最近、『魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』(以下「廻天」と記す)を2回めの鑑賞をしてきた。
一回目と違い、概要を把握しているだけに細部に目が行く。
この記事は『魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』について考察した記事である。
いわゆる批評や理論といったものではなく、いわばメモ書きである。
■トカゲさんの電話
「廻天」の冒頭、まずはこのトカゲさん電話が鳴るシーンから始まる。
そして、トカゲさん電話のウワサが語られる。
すぐに思い出したのは、『マギアレコード』(以下「マギレコ」)の「ウワサ」だが、すぐにそれとは違うと分かる。トカゲの電話は「悪魔ほむら」として新たな世界の支配者となった暁美ほむらが魔獣退治のために少女たちに力を授けていたという、ほとんどキュウべえと同じようなことをしていたという。
願いを叶えることはない代わりに、その魔獣退治をした少女は目が覚めると何もかも忘れているというオチになっている。
ちなみに「マギレコ」の「ウワサ」は、舞台となった神浜市である行為をするとウワサに縛られ、ウワサに反する行動(たとえば「絶交階段のウワサ」が存在していた頃は、「絶交」という言葉を口にするとそのウワサに縛られ、仲直りするとウワサに反した行動となる)をするとウワサ空間に引き込まれてウワサの本体が現れる。魔女結界と魔女と似ているが、ウワサはグリーフシードは落とさない。
ともあれ、トカゲは見滝原市をはじめとする悪魔ほむらが支配する世界でのほむらの分身であり、使徒である。
そしてキュゥべえに新たな魔法少女との契約を禁止した悪魔ほむらにとって、トカゲさん電話は魔獣を狩るための要員確保のために必要不可欠な存在である。
■包帯姿の美樹さやか
映画公開前から驚かせていたのは、美樹さやかの包帯姿である。
美樹さやかが顔に包帯を巻いているのは魔法少女の時で、変身前は首に包帯状のリボンを巻いている。
劇中で包帯姿に対する説明は一切ないが、おそらくは『エヴァンゲリヲン新劇場版Q』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』での式波・アスカ・ラングレーの眼帯と似たようなものだと推測している。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の中で、式波・アスカ・ラングレーは眼帯を取ると、以前侵食された第9使徒が隠れていることが明らかとなる。第9使徒は、テレビアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』(旧エヴァ)第18話に登場した第13使徒バルディエルに相当する使徒だが、新劇場版ではアスカが使徒に侵食され、アスカの眼帯は使徒を抑えるための拘束具だったといえる。
美樹さやかの包帯姿もまた、すでに自身が魔女オクタヴィア・フォン・ゼッケンドルフであることから魔女を抑えるための拘束具だったと考えられる。
■ワスとマルグリート
そして中学校の登校シーンである。
巴マミ、佐倉杏子、暁美ほむらの登校に続いて、鹿目まどか、美樹さやか、志筑仁美らの登校シーンが続く。
そして、鹿目まどかの目の前に、噴水から頭を下げた、暁美ほむらと瓜二つの顔をした上級生が登場し、鹿目まどかに「マルグリート」と呼ぶ。
この暁美ほむらと瓜二つの容姿を持つ上級生は、名前のない存在として、最後まで名前を名乗ることがなかった。魔法少女の指輪に魔女文字が記されているが、それは「Anonymous」であって、名無しさん・匿名の存在である。
映画が終わりエンドクレジットの中で、「ワス」という言葉が登場するが、これは符号のようなもので人名とはいえないだろう。
ちなみにワスは、ドイツ語の「was(ヴァス)」ではないかとの指摘を見た。
英語の「what」にあたる疑問詞である。
そして重要なのは、ワスが登場した時のポーズである。
噴水に身体を沈め、上半身を逆さにして見上げている。
これはワルプルギスの夜の歯車と人形の組み合わせである。
映画のクライマックスでは、円環の理に触れたワスが自身を回想するシーンがあり、その中で、やはり身体を背筋状に伸ばす姿からワルプルギスの夜に変化していったシーンがある。
次に気になるのはマルグリートだろう。
ワスの登場シーンは明らかにワルプルギスの夜の暗示だが、マルグリートも鹿目まどかの背後に何度も登場しており、映画の結末を暗示していた。つまり「廻天」は映画の最初から手がかりをいくつも散りばめていた。
そして「廻天」でのマルグリートの話だが、映画のクライマックスで、実は修道女ワスをはじめ魔法少女の修道女たちを救済するために魔法少女となった修道女で、鹿目まどかと役割は似ている。
マルグリートとはフランス語圏での女性の名で、もとは聖女アンティオキアのマルガリタにあやかって名付けられた。
アンティオキアのマルガリタは実在の人物だったか疑われており、伝説上の人物と考えられている。現在のトルコの地方に生まれた女性マルガリタは、キリスト教信仰を持つため疎まれたが、拷問を受けてもキリスト教信仰ゆえに助かったとの伝説がある。とくにイングランドで崇敬されているようである。
「廻天」の中で、ワスは実はマルグリートだったことが明かされるが、ワルプルギスの夜についても、「廻天」では、マルグリートを中心とする修道女らによる融合体ということになっている。
だが劇団イヌカレーによる初期設定では、ワルプルギスの夜は「舞台装置の魔女」といい、歯車の上部は演劇の舞台になっていてゲーテの『ファウスト』が上演されている(『魔法少女まどかマギカ公式ガイドブック』芳文社、2011年、91ページ)。
さらにワルプルギスの夜の歯車は、人魚の魔女の車輪攻撃に引き継がれているという。
ゲーテの「ファウスト」における「ヴァルプルギスナハト」は、魔女たちの饗宴であり、いわばキリスト教世界に相容れない存在の宴である。だが「廻天」での中世修道女の魔女化による「ワルプルギスの夜」は、キリスト教それも修道院的な正義感からの魔女化ともとらえられる。
さらに、これまで暁美ほむらの時間遡行の中でたどってきた複数の時間軸の中で、鹿目まどかはワルプルギスの夜を倒した後に「最悪の魔女」になるが、その魔女は「救済の魔女」Kriemhild Gretchen(クリムヒルト・グレートヒェン)である。
その「救済」とは、惑星の全生命を吸収して自らが築いた楽園に導くというもの。ほとんど『エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」を思わせるが、「人類補完計画」は人間はひとりで自立できるほど強い存在ではないので、互いに寄りすがって生きていく世界として全生命を融合しようという計画である。
その点では、自信がなく「私なんかなんの役にも立たない」と日頃から言っている鹿目まどからしい「救済」であろう。
他方、鹿目まどかは暁美ほむらとの共依存を断ち切っているのだが、まどか自身、魔法少女になることは自信や自立とつながっているところがある。
そしてグレートヒェンとは、ゲーテの小説『ファウスト』に登場するファウストの恋人の名前であり、本名はマルガレーテである。マルガレーテをフランス語読みすればマルグリートである。
「ワルプルギスの夜」の中核となった魔法少女がマルグリートであり、鹿目まどかをマルグリートと呼ぶことは、最初から内包されていたことだった。
矛盾はあるかもしれないが、おそらくは最初から仕組まれていたともいえる。
■名塚底根の存在
次に、名塚底根(なづかそこつね)の存在である。宇宙の外部的な存在で、ソウルジェムに穢れを溜め込んだ魔法少女が、この名塚底根で魔女の名前と姿を与えられて魔女として呪いを振りまく存在として登場する。
「廻天」の公式パンフレットによれば、「鹿目まどかはこの場所の存在を知る由もなかったが、そのために円環の理へ回収された魔法少女の魂が名塚底根を通ることで現世へ戻ることが可能になるという深刻な不具合が発生している」(43ページ)と書かれている。
劇中でも、名塚底根は宇宙の外部にあることから悪魔ほむらは力を発揮できない空間だったが、公式の説明から推測すれば、円環の理の作用も及ばない世界であることは明らかである。円環の理の下では魔女はその誕生の瞬間からすべて消去されるが、名塚底根には魔女図鑑という形で魔女が文献として残っているわけだから。
こうした世界の存在は、「マギレコ」的ともいえる。
また、名塚底根に掲げられていた魔女文字を解読したサイトについて興味深いサイトを見つけたので取り上げたい。
名塚底根とダンテの『神曲』地獄篇との共通性は、物語を考察する上で示唆的である。
暁美ほむらにとって鹿目まどかは、ダンテ・アリギエーリにとってのベアトリーチェを思わせるし、円環の理が鹿目まどかを回収しに来た映画のシーンは、『神曲』天国篇に対応して考えることができる。
だがその前に、美樹さやかは自身が魔女であったことを思い出し、魔女の姿でワスと戦う。次に鹿目まどか自身も過去に何度も魔女になった経験があり、ワルプルギスの夜を倒した後は最悪の魔女になる存在であったことを思い出させる。
その少し前、鹿目まどかを誘い出して捕獲しようとした紫丁香と佐倉杏子の戦いののち、魔女化して敗れた紫丁香を鹿目まどかが癒そうとしていた。その後、ワスがマルグリートでマルグリートは個を持たない魔物に名前と固有能力を持った魔女という形を与えることで救済しようとしたことが描かれる。
さらに、鹿目まどかを円環の理に返そうとする悪魔ほむらに対して、美樹さやかが叱咤して悪魔ほむらの味方につくこと、他の魔法少女らも暁美ほむらに付く(結果は鹿目まどかは再び円環の理に回収され、悪魔ほむらの世界は終わりを告げることになるが)。
そこから円環の理による魔女の消去ではない、魔女の救済という新たな意識が生じている。
ダンテの『神曲』地獄篇といえば、漫画版『デビルマン』も大きなインスピレーションを得ていることが明らかとなっている。その漫画版『デビルマン』では、主人公・不動明に悪魔との合体を勧めた飛鳥了は、実はサタンで、元々は天使ルシファーという神の使徒だったが、神が人間たちを創造する前に造った奇っ怪な化物たち、人間が悪魔と呼んでいる生物たちを「失敗作」として消滅させようとしたことから神に叛逆して堕天使・サタンとなったことが語られている。
「廻天」のラストと、漫画版『デビルマン』のラストは、共鳴するところがあるように思える。
鹿目まどかと暁美ほむらは、不動明と飛鳥了を彷彿させる。
だが鹿目まどかは個体としては消滅し「概念」となり、暁美ほむらは残される。
これは『魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』(以後「叛逆」と記す)の時の制作陣らのインタビューの中で、新房昭之は次のように語っている。
「新房 ほむらが円環の理に導かれたら、キュゥべえはまた同じことをやりますからね。いずれ円環の理は暴かれてしまう。誰かが抵抗し続けるしかないんだけど、ほむらが行ってしまったら、もう誰もそこで抵抗できる存在はない。となれば、あとは大手を振ってほかの魔法少女で同じ実験をすれば、今度こそ円環の理を捕まえられる。それはバッドエンドですよね。そういう構造になっているんです、新編は」。
そして『魔法少女まどか☆マギカ』の中で明らかになるが、暁美ほむらは「鹿目まどかを救う」という目的を見失うと、ソウルジェムが穢れを溜め込んで魔女になってしまう。
つまり「叛逆」の中で円環の理から鹿目まどかの記憶だけを剥ぎ取り、悪魔ほむらとして世界改変を行ったことは、必然であった。
新房昭之が言うように、「だからほむらは絶対にああするしかないんです」ということである。
その構造から「廻天」の結末を考えると、円環の理は名塚底根という不具合を解消せずに存続することとなり、「鹿目まどかを救う」という目的から解放された暁美ほむらが新たな目的を見出さなければ、ソウルジェムが持たなくなって円環の理に回収され、遅かれ早かれキュゥべえは再び魔女化によるエネルギー回収を実現させるだろう。




