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つれづれに

小学生くらいの子供のころ、よく「尊敬する人は?」なんて質問をされませんでした?

ぼくは、この問いに答えるのは苦痛でしたね。だって、尊敬する人なんていなかったから。

わたくしアマノジャクだからそう思うだけかもしれないけど、物の道理もわからない子供が、大人を尊敬することなんて、そんなにあることじゃないですよ(皆無とはいわない)。

ところが!

大人になると、生きることの大変さが身にしみてわかるじゃないですか。そうするとまず、親のありがたみがわかるときが来る。

さらに、偉人と呼ばれる人たちが、どんなに苦労して、その仕事を成し遂げたかを理解できるようになって、やっと「尊敬」って言葉が使えると思うんですよ。

ながーい、前振りですが、ネルソン・マンデラ氏は、間違いなく尊敬に値します。

マンデラ氏が亡くなって2日後くらいに、彼の残した名言が、アメリカのニュースサイトに載っていたんですが、重いですよ、ホントに。

昨日、表現の自由について書いたからじゃないけど、まず、この言葉が心に残る。

「自分がどれほどその習慣に誇りを持っていようと、自分自身の習慣に照らして他者を断罪する権利は一切ないと思うようになった」

これは、アパルトヘイトを差しているのではなくて、すでにアパルトヘイトは廃止されて、彼が政治家として活動している後年の言葉だと思います。おそらく、自分自身をふり返ってみて、マンデラ氏でさえ、自分の常識や習慣を他者に押しつけてはいないかという自戒の念なのかも。

これはねー、言うは易く行うは難しですよ。ぼくもずいぶん、自分の常識や習慣で他者を評価してきたように思います。これからもたぶん、無意識にやっちゃうんだろうな。でも、たまにはマンデラさんの言葉を思い出さなければ。

そして、やはり表現の自由にも繋がります。「それは良くない表現だ」という理由で著作物を排除する社会は、それを書いた人も社会的に排除するかもしれません。とくにいまのネット社会は、人の信用を傷つけることが簡単ですもんね。

あと、もう一つ。マンデラさんらしい、お言葉。

「生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから」

どうですか。マンデラさんだからこそですよ。言葉の重みが違う。

ぼくが似たようなことを考えて、似たようなことを発言したって薄っぺらでしかないけど、マンデラさんだと、ずしんと重いです。

大人になると、大人を尊敬できるようになりますな。いや、ホントに。