寝台特急「富士」脱線事故・1 | terkey 鉄道・今昔物語

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1980年代の鉄道少年。。。
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少年時代と現代をタイムスリップしながら投稿しています。

1984年10月19日(金)、山陽本線・西明石駅構内で、寝台特急「富士」の脱線事故が発生しました。

客車14両中13両が脱線しました。
 
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オハネフ25-205(左)、オハネフ25-107(右)
 
山陽本線は、この西明石駅で下り線は複々線から複線に、上り線は複線から複々線と変わる駅です。
山陽本線の複々線区間は、特急、貨物列車が走行する列車線と、快速や普通電車などが走行する電車線に分かれています。
 
この切り替え区間、列車線を走行する列車は100km/hの速度で通過しますが、電車線を走行する列車はポイントをいくつか通るために60km/hまで速度を落とさないと通過できない構造です。
 
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手前からオハネフ25-107、オハネ25-136,137,128,106
 
この日の深夜、列車線の朝霧駅付近において保線作業を行う関係で、深夜を走行する列車はすべて電車線を走行する事になっており、西明石駅構内の通過速度を通常の100km/hから60km/hに制限されていました。
 
深夜1時48分。
上り寝台特急「富士」は100km/hのまま西明石駅構内に進入したため、ポイント通過時に車輪が浮き上がり次々脱線しました。
 
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オハネフ25-107
 
後の警察の調べで、運転手が居眠りしていたためと判明しました。
運転士は、岡山駅からの乗務前に日本酒をおよそ0.36リットルを飲んでおり、事故後の検査で呼気1リットル中から0.18ミリグラムのアルコールが検出されました。
 
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手前から、オハネ25-106,128,137,136,オハネフ25-107
 
機関車(EF65-1099)は客車の脱線後、単独で走行し、おおよそ200メートル先で自動的に停止しました。
運転士は居眠りをしていて、ブレーキをかけていないのに自動停止した理由は、客車の脱線で架線柱が折れ、架線切断によって電流が流れなくなり停止したのでした。
 
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手前から、カニ24-22,オロネ25-10
 
深夜2時00分。
付近を走行中の全ての列車を停止させました。
 
下りでは、鷹取駅付近を走行していた寝台特急「富士」は明石駅に臨時停車、後続の寝台特急「あさかぜ1号」は大阪駅で運転を打ち切りました。
 
上りでは、加古川駅を通過中だった寝台特急「はやぶさ」は次の東加古川駅に臨時停車、さらに後続の寝台特急「みずほ」と「さくら」は姫路駅で運転を打ち切りました。
 
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手前から、カニ24-22,オロネ25-10
 
最後尾のカニ24-22だけは、客車の中で唯一脱線しませんでした。
オロネ25-10は、車輪1輪だけの脱線だったので、写真ではもうすでに線路に復帰しています。
しかし西明石駅構内では、機関車次位だったオハネフ25がホームに激突しているようです。