頃、勤務中の携帯に病院から着信がありました。

「お母様が救急搬送されました。状態が極めて悪いので、とにかく早く来てください」

頭の中が真っ白になりながらも職場を早退し、妻と共に車で病院へと向かいました。

 

道中も「少しでも早く」と病院から何度か催促の電話が入り、焦る気持ちとは裏腹に、遠方だったため病院に到着したのは午後5時頃でした。

 

CCU(冠疾患集中治療室)のベッドに横たわる母の姿に、言葉を失いました。 無数のモニターやチューブに繋がれ、全身にひどい浮腫(むくみ)が出ており、顔もパンパンに腫れ上がって、元の面影はまったくありませんでした。

 

医師からの説明は、あまりにも過酷なものでした。

午後1時頃、訪ねてきた近所の方が異変に気づきました。呼び鈴を押した際、室内の奥で「バタン」と倒れた音がしたため、急いで中まで様子を見に行ってくださったところ、すでに意識を失い、嘔吐して倒れている母を発見。すぐに救急車を呼んでくださったそうです。

 

搬送時は意識不明で脈拍はほぼ触れず、モニター上の心拍数は分20~30回程度。重度の心不全との診断で、できる限りの処置はしたものの、医師からは「明日まで持てばいい方です。今夜覚悟が必要かもしれません」と告げられました。

 

正月に会った時はあんなに元気だったのに。これからやっと時間ができて、たくさん親孝行ができるはずだったのに——。 父のときと同じ、いや、それ以上の激烈な「後悔の念」が再び胸を締め付けました。

 

 

「死の一歩手前」から

駆けつけた姉と相談し、その夜は交代で病室に泊まり込むことになりました。反応のない母の手を握り、何度も何度も言葉をかけ続けました。

 

すると数時間後、呼びかけに応じるように母の指先がピクリと動いたのです。 やがて、声色こそ変わっていたものの、母から何かを力強く発する声が聞こえました。せん妄(一時的な意識の混乱)状態のため言葉の辻褄は合っていませんでしたが、「また母の声が聞けた」という事実に、わずかな希望の光が見えました。

 

医師からは「声は出せているが、データ上は依然として非常に厳しい」と言われ、万が一の葬儀のことまで頭をよぎるほどの失意に沈みましたが、ここから母は信じられない生命力を見せてくれたのです。

 

翌日になっても血圧は上が30~40程度と極めて低く、昇圧剤を最大限に使っても上がらない状態でした。さらに腎機能の急激な低下が見られたため、緊急透析を開始。「最期まで透析は外せないかもしれない」「多臓器不全になれば助からない」という厳しい現実が重くのしかかりました。

 

しかし、臨床的には極めて絶望的な状態にもかかわらず、母は目を開けて人の存在を認識するようになり、時間の経過とともに明らかに反応が良くなっていったのです。

 

医師の厳しい予測に反して日毎に状態は改善し、驚いたことに数日後には全身状態が安定。数日続いたせん妄も少しずつ収まり、元のしっかりとした会話ができるようになりました。

 

医師からも「あのようなショック状態からここまで回復した例は経験がありません。まさに奇跡です」「死の一歩手前でした」と驚かれたほどです。 諦めずに最善を尽くしてくださった医療スタッフの皆様には、感謝してもしきれません。血圧も回復し、腎機能も改善して、覚悟していた緊急透析も外すことができました。

 

 

退院、そして「二度と後悔しない」ための行動

一時は「もうだめなのか、命が助かっても寝たきりか、生涯透析が必要かも」と覚悟しましたが、約2か月間の入院を経て3月下旬に退院する頃には、なんと自力で歩行できるまでに回復していたのです。

 

ただ、長期入院によって足腰が弱ってしまったため、以前のような一人暮らしは難しくなり、最終的には「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に入居してもらうことになりました。

 

一度は覚悟した母の死。今こうして毎日笑顔を見せてくれることに、ただただ感謝するばかりです。

 

倒れてからの数日間、私は狂おしいほどの後悔に苛まれました。「もう二度と、こんな後悔はしない」と心に強く誓い、退職して時間ができた後は、遠方ながら週に2回ほど通い、病院の付き添いや買い物、日々の会話を大切に重ねてきました。

 

 

私自身の闘病と、これからの決意

しかし、その後に私自身の「がん」が発覚し、現在は治療のため自由には母に会いに行けない状況が続いています。 私が動けない間は、妻や姉に協力をしてもらいながら、私が元気に動けるようになるまで現状を維持してほしいと願っています。

これが、私が再び体験した「激烈な後悔」と、そこから得た教訓です。

 

高齢の母のため、そして私を支えてくれる家族のためにも、今自分が向き合っている病気から必ず立ち直る。その強い決意を胸に、これからも治療に励んでいきます。