鏡は横にひび割れて(クリスティの心理学⑥) | 英語は度胸とニューヨーク流!

鏡は横にひび割れて(クリスティの心理学⑥)

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だいぶ間が開いたのでもはや連載とはいえませんが、
久しぶりにアガサ・クリスティの作品を紹介します。

今回の作品は本題 The mirror crack'd from side to side
ハヤカワ書房でのタイトルが『鏡は横にひび割れて』です。
この長いタイトルは19世紀の有名なテニスン卿の抒情詩 Lady of Shalott から引用されています。
狭い世界に閉じ込められ現実を見てはいけない運命を背負ったシャロットの姫が、
鏡を通さずに見てしまった外の世界。
そこで恋したランスロット卿を追ってボートに乗るが、彼のもとに行き着いたときにはすでに息絶えていた、
というロマンティックなヴィクトリアンポエムです。
塔に閉じ込められたラプンツェルというグリム童話にも似た題材ですが、テニスンの詩が後のようです。

クリスティの本作は、有名女優のパーティ会場に招ばれたその土地の女性、
活動的だがなんの特別なところもない一市民が、カクテルに毒を盛られ死亡する、
という事件の謎解きとなっています。
やがて真に狙われたのはその女優だったということになり、彼女がそのパーティ中に
ほんの瞬間浮かべていた「凍りついた表情」をたとえて、このテニスンの一節が紹介されるのです。
ちなみにこの詩の一節とは
The mirror crack'd from side to side;
"The curse is come upon me," cried
The Lady of Shalott.
(鏡は横にひび割れた;「呪いが我が身に」シャロット姫は叫んだ)

このヴィクトリアンロマンをモチフにした本作に登場するのは、もちろんヴィクトリア的老婦人ミス・マープル。

イギリスの小さな村にも押し寄せる時代の波に舌打ちしながらも、潔く受け入れている彼女の得意技は、
一見全然違って見える人たちの中に、自分の知人との共通点を見つけること。
いわば長く積んできた観察眼という経験を通して、さまざまな人々のもつ傾向というものを見抜くのが得意で、
それが推理に生きてきます。
難しく言えば相似性と相対性をもとに、物事の核心にせまることができる人です。

何も変わったことが起きないような小さな村は、彼女の甥の言葉を借りれば「よどんだ池の水のよう」
しかし「よどんだ水の一滴も、顕微鏡でみればさまざまな生き物がうごめいているものよ」と切り返します。
時代や場所が変わり、人々の服装や街の様相は変わっても、人間の本質はあまり変わらない、といいます。
ほんとにそのとおりですよね。

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さて今回のテーマに挙げたいのが、推理のヒントともなる、ワシが以前書かせてもらった『無知の罪』
ここでいう無知とは、世間一般にいわれる「オバカ」とは一線を画し、
「知らないでいること、認識せずにいること」という意味。
ただ知らずにいたことが、他人にとっても自分にとっても悲劇を起こす原因となりうる、ということです。
悪意がない分、手加減もないため、とんでもないことが起こりがちです。
悲惨な人身交通事故などもこれにあたると思います。
まさに知らなかったでは済まされない、自分のしていることが他人に及ぼす影響。

最初の被害者はまさに、このために殺されたようなものでした。
善意にあふれ、土地の慈善団体でもエナジェティックに働く彼女。
自分に満足し、他人に親切。ただ一つ欠けていたのが、「これは他の人にも同じだろうか」という疑問。
これに関してはミス・マープルが2,3度にわたって説明していますから省きます。

バタフライイフェクト、とまではいいませんが、よかれと思ってすることにも、無意識にしていることでも、
やはり他人への影響を配慮するということが欠かせないとわかります。

舞台で成功を収め、ハリウッドにも進出している有名女優。
しかし精神的には不安定で絵に描いたような幸せがあると信じる彼女のまわりで、
事件は続きます。
現実を受け入れることも、過去を葬り去ることも、未来を今の延長ともとれない彼女は、
まさに場面場面をドラマと捉える女優気質。
昔も今も若い女性にはこのドラマ体質が多いですよね。
悪くいえば自己中心的。よく言えばカワイくて、観てて飽きないかも?

やがて来るエンディングでもシャロットの姫の最後の節が引用され、
作品そのものがラファエル派の一幅の絵のように感じられるものとなっています。
テニスンのこの詩は、19世紀の絵画のテーマとして人気があったからです。

本作は、エリザベス・テイラー主演で1980年にハリウッドでも映画化され、
日本では『クリスタル殺人事件』として公開されています。
肝心のミス・マープル役が、体のがっしりした女優アンジェラ・ランズベリーだったので、
原作の細く弱々しいマープル像とは少し違いますが、かなり忠実に仕上げられていたので、楽しめました。

とかく他人がどう思うかを気にしすぎる日本人には、
この無知の罪はあまり注意する必要もないかもしれません。

しかし、それでも晴天の霹靂といえるようなことが起こったときには、
もしかして、自分が導いた結果なのかも?という疑問は
ネガティブな意味ではなく、人生経験として心に留めておくのもいいかもしれませんね。
『反省』するのではなく、あくまでも『経験値』を高めるために…。

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