こんにちは、カナコです。
今日も続きまーす!
私の海外奮闘記。
これまでのストーリーはこちら
【海外奮闘記②】妊娠発覚!六本木ヒルズ族からボストン貧困生活へ
では第3話もどうぞ♡
いくつもの応募をして
夫が得た就職先は・・・
ネパールでのインターンシップ。
契約期間は2ヶ月。
日給1800円。
なんなんそれー!!
まぁ、インターンで
お給料がもらえるだけ良いとも言えるが。
ただ、近くで見てただけの私でもわかるほど
夫の狙う世界は
競争が激しく狭き門。
夫のクラスメイトの3分の1は
就職が決まらないまま卒業していった。
だからインターンが取れただけでも
よし!とも言える。
ただボストンから直接ネパールに飛ぶのは
遠すぎるし2ヶ月は短すぎるので
とりあえず
2か月間は夫だけネパールに行って
私と娘は日本で待機することにした。
うまくいけば、
インターン後採用されるかもしれない、
との期待をもって。
そして2か月後・・・
夫はネパールで
契約を更新した。
ただし、
契約期間は3か月。
契約社員として、
3か月ごとに契約を更新すると。
なななんと不安定な身分!!!
さて、どうするカナコ?
行くか?
行くまいか?
行くぞおおお―――――!!!!!!!!
途上国に旅行した経験はあったけれど、
住んだ経験はなかった私。
3か月なら逆にいいかもしれない。
だめなら私と娘だけ
日本に戻ってくればいい。
というわけで行きました。
計画停電が一日12時間ある
秘境ネパールへ!!
最初に言っておくと、
ネパールは素晴らしい国です。
世界最高峰のヒマラヤ山脈に囲まれ、
家から360度、
8000メートル級の山々が見える。
娘の寝かしつけ♡
ネパール人はのんびり穏やかで
怖い思いをすることもない。
皆大家族で助け合って生きている。
が、ですね、
私のネパールでの暮らしを
私のおばあちゃんにするとね、
おばあちゃんが言うんですよ。
「それ私の子どもの頃とおなじだわー。
懐かしいわぁー」
と。
それ80年近く前。
戦前です。汗
ネパールの一般の人々の家には
水道がありません。
電気もありません。
あっても計画停電1日12時間。
洗濯物は、基本手でごしごし。
道路は舗装されていないところが多く
外を歩けは5分で
10匹くらいの野犬と
3頭くらいの野良牛
に出会えます。
皆道端で野菜や物を売っていて
スーパーではなくそこで買うのが普通です。
私もよく買いました。
電気も水も簡単には手に入らないから
生活するので精一杯。
だから、みんなで協力して生きているんです。
ちなみに、我が家の場合、
電子レンジは基本飾り物。
冷蔵庫と電気だけは
アパートの上に取り付けてある
太陽光発電で24h使用可能。
でも、曇りや雨の日は
だんだんお湯が出なくなるから、
娘のお風呂はガスでお水を温めて
大事に使う。
カトマンズは排気ガスが酷く
外を少し歩けば
娘の鼻の中が真っ黒。。。
日本ではしなくてもいい
予防接種も娘は沢山したな。
ネパールでは、
優しい人々のおかげで
居心地はよかったのですが、
やはりインフラが整っていない国。
娘が病気にかかったりした時は
悪化しないことを心から願っていました。
大きな病気になると、
インドかタイに飛ぶしかないから。
ネパールでは、
子どもは神様のように扱われます。
もちろん子どもが大切だからだけど
5歳まで生きられない子が多くいるそうです。
だから、5歳になるのはとてもおめでたいことなんだと。
アメリカや日本では見たこともない
貧しい光景を普段何度も目にするのは
心苦しかったです。
私の生活もまぁ大変だったけど
それに比べれば、
全っ然大したことなかった。
こうして元気で
何の不自由もなく生きている。
それだけで、もう十分。
そんなことを感じた
ネパールでの生活でした。
ちなみに、旦那は
3か月の契約を3回ほど更新し、
ネパールでの滞在が1年経ったころ
別の国での仕事を得ます。
それが、あの、、
世界最先端の都市ともいえる、、、
ニューヨーーク!
ぶっ飛びすぎやろーーー
そういうわけで、我々は
戦前の暮らしから、現代の最先端へと
ぶっ飛ぶことになります。
つづく。