さっき、インスタみてたら、
障がい者、に変わる呼び方を募る広告を見て、
あ、なんか面白い、と興味を持って
コメント欄を拝見。
そしたら、名前変えるのなんか、
なんの解決にもならない、とか、
身近に障がい者がいます、って人ほど
そういう声をあげてて、
ほーーーーー
あーーー、そういう気持ちも
あるんだなぁ、と、
自分には想像の及ばなかったことだったから
とてもなんというか、
新鮮にその、切なさを味わいました。
だけど、そっかーーー
と、思いながらも、
突然頭に浮かんでしまった表現があって
コメントを書いたので、ここにも残しておこうと。
障害持ち、てのは、どうですかね。
Aさんは障害持ちだから、フォローしよっと、
とかって使う感じ。
呑気だから、とか、マイペースだから、とか、
その、個人の持つ特徴の一つとしての表現であり、
その人間の種類に名前をつけるのではない感じになって心地よいかもしれません。
なんか、そう、人種として、区分けするような
そういう雰囲気が強くてね、
それが、違和感だったのか、
と、別の表現が突然思いついたことで、
見えてきた視界がありました。
背が低い人は、見えづらいから前へ、
声が大きい人はうるさいから遠くに😆
みたいなことと並ぶくらいの
たんなる属性、特徴として。
いろんな特徴に対応できる、
いろんな人でありたいかもしれない、
なんて、思えた広告でした。
でもまぁ、コメントにあるようにね、
障害持ち、って言ったって、
あの人障害持ちだからさ、
とかって、差別語のように言ってる人を
想像してみれば、一貫の終わりなんだよね。😆
だから、呼び方かえるとか、まじ意味ない。
と、ムカついてしまった人の言うことも、
ほんと、一理あるどころか、
ほんとその通りですよね、とも、思う。
深いねぇー。
だからやっぱり、
うわっつらもなかなか意味あるけど
やっぱり、結局は中身なんだよね、
みたいな、話なんですかねぇ。
でも、なんか、軽く脳みそモミモミするには
興味深い良いネタでありました。
わたしにとっては。
そして、将来、自分がそうなった時に、
あたし、障がい者だからさ、
というよりは、
障害持ちだからさ、
の方がやっぱり気持ちが軽いような感じがする。
まぁね、でも、やっぱり、
小手先のごまかしかなぁ???
要は、それぞれの捉え方かねぇ。
というわけで50歩100歩かな。
けど、ぐるんぐるんと考えたこの時間は
なんか良かったんだなぁ。
おわり。