本当の気持ち
何もしたくないのかもしれない。
「面倒くさい」にどんどん流される。
自分から動かず
楽しいことに乗っかれるなら
本当それが楽しいのに
なぜ、自分でやろうという気持ち
抱え続けてしまうのか。
自分のやりたいことは
確かにいくつもあって
そのためにどう動いていけばいいのか、
わかるんだけど、、、
結局、全ては面倒で、
心の底では面倒なあまり、
実現したくない(潜在意識)
と思ってるような気がする。
本音。
これを本音として、
認めて採用していいんだろうか。
サレンダーして
いいんだろうか。。。
しかし、これは、
もしも本音、真髄だとしても、
[宇宙的魂としての心で
体と共にある現世の魂としては
やっぱり、それとはズレがあるから
なんかなんか、
やらんでいることに
嫌な気持ちが出る]
そんな状態にある気がする。
嫌な気持ち、というのは、
方向指示のガイダンスだ。
今日は試しにこの運動不足の
体を起こして喜ばしてみるために
朝散歩をしてみたら、
いやぁ、体の喜ぶこと。
夜までスタミナ持続。
実に久しぶりに夜ご飯の食後に
食器を洗った!!!!
(ホント最近無理だった🤣)
朝の散歩から
薪の片付け、
まだ飽き足らず、
栗🌰の様子見がてらきのこ狩りまで。
しかも、いつも苦手なキノコ収穫後の
パック詰めもさっさとやって、
その後の飲食店バイトをこなした後に
残りのキノコの夜ご飯利用と
瓶詰め作りまで走り切る。
体と心が離れそうになったら
(もう何もしたくないなぁ、の気持ち。
地球に生きていることに一段落しちゃう気持ちになってるとき)
体を喜ばす。
体を喜ばす。
運動、運動、筋肉活用。
体にエネルギーを回すこと
つまり、運動、を
もっと大切に楽しめば
面倒くさいは、
影を潜めていく予感。
きのこ狩りのときはね、
こういう、通気性の良い籠がおすすめ。
なんでも、採ったキノコの胞子や菌が
森の中を歩いてる間に
カゴの底からこぼれてくれるからだとか。
これは、なるほど!と思って、
キノコ収穫用の物を
すぐにゲットしました。