こんにちは、カナコです。
私の海外奮闘記、
楽しみにしてくださっている方がいる?!
ありがとうございます!!
これまでのストーリーはこちら
【海外奮闘記②】妊娠発覚!六本木ヒルズ族からボストン貧困生活へ
【海外奮闘記③】生後10か月の娘を連れて、計画停電1日12時間の秘境ネパールへ
いよいよ後半です。
どうぞー!
質素なネパール暮らしをしていた我が家。
そこに突然来た打診。
ニューヨーク。
しかーし、ここだけの話、
(って全然秘密になっていないが)
うちの旦那、
まさかの、
断ったーーーー!!!
え、断るとかありなん???
旦那曰く、
ニューヨークなんて行きたくない!!
俺は(途上国の)現場で仕事がしたいんだ!!!
はい、そうですよね。
知ってます。
もういいです。
アフリカでもどこでもどこか遠-くの国へ
飛ばしてやってください。
その覚悟はできております
そしたら・・・
きたよ・・・
また、
ニューヨーーーク!!!
ポジション変えて、
再度ニューヨークからのオファーが来た。
さすがにこれ以上断れば、
職を失う可能性がある。
ニューヨークでは
現場とは違う視点で学ぶこともあるからと
先輩らも夫を説得してくれた。
というわけで、
ブツブツ言っている夫をよそに
我が家は正式に
ニューヨークへGOとなりました!
私は、久しぶりに心躍りました。
もともとは都会好きな私。
は~ニューヨークで何しよっかな~♡
働こうかなぁ、
大学院行こうかなぁ、
あ~また東海岸に戻れるんだなぁ
と、夢を膨らませました。
そして、我が家は
ネパールからニューヨークへ飛び立ちます
しかし。
私はニューヨークに着いてすぐ
現実を知ります。
まず。
ニューヨーク、特にマンハッタンは
家賃が異常に高い。
「1ベッドルームなら、
ひと月50~60万円が平均ですよ。」
平均が、である。
(我が家はもっと安いとこに住んだけど。)
ちなみに、
当時2歳の娘をデイケアに入れようとしたら、
ひと月約30万。
人気の園は何十人ものウェイティング。
我が家は、ついこの間まで
30ルピー(約30円)を必死で値切っていたのだ。
普段100ルピーで乗れるタクシーを
130ルピーとか言われたりすると、
ありえない!と心底怒りながら値切っていたのだ。
それが、なんだ。
ニューヨークに来たら
30ルピーなんて何でもない。
30ルピーではパンさえ買えないのだ。
そんなこんなで、
我が家はまた節約生活になってしまった。
私は夫のお弁当を作り、
家事育児に翻弄する毎日。
大学院~働きたい~
なんて夢のまた夢。
そんなことを考える暇もなかった。
でも、うれしいこともあった。
それは、ニューヨークには
日本人ママがたくさんいたこと。
ボストンでは学生寮で貧乏生活(=駐妻は別世界)、
ネパールには日本人が殆どいなかったため、
日本人に飢えていた私。
私は、公園で
同世代の子を持つ日本人ママを見かけると
話しかけずにはいられず、
どんどん話しかけて、
どんどん仲良くなった。
季節毎に、自宅で沢山パーティもした。
おかげで、今でもニューヨークには、
沢山の素敵なママ友がいる。
みんな物価の高さに苦しみながら、
子育てに家事に海外生活に、
一生懸命に頑張った
ある意味戦友のような仲間だ。
どこでもドアがあれば、
彼らに会いに今すぐにでも飛んでいきたい。
そしてもう一つ。
ニューヨークで、
息子が誕生した。
私がニューヨークという街を
楽しみきれた自信は全くないけれど、
私にとっては息子が生まれた特別な場所だ。
ま、その後
娘の赤ちゃん返りやらで
更にヒーヒー生活になるのだけど。
そして渡米から2年後。
かねてから現場に戻りたがっていた旦那は
バンコク切符を手にする。
あのネパール時代に
トランジットで乗り換えるたび
なんて都会で便利なんだろう・・・
と憧れていた、タイ・バンコク。
ニューヨークほど物価も高くなく
日本食なども豊富と聞いた。
憧れの地、
バンコク。
我が家はもう、
憧れの地に来てしまうのだろうか。
最終章につづく。