今日からの連休(土日月の3日間)、放射線治療はお休みです。
現在も大きな副作用はなく、第1回目の抗がん剤治療から日数が経過するにつれて、むしろ体調が上向いているような気さえしています。味覚障害もなく食欲は旺盛で、気分はほぼ健常者と変わらない状態です。
今日は、同じ病棟に入院中の患者さんについて感じたことを書きたいと思います。
私のいる病室は4人部屋で、主に耳鼻咽喉科系統の患者さんが集まっているようです。 一人は、私より2週間ほど先に入院された70代の男性(仮にAさんとします)で、私と同じ中咽頭がんを患っておられます。その他の2つのベッドは数日から1週間程度の短期入院の方が多く、よく人が入れ替わります。
耳鼻科系統の病棟なので、もちろん全員ががん患者というわけではありません。ほんの数日で症状が軽快し、足早に元の日常生活へと戻っていく方もいらっしゃいます。その一方で、進行したがんと闘っている方もおられます。年齢層も、年配の方から若い方まで様々です。
ここには、日常生活ではあまり意識することのなかった「多種多様な健康度」の人たちが集まっています。 治療を終えれば元気に社会復帰できる人、進行したがんで日常に戻るのが困難な人、そしてその中間に位置する人。
ほんの数日前、がん宣告を受けて人生のどん底に落ちたような気持ちになっていた私ですが、この病棟には、私よりはるかに状態の悪い方、同程度の方、そして命には全く影響のない方が、隣り合って共同生活を送っているのです。
そんな環境の中で、初めて大病を患った私の心には、ちょっとした葛藤が生まれました。
まずは、症状の軽い患者さんに対して。
点滴を受けて数日で退院し、健康な日常に戻れる方を見ると、正直「いいなあ、私も早く元の生活に戻れたらなあ」と羨んでしまいます。
同時に、こんな風に他人を羨んでもいいのだろうかという戸惑いがあります。
そして反対に、程度の重い患者さんに対して。 私よりもかなり病状が進行し、きつい副作用で非常に辛い思いをされている患者さんがいます。
その方に対して、「自分はあそこまでひどくなくてよかった」と胸をなでおろしてしまう自分。
そんなことを思ってもいいのだろうかと、罪悪感のようなものを抱いてしまうのです。
特に、同室の年配のがん患者であるAさんの存在は、私の心に重く響いています。
Aさんは私と同じがんでありながら進行しているようで、口の開閉もままならず「導入化学療法」を受けておられます。
これは進行した局所がんに対して、まず抗がん剤でがんを小さくしてから放射線治療などに移行する治療法です(私の受けている化学放射線療法とは手順が違います)。
しかし、抗がん剤の副作用がかなり強く、治療を一時中止されたようです。
現在の放射線治療においても、照射されている頸部の熱感が強く部分的に発熱し、口腔内はひどく荒れています。
流動食さえ嚥下困難で、点滴で栄養を補っている状態です。ご本人は空腹で食べたくても食べられないらしく、睡眠中の呼吸も苦しそうで、まともに眠れていないご様子です。
何日も同室で暮らしていると、他人ではあっても「ちょっと遠い身内」のような感覚が芽生えます。
それゆえに、Aさんがいつも苦しんでいる様子を間近で感じるのは、非常に辛いものがあります。
たまに声をかけさせていただくものの、私がその苦しみを取り除いてあげられるわけではありません。
こうした辛い気持ちを避けるために、追加料金を払って個室に入るという選択肢もありました。
でも、数日間入院した今、私は「できればこの大部屋がいい」と思うようになりました。
短期の入退院が多くて騒がしくなる時も多々ありますし、Aさんの苦しみを近くで感じて胸が痛むこともあります。
それでも、ここには色々な患者さんがいて、それぞれが病気を克服するために闘っている。「がんで辛い気持ちになっているのは自分だけではないんだ」と実感できるのです。
病気の症状の重さは人それぞれですが、他人の病気と比較するのではなく、みんなが自分の病気に必死に立ち向かっている。中には孤独に苛まれている人もいるかもしれません。
自分が神様になって全員の辛さを一気に治せるわけではないし、他人の苦しみのすべてを理解する必要性もない。
今はそう割り切って、この入院生活を送ることにしました。
それでもやはり、同室のAさんのように本当に身近な人に関しては、心から「少しでも楽になってほしい」と願わずにはいられません。
他者を思いやるその祈りのような気持ちは、ひいては私自身の心の糧にもなるような気がするからです。
先日ブログに書いた「バランス」を意識しながら、これからも周りの入院患者さん(ある意味で戦友でしょうか)を、そっと見守る姿勢を続けていきたいと考えています。