ラフマーン物語の続きです。
4
「こっちよ」
納屋を出たハディージャは、大通りとは逆の方へ向かった。
「街を出るには遠回りだけど、スークを通らない方がいいわ」
「賛成だ」
ラフマーンは、ハディージャのあとに続いた。
「きみの方が土地勘がある。任せるよ」
「うん。あ、あの……」
「なんだ?」
ハディージャは、喉元まで、一緒に連れていってと出かかり、その言葉を飲み込んだ。自分がラフマーンについていっても、足手まといになるだけだ。
「ううん。なんでもないの」
ハディージャは、首を振った。
そのとき。後ろの方から、男たちの声が聞こえてきた。
「来たぞ」
と、ラフマーン。
早くもハディージャのいた納屋が取り囲まれたらしかった。やはりラフマーンの直感は正しかったのだ。
ハディージャは走った。もう自分の命などどうでもよかった。ラフマーンを逃がさなければ。それだけが頭にあった。
だがハディージャの願いは、アッラーに届かなかった。民家の密集地を抜けたところで、さっきの大男と、その仲間たちが待ち伏せをしていたのだ。
「やっぱり、こっちを通りやがったか」
大男がニヤリと笑った。
「そ、そんな!」
ハディージャは、自分の判断の甘さを呪った。
「ラ、ラフマーン……ごめんなさい」
「気にするな」
ラフマーンは、落ち着いた声で言った。
「相手が一枚上手だった。それだけのことだ」
「でも……」
「ハディージャ。悲観するのは、死んでからにしてくれ。ぼくらはまだ死なない」
ラフマーンは剣を抜いた。
相手は七人。しかも、剣の訓練も受けていないチンピラばかりだ。
「おまえ」
ラフマーンは大男に言った。
「あのまま家に帰っていれば、死に急ぐこともなかったろうに」
「ふん」
大男は、口元をゆがませた。
「いつまで、そんな威勢のいいことを言っていられるかな?」
「それは、こちらのセリフだ」
ラフマーンは、もはや必要がないと言わんばかりに、顔を隠していたベールと、ターバンさえ脱ぎ捨てた。ブロンドの髪が、夜の闇でさえ輝いて見えた。
「野郎ども、やっちまえ!」
それが合図だったかのように、大男が叫んだ。
つぎの瞬間。一人の男が首から血しぶきをあげた。ラフマーンが風のように飛び出し、一番近場の男から片づけたのだ。
「うっ、うわあ!」
男たちは、突然の出来事に驚きの声を上げた。まだ剣を抜いてさえいなかった。そして、剣に手をかけようとしたとき、自分の腹からも、血が吹き出しているのを知った。
ラフマーンは、二人の男を斬ったあと、くるりと向きを変え、やっと剣を抜いた男の腕を切り落とした。そして、剣を空中で左手に持ち替え、自分を後ろから切りつけようとする男の気配を頼りに切り崩した。
ラフマーンは想像を絶するほど強かった。もともと剣の才能に恵まれていただけでなく、物心つくころから、一流の剣士に剣技をたたき込まれてきたのだ。彼が十六になるころには、ラフマーンに剣を教えることのできる剣士はいなかった。
強くあれ。それが祖父ヒシャームがラフマーンに望んだことだった。ヒシャームは、自分の息子を、つまりラフマーンの父を甘やかして育ててしまった苦い経験があった。ラフマーンの父は、みなから、カリフの器ではないと見なされていた。実際、ラフマーンの父は、プレイボーイ以外の何者にもなれなかった。ヒシャームは息子をカリフにすることができず、彼の亡くなったあと、ウマイヤ家の中で内紛が起こったのだった。
「や、やべえ! 強すぎる!」
四人もの仲間をあっと言う間に倒されて、残った男たちは狂ったように剣を振り回した。ラフマーンにとっては、子供の遊びにつきあっているようなものだった。
だが、そこに油断があった。
「きゃーっ!」
ハディージャが、リーダー格の大男に捕らえられた。
「ハディージャ!」
ラフマーンは、視界の隅でハディージャの姿を捕らえていたが、すぐに助けるわけにはいかなかった。狂ったように剣を振り回す男たちが行く手を阻む。
まったくバカに刃物を持たせるとタチが悪い。ラフマーンは、地面をけって、男たちの顔に砂をかけた。
「うっぷ! 卑怯だぞ!」
殺し合いに卑怯もくそもない。ラフマーンは名より実を取らねばならないのだ。砂で目をつぶした男の首を切り、べつの男は胴に飛び込んで腹に剣を突きたてた。
六人を倒し、ラフマーンはハディージャを捕らえた男に向き直った。
「そこまでだラフマーン!」
大男は、ハディージャの首筋に短剣を当てて叫んだ。
「女が死ぬぞ!」
「まったく……」
ラフマーンは、肩をすくめて見せた。
「おまえたち悪党のやることは創造性がないな」
「なんとでも言いやがれ。剣を捨てろ」
「断る」
「なんだと? 女が死ぬぞ」
ラフマーンは、剣を大男に向けた。
「名を聞いておこう」
「なんだと?」
「おまえの名だ」
「ム、ムハンマドだ」
大男は、思わず答えた。
「ムハンマド」
ラフマーンは低い声で言った。
「ハディージャが死んだとき、おまえの命もない。痛みも感じずに死ねると思うなよ。おまえはとくに念入りに殺してやる。その薄汚い目玉をくり抜かれる痛みを想像するがいい」
ラフマーンは、一歩ムハンマドに近づいた。
「ひっ……」
ムハンマドは、ラフマーンのあまりの眼光の鋭さに足が震えた。
「さあ、どうする。ハディージャを離せば命だけは助けてやる」
そのとき。ハディージャが、さらに追い打ちをかけた。
「ラフマーン。あたしはいいから、こいつを殺して。生まれてきたことを後悔するほどむごい死を与えて」
「バカ野郎、黙れ!」
ムハンマドは、ハディージャに叫んだ。
「バカはどっちよ!」
ハディージャも負けずに叫んだ。
「あんたたち、アッバースと関係ないじゃない! なんで彼を狙うのよ!」
「ヤツにどんだけの賞金がかかってると思ってるんだ。ラフマーンの首を持っていきゃあ、一生遊んで暮らせる金が手に入るんだ」
「そんな理由で……」
ハディージャの声が震えた。
「おまえのことをアッラーは絶対にお許しにならない。呪われて死ぬがいい!」
「もういい、ハディージャ」
ラフマーンが言った。これ以上、時間を引き延ばすのはマズイ。騒ぎが大きくなっている。アッバースの兵士たちのもとにも、すでに自分の居場所が伝わっているだろう。
「さあムハンマド。地獄の業火に焼かれるか、明日も生きて朝日を拝むか。どちらかに決めろ」
そのとき。幸運はムハンマドに訪れた。
「こっちだ! いたぞ! ラフマーンだ!」
アッバースの兵士たちが、スークの方から集まってきたのだ。
「逃げて!」
ハディージャは、喉が焼き切れるほどの声で叫んだ。
「逃げて、ラフマーン!」
ラフマーンは、ちらりと後ろをふり返った。まだ退路があった。いまなら逃げきれる。
だが……
ラフマーンは逃げなかった。数カ月前。ユーフラテスの河畔の街に潜んでいた彼は、アッバースの急襲にあった。そのとき、彼を慕い、一緒についてきた女子供を、置き去り同然にして逃げたのだ。そうするしかなかった。だが……そのあまりにも苦い思いは、ラフマーンの心に楔のように打ち込まれていた。
もうだれも死なせたくない……
ラフマーンは、アッバースの兵士たちに取り囲まれた。
「うへへへ。形成逆転だな、王子さまよぉ」
ムハンマドの態度が、急にでかくなった。
「女をかばって死ぬとはバカなやつだ。うははははは!」
「やめろ」
と、アッバースの兵士の中から、ひときわ立派な鎧を着た、壮年の男が出てきた。
「ラフマーン殿は、ウマイヤ家の公子だぞ。礼儀をわきまえろ」
「へ?」
ムハンマドは、その兵士に首をかしげた。
「でもよぉ、こいつは、あんたらの敵だろ」
「そうだ。ラフマーン殿ほど敵として立派な方はいない。礼儀を示さねば、アッバースの名折れだ」
「けっ。どうでもいいや。オレは金さえもらえればそれでいい」
「ゲスめ」
アッバースの兵士はムハンマドを見下げると、ラフマーンに向き直った。
「ラフマーン殿。わが名は、イブラヒーム。アッバースの協力者が無礼を働いたこと。お許し願いたい」
「そう思うなら、女を離せ」
「よかろう」
イブラヒームは、ムハンマドを冷たい目で見ながら言った。
「女を離せ」
「勝手にしやがれ」
ムハンマドは、ハディージャを離した。
「ラフマーン!」
ハディージャは、ラフマーンに駆け寄り、彼の腕を抱いた。
「あんたバカよ! なんで、逃げなかったのよ!」
「ぼくは……」
ラフマーンは、眉間にしわを寄せ、苦渋に満ちた顔で言った。
「一族をすべて殺された。父も母も妹も。一緒に逃げた弟は目の前で殺された。もうたくさんだ。だれも失いたくない」
「でもでも……あんたが死んじゃったら、だれがウマイヤ朝を再興するのさ」
「死にはしないさ、今夜はな。ハディージャ。二度とぼくから離れるなよ。少々荒っぽくいくぞ」
「まさか、突破するつもり?」
「そのまさかだ」
ハディージャは、ラフマーンの瞳を見つめた。彼の瞳から輝きは消えていなかった。死ぬ気じゃない。この人は、まだ諦めてはいないんだ。
「はい」
ハディージャは、その瞳に吸い込まれるように答えた。
「あなたを信じます」
「最後のお話はお済みか」
イブラヒームが言った。
「貴殿に恨みはないが、その首を頂戴いたす」
「ご期待には添いかねる」
ラフマーンは、剣先をイブラヒームに向けると、ハディージャをかばうように背中に回した。
「わが道に立ちふさがるなら、おまえたちこそ、その命はないと思え」
そのとき。一陣の風が吹き、ラフマーンの黄金の巻き毛が風に舞った。その姿は、まるでライオンのようだった。
百獣の王。
ハディージャは、ゾクッと鳥肌がたった。敵をにらむラフマーンの精悍な顔は、まさに王者のそれだった。恐ろしいほど美しい。
そう感じたのは、ハディージャだけではなかった。いや、ハディージャ以上に、アッバースの兵士たちの方がラフマーンに畏敬の念を感じたようだった。それが証拠に、彼らは額から冷や汗を出して、二、三歩、あとずさった。
だが、その中の、まだ分別を知らぬ若い兵士が、仲間を押し退けて前に躍り出ると、ラフマーンに斬りかかった。
ラフマーンは、軽い身のこなしで兵士の一撃をよけると同時に、剣を兵士の脇腹に突きたてていた。
兵士は、あまりにも一瞬のことで、自分が斬られたことがわからず、剣を構え直そうとしたが、つぎの瞬間、げほっと、口から鮮血を吐いて倒れた。
「なぜ」
と、ラフマーンは、苦い顔で若い兵士の遺骸を見つめているイブラヒームに言った。
「ウマイヤ家がイスラムの王者になったか。その理由がわかるか?」
イブラヒームは、なにも答えなかった。
ラフマーンは続けた。
「それは、わが一族が、だれよりも強く勇猛であったからだ。その末裔たるわたしと剣を交えるおまえたちは幸運だ。わが名をその胸に刻んで死ぬがいい」
「おまえたち下がれ」
イブラヒームが言った。一人前に進み出る。一騎討ちの誘いなのは明らかだった。
アラビア人の戦法は、スフーフという長い横の隊列を作って敵と対峙し、敵味方双方から名乗り出た勇士たちが、両陣の中間で一騎討ちの勝負をするのが伝統だった。
だが、その伝統的だが意味のない戦法を、近代的な戦法へと変えたのは、ウマイヤ朝のカリフ、マルワーン二世だった。ラフマーンの祖父、ヒシャームの叔父だ。ラフマーンが、ウマイヤ家を、だれよりも強く勇猛であったと言ったのは、誇張でも脅しでもなく、歴史的事実なのだ。ウマイヤ家はだれよりも戦争に長けていたのだから。
「これだから年寄りは困る」
ラフマーンは苦笑すると、躊躇なく、腰に差していた短剣をイブラヒームの額にめがけて投げた。
「あっ」
と、兵士たちの間から声があがったとき。イブラヒームは額に短剣が突き刺さった姿で、彫刻が崩れるように絶命した。
「隊長!」
兵士の間に動揺が走った瞬間。
いまだ!
ラフマーンは、ハディージャを抱え、アッバースの兵士の円陣の中に飛び込んだ。兵士を立て続けに五人切る。
円陣がほころび、道が開いた。ラフマーンは、その機を逃さなかった。円陣の隙間に滑り込むように入り、兵士を三人切り崩して、外へと飛び出した。
アッバースの兵士たちは、大混乱に陥った。だが、すぐに態勢を立て直し、ラフマーンを追った。
「ダメ、あたし走れない!」
ハディージャが叫んだ。
「諦めるな!」
ラフマーンは、ハディージャの手を離さなかった。
そう叫んでみたものの、状況は悪かった。このままでは追いつかれる。アッバースの兵士の数は、二十人はいるだろう。
さすがに無理か……
ラフマーンがそう思ったとき。
「殿下!」
路地裏から、バドルが飛び出してきた。
「やっぱり、こんなこったろうと思ったぜ!」
「バドル! 街外れの泉で待っていろと命令したはずだぞ!」
「そりゃこっちのセリフですよ!」
バドルは、ラフマーンに並んで走りながら叫んだ。
「街の連中が騒いでるんで、気になって来てみたら、やっぱり殿下が原因だ! ここはオレが食い止めます。殿下は逃げてください!」
「どうして、ぼくのまわりには、お節介な連中が多いのか!」
「なんか言いましたか!?」
「お節介だと言ったんだ! だが、半分はおまえにくれてやる!」
ラフマーンは、立ち止まり、追ってくるアッバースの兵士たちに向き直った。
「殿下。逃げちゃくれないんですね」
バドルは、諦めたかのように苦笑した。
「当たり前だ。おまえよりぼくの方が強いことを忘れるな」
「はいはい。もう諦めましたよ。半分は殿下に任せます」
「よし」
ラフマーンは、ニヤリと笑った。
「行くぞ、バドル! ついてこい!」
ラフマーンは、アッバースの兵士たちに向かって走った。
バドルも、後れをとるまいと、雄叫びをあげながらラフマーンを追った。
「うおおおおーっ!」
5
サーリムは、街外れの泉で、ラフマーンたちを待っていた。
「遅いな……このままじゃ凍え死んでしまうよ」
彼は、ラフマーンの妹の開放奴隷だった。開放奴隷とは、奴隷として売られては来たが、一般市民と同じ待遇を与えられた者たちのことだ。将軍になるのさえ夢ではない。だがサーリムは、戦いには不向きだった。主人を守るために、それなりに剣の技も磨いてはいたものの、剣士としては気が弱く、むしろ料理が得意な男だった。
「ううう。寒い」
サーリムが、自分を抱くように腕を組んだとき。
「いやあ、相変わらずお見事な腕前です」
バドルの陽気な声が聞こえてきた。
「まったく、殿下の剣技は、何度見ても惚れ惚れしますな」
「バドルこそ、大したものだったぞ。右から切りつけるヤツを、回転しながら左手で切り倒したのは見事だった。だれに教わった?」
「ははは!」
バドルは笑った。
「あんな無茶な戦法、だれにも教わったことはありません。ただ、殿下のマネをしてみただけですよ。お、サーリム。お待たせ!」
「バドル! 殿下!」
サーリムは、ラフマーンたちに駆け寄った。
「あれ? この女は?」
サーリムは、ハディージャを見とがめた。
「ハディージャだ」
と、ラフマーン。
「ぼくの命の恩人だよ」
「まさか!」
ハディージャが、驚いた声を出した。
「あたしの命を救ってくれたのはラフマーンじゃないの!」
「こら」
と、バドル。
「また殿下を呼び捨てにしやがった」
「あ、ごめん……」
「バドル。怒るなよ。それより、おまえたちもこれからは敬語を使うな」
「なんでですか?」
「街で敬語を使われたら、ぼくの正体がバレるだろうに」
「そうでなくてもバレますよ。オレは断じて、ため口なんか利きませんからね。断じてです。そんな命令は、絶対に聞けません」
「頑固だなあ」
ラフマーンは苦笑した。
「まあいい。サーリム。そういうわけで、今日からハディージャも、ぼくらに同行することになった。仲良くやってくれ」
「よろしくね、サーリム」
ハディージャは、サーリムにウィンクした。
「はあ?」
サーリムは、首をかしげた。
「そういうわけって、どういうわけなんですか? わたしは、サッパリわけがわかりませんよ」
「ははは」
ラフマーンは笑った。
「あとで、ゆっくり話してあげるよ。ぼくらのちょっとした冒険をね」
「そうよ。ラフマーンってば、むちゃくちゃカッコよかったんだから!」
「あ、また呼び捨てにしやがった!」
「ふんだ。ラフマーンがいいって言ったもの」
「だからっておまえな」
「こらこら」
ラフマーンがバドルとハディージャの間に入った。
「仲良くしなきゃダメだろ。もうハディージャは仲間なんだから」
「そうだよ!」
ハディージャは、ラフマーンの左腕に抱きついた。右腕は怪我をしているから。
「もう二度と離れないからね。覚悟してよね、ラフマーン」
「はいはい。こちらこそよろしく。ハディージャ先生」
ラフマーンは陽気に笑った。
「ったくもう。先が思いやられるぜ」
バドルは、苦笑を浮かべたのだった。
ラフマーンたちに訪れた、ひとときの安堵。
だが……
これは、長く辛い旅路の、始まりにすぎなかった。
おわり。
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あとがき。
ラフマーン一行の、一夜の物語。いかがでしたでしょうか。
ここでお断りです。バドルとサーリムは実在の人物ですが、ハディージャをはじめ、その他の人物は、すべて筆者の創造です。もちろん、この一夜の物語すべてが、創作物であり、記録に残っている実話ではありません。歴史フィクションとしてお読みいただければ幸いです。
ただし。千夜一夜風にはじめた序文に書いたラフマーンの逃避行、そして本文中にも登場したウマイヤ朝のカリフの名前、さらにウマイヤ朝のカリフが、近代的な戦法を編み出したくだりなどは、すべて史実に基づいています。つまり、この物語に記された歴史の大きな流れは、けっして創作ではありません。
しかし……
そもそも、ウマイヤ朝は、まだ謎に包まれた王朝です。なぜなら序文に書いた通り、ウマイヤ家に対するアッバース家の弾圧はすさまじく、ウマイヤの遺跡は、ほぼすべてアッバースによって破壊されてしまったからなのです。
残念ながら、現代においても中東の情勢は安定せず、ウマイヤ朝の姿を知るための発掘作業は進んでおりません。
とくに、ウマイヤ家の故郷であるシリアには、有力な遺跡が埋まっている可能性が指摘されていますが、あの国がいま、考古学どころの騒ぎでないのは毎日のニュースで伝える通りです。
ですが、われわれがイスラムという言葉に抱くイメージと、彼らの歴史はまったく違うのです。ぼつぼつと……本当に牛の歩みのごとくではありますが、当時の文書なども発見され始めましたので、今後は、ウマイヤ朝の姿が、より鮮明にわれわれの前に姿を現すことを期待しましょう。
なお、この物語をお読みになって、ラフマーンに興味を持たれた方は、ぼくのサイトに、フィクションではなく、歴史の教科書ふうに書いたエッセイもありますので、そちらもお読みいただけると幸いです。
そのエッセイでは、ラフマーンが後ウマイヤ朝を再興し、そして孤独に死んでいくまでの姿を描きました。
エッセイ版「クライシュ族の鷹」。