なんか、来てます。

情報の波が。

脳内を渦巻いています。
どうも、また、枠が外れたみたいです。

ルッキズムって、ご存知ですか?
これ、大体、

どこから来たんだろう???
いつからなんだろう?
日本に昔からあったのかな?
なんとなくの印象ですが、
日本においては

割と新しい文化の様な気がします。

ギリシャ神話、ビーナスの誕生、

ルネサンス、なんか、

あのあたりの文化が

日本に流れ込んできて以降で

浸透してきたもののような気がする、

この、ルッキズムとやら。

どうなんでしょう。

外見至上主義、ルッキズム。
(何をもって美とするか、
ということも含みながらですが、)
このルッキズムたるもの、

大いに私たちを狂わせ

邪魔をしている気がします。


外見なんて大したことではないのに、

凄く強い力でもって

私たちの社会に

無用な影を落としていたことに、

最近気づきました。

ふと、私の中から根本的に

外見についての

印象操作の様なフィルターが

はらりはらりと

段階的に剥がれたと思われます。

まぁ、以前から、

整った顔に多少違和感や不快感???

を持つ方ではありました。
イケメンが苦手とか、

化粧してばっちり美しく

整っている女性に対して、

ほのかな疑心が湧いてしまうとか。

泣き笑い


でもコレ、

逆の意味でのルッキズムだよなぁ、

これも外見に対する偏見だよなぁ、

っても思ってました。


偏見を嫌う心が

自分を冷静にジャッジして

なんか気になるな、この自分の感情。

と思う部分もあったりしました。



だけどねぇ、この

ルッキズムの崩壊


最愛のパートナーに会ってしまったら、
その姿形が、一人一人違う、

ということに価値があることに気づき、

感謝が湧いたのですよ。

だって、やっぱり、

唯一無二のパートナーでさえ、
同じ顔、身体、という、形がなければ、

雑踏の中でみつけるの難しいですよ。

家族でも、案外、大勢の中からって

トキニ見つけられないことあるでしょ?
あ、いた!と思って、

後ろから声をかけても
あ、ごめんなさい、違う人、みたいなね。

これってさ、母親を間違える子ども

だってそうじゃない?

子どもなんて地球に降り立って

感覚総動員で生きているところに

それでも間違えて知らない人の手を

すっと握ったりしちゃう。😆


まずね、

それぞれが違うイデタチである、

ということがどんなに重要で

ありがたいことか。

そう思うと、ほら、

整形とかしたらなんか、

みんな顔が似てくるでしょ。
美しい顔って、

顔の座標上の平均値だって話もあるし、
より、特徴がない方が、

美とされたりする。。。


個性多様性魂の喜び、とは、

やっぱり、対極の位置にあるんだよね。

外見に限ったルッキズムは。



そもそもね、みんなそれぞれの

特徴のある顔を持っていることが

どんなに素晴らしいことか、

ということを感じた時点で、

多分わたしの無用なルッキズムからの

解放の第一段階があったと思われます。

そしたらさ、また、ふと思ったのよね、
運命の人なんて、

見目麗しかったら見つけにくいな!って。

だって、みんなが

素敵😍ってなっちゃうから、

じぶんの感覚が、

運命の人だから、は!!

っとなったのか、

ただ顔が好きだから反応したのか

わからないじゃん。😆

けど、(外見ではなくて、)

なんか惹かれる、

え、なんか一緒にいるのが心地よい、
とか、

目に見える部分じゃないところでこそ

わかるんじゃないかって思うと、

むしろ、外見的魅力、邪魔ではないか?

なんてね、思ったり。

まぁ、これは極論なんだけど。


あとね、外見なんて、

見慣れれば見慣れるほど

見やすくなるものだし、
大好きな人の顔って、

どんどん可愛く見えてくるもんなの、

私の場合。


もちろん、

一般的に可愛いと言われる人だって

それは一緒で

キャラクターを知れば知るほど、

そのキャラクターを愛せば愛すほど、

外見も愛おしく見えてくるよね、
それは整っているかどうかじゃない。


逆に言うなら、
みんなが可愛いと魅了され、

目を惹く存在であっても、

そんなに可愛くないよねぇ?

というところも

テレビの中の人気者について

かなり観察してしまう私。

検証ね。外見と意識の検証。


それって表情の豊かさとか

内面から溢れる

"ひたむきな"とか、"優しい"とか、

"毅然とした"とかの、

"エネルギー"がそのルックスを

映えさせてんだよね。


(これからの指標は

外見ではなく

エネルギー、

というのが、実は、

裏テーマというか、

私なりの答え、なんだけれど。)


本当に素材と、

その人の存在感、

を切り離してみれたら、
テレビに出ててキラキラしてて

もれはやされてる人も、
誰がどう見ても美、て、

わけじゃない、人、の方が多いわけで、

逆に誰がどう見ても美、

の人は、それはそれで、
そこに、愛嬌なんかを挟んでいくのが

難しかったり、

俳優だったら役が限られてしまったり、

別の問題があるくらいで。

まぁそもそも、そのルッキズムも、

テレビに汚染されて世にはびこってる

と思える部分も大きいと思うから、

こんな、

芸能人の話になっちゃったけども。

こうして、

ルッキズムひとつ取り上げてみても、
話があっちこっちなるほどに、
心のフィルターは

たくさんの要素に影響されて、
世界を見ているんだわねぇ、

と感慨深くなりますが。

もし、今、

パートナーを探しているひと

これを読んでいるなら、
まず、外見のことは忘れてみて

と思うし、
恋人候補を紹介するひとは、

好みを聞かないでください

って思う。
だって、自分の思い込みを

覆してやってくることが

ほとんどなんだよね、

パートナーって。
というかさ、



外見なんて

その人を見分けるためのものでしかない

のに、

そこで好きかどうかを決めるなんて、

なんてナンセンスなことよ!


これ大事。

ここが1番の伝えたいこと!


外見なんて

その人を見分けるためのものでしかない

のに、

そこで好きかどうかを決めるなんて、

なんてナンセンスなことよ!


はーーー

でたでた。

これだね。

これが一番言いたかったんだね、わたし。

ニコニコ


むしろ、外見というか、第一印象を

越えるナニカがあるほど

おおお、おおお、

抗いがたいメッセージ!!

と思うもんだったりするから、
むしろ、

視覚的メッセージに

とらわれることなかれ、
その情報は、使い方が違います

といいたいです。


はーー
なんか、モリモリのテーマを

数回に分けて記事にできるように

なりたい。
語り尽くせない塊として、

一記事にしてしまいますが、
今の精一杯。
気持ちと勢いが伝わることを祈ります。