無知の罪 The Sin of Ignorance

ワシが中学生の時、国語の先生に聞かされたことがあります。
無知は罪なり。Ignorance is a sin.
これはブッダが説いた言葉のひとつだと言ってましたが、
ググってみるとソクラテスの名前が圧倒的に出てきます。
でもこのことはまた後で。
先進世界の司法制度では、やる意思はなかった、自分はそうなるとは知らなかった、ということで、
計画的に罪を犯した場合より、刑は軽減されます。
仕方ないこと、不可抗力といったものが加味されるんですね。いわゆる「酌量の余地あり」?
もっともです。
自分がもし間違って何か悪い結果を引き起こしてしまった場合、
わざとやった人と同じ扱いを受けたら、ちょっと違うだろって思うかも。
英語で言えば、
I did it by mistake (or accidentally).=間違ってやった
You did it on purpose (or deliberately).=わざとやった
この違いです。
前者は日常会話でよく聞きます。人はしょっちゅう間違ったり、事故ったりしますよね。
一方、被害を受けた場合は、相手がわざとやったんだと責める時に後者を使います。
さてワシの先生はなんで無知が罪なのか、時は過ぎたけど説明はこんな内容でした。
たとえば君が崖の上に立って景色を眺めてたとする。
そしてさっと振り向いた時、たまたまそばに来てた人にぶつかり、
思わずその人を肘で押すことになり、その人はバランスを崩して崖から落ちてしまった。
君はそんなつもりじゃなかったし、まさか他の人がそんな端まで来ているとは思わなかった。
仕方ないことか? 仕方ないことだ。
事故は防げたのか? もし後ろに誰かいる可能性に気づいていれば、防げたかもしれない。
その場所が有名な観光地なら、他の人がいる可能性も多く、
かつ危険な場所だと認識していれば、もう少し注意できたかも。
だけど知りませんでした、ごめんなさい。
わざとにしろ、偶然にせよ、崖から落とされた人間にすれば被害は同じ。
命を失いました。
家族や友人は、偶然のことなので責めどころもなく、悲しむのみ。
もし君に殺意があったなら失敗したかもしれない。
いけないこととわかっているので、押す力にためらいが入ったかも。
罪悪感。
でも偶然だったので思い切り振り向いて、はずみで思い切り押してしまった。
無知とは恐ろしいものです。
この例えは今ならラッシュアワーの地下鉄のホームなんかがぴったりかもしれません。
また、こうした事故ばかりではなく、若年層や貧困層の犯罪もそうです。
結果や影響を想像すらせずに犯行に及ぶことが多いからです。
自分のまわりにどんな危険や可能性が潜んでいるかは、知識と想像力でかなりわかるようになります。
教育の大切さはこれです。そしてもうひとつは思いやり。他の人を想定に入れる姿勢です。
知らないと言うことはしばしば、知っている時より恐ろしい結果を引き起こします。
今回の津波の想定も、避難する側の認識もそうでした。
原発問題も、リスクの把握や計画段階での想定の甘さで大事(オオゴト)になりました。
誰もこうなるかもと思ってたワケではないでしょう。
一方、こうした自分の知らないことをすべて知るのは不可能です。
そこで、「自分はすべてを知らない」ということを知ること。
これが無知の知と呼ばれます。
これを説いたのがソクラテスで、残したのがプラトン。
"I only know that I know nothing"
無知の罪と無知の知。
哲学は違えど、何か出所は同じ様な気がしますね。
知らないから注意する、用心する、慎重になる、謙虚になる。
これで事故や間違いをある程度防ぐことができます。
防ぐだけではなく、物事をさらに工夫し、好転することもできる。
まさに知は力( = Knowledge is power フランシス・ベイコン)ですよね。

最近ワシがよく言うのが「自意識過剰の無意識過剰」
Compulsively self disciplined but little awareness of others' exsistence.
自分のことは神経質なまでに気を配り、人目を気にし、どう思われてるか悩むのに、
他の人が何をしてるか、感じてるか、自分がどんな影響を与えているかに無頓着な人が多い気がします。
ワシも似たようなことを最近したようです。
仕方のないこと、でもやっぱり傷ついた人には悪いなと思いました。
この逆の人もいます。
無頓着なのは他人に対してだけでなく、物事や世の中にも及びます。
そういう人はあまり悩むことなく、仕事やお金や周りの環境に貪欲で、ある程度、成功している人が多いです。
これを無知の強さと言います。(Ignorance is strength)
そういう人が得する世界になってきているような気もしますが、今以上のさばってほしくありませんね。
これは一見本人が幸せなように見えて、廻りまわって、自分に跳ね返ってきます。
それをいつもまた力で跳ね返すのですが、空に放り投げたボールの群れのように次々と落ちてきます。
こうした社会性無知な人に追従して利益を得ようとするのは避けた方がいいでしょう。
落ちてくるボールに当たる確立が高いのは、本人よりも実は周りにいるそういう人たちです。
