人生に苦しさを感じて、
投げ出してしまいたい時期が
ありました。

何かあったわけでもなく。
青春と呼ばれる時代、
中学〜大学3年まで、
投げだしたい時間が続きました。

それは強くなったり少し弱まったり
バイオリズムはあれど、
基本的には生きていることから
しっぽ巻いて逃げたい感じだった。

何のために生まれてきたんだろう。
生き甲斐って何だろう。
という個人的なものから

こんなに酷いことするばかりで
人間は地球を傷付けている
そんな存在じゃないか?
という自分の属性的なことまで、

心地よくない受け止め方が
心に張り付いていました。



フッとそこから光が見えたのは
ある日、
友達の家でペンキ塗りをしながら
音楽を聴いていた時。
それはBOLAN'S ZIP-GUNという
T.Rexのアルバム。




テレビデオを空色に塗りながら
初めて聞くご機嫌なナンバー
(1975年のアルバム。
わたしは1975年生まれで、
妙にこの時代に大好きな洋楽が多い)
に包まれて、
わたし今、凄く楽しい!!!
ということに気づいた。

楽しいことなんかない、
死んでしまいたい、
鬱にまみれていた毎日の中で
見つけたパラダイスは
凄く身近にあるもので、
生きる歓びって、こんな事か!!!
というすごい発見だった。

そこから、
わたしは、ついにリボーン。
友達にクラブに連れてってもらって
踊りまくって、
少しずつ、
地球に生きる自分という存在の
在り方を、輪郭を、確認していって、
少しずつ、世の中にある違和感を
自分の体から外して行って、
どんどん自分になっていって、
今に至る。

それは音楽療法だったのかも。

"何のために生まれてきたんだろう"
"何のために生きているんだろう"

この問いに苦しめられていた
時代の終わりを迎えたあの時。

この歓びが
生きるってことじゃん!!!

それが答えだった。

そこから、頭が納得できる
説明探しが始まって、
見つけた理屈は、

何故生きるのか。

それは、生まれたからだ。
命を与えられたからだ。

そこには、
はい、いただきます。
または、
いいえ、いりません。
というチョイスはない。

動物が生まれで死ぬまで
ただ生きるために餌をもとめ
心地よい場所を求めるのと同様。

生まれたら、生きる。
ただそれだけの事。

生まれますか?と言われて
はい、と言った記憶がないのなら、
死にます、も、ない。

死にます、は、ない。
とすると、死ぬまで生きるだけ。

どうせ生きるなら、
気持ちよく生きよう。


生き甲斐とか
感謝とかって
本当に危険なんだよ。
どちらも、
内側から溢れて
感じた時にいう言葉で、
探し出したり
捏造するものじゃない。

なのに、巷では
感謝しなきゃ、
とか、生き甲斐を探す
とか、
無茶苦茶な言葉がまかり通ってる。

感謝って、
謝を感じたよ、って事だからね。
感じちゃったやつを
言葉に表したやつ。
湧いてきてない想いは
そんなの感謝じゃないって思ってる。
有難い、と受け止める、
有難う、は表現として
歪んでないと思う。

感謝します、とか、
本当に変な日本語だよ。
歪んでる。
感謝する、って動詞変。
感じる、の変化系だから。
動詞としては、感じるがメインで、
感じる、って反応だからね、
自発的に起こるものだから。

細かいこというと、
匂いを嗅ぎましょう、と言って
鼻を効かすように、
感謝しましょうって言って、
気づきましたか?
っていうのは意味合いとして
ありと思うよ。
けど、その時、
"うーん、鼻が悪いのかな、
何も匂いしない"
ということがあるように、
"なんか心が振れない"てこともある。
そこまで、本当に感じる、
てことの意味を
確認してますか?ってこと。

確認できなかったら、
別に、それでいい。
今、自分が求めていて嬉しいことを
他に探せばいい。
感謝できないことは悪じゃない。
センサーだから。
自分の歓びの指針だから。
何を求めているか、受け取りたいか、
の指針だから。
むしろ、大事にした方がいい、
その感謝に振れない自分の感覚を。
そして、与えられた親切より、
自分の欲しいものを
自ら取りに行こう。


生き甲斐も同じ。
「生きてる甲斐あったって
感じるんだよねー!!」
と、思って初めて、
それが生き甲斐。
これって、
突然ふと現れることだと思う。

わたしのペンキ塗り(手仕事の楽しみ)
音楽にノリノリになる時間。
あー、
こんなに楽しいことあるじゃん、
生きてるって!!!
って思ったアレだって、
言ってみれば生き甲斐との遭遇。
なんか、
人の役に立つことが生き甲斐です、
とかっていうと、
なんだろ、
そんなに自己肯定できてないのか?
って思う部分ある。

それがかっこいいこと、正しいこと、
と思われがちな日本人のムードって
ちょっと危険すら感じる。


で、結局、感謝も生き甲斐も、
世の中に溢れてる情報が作り出した
虚像だと思うわけで。
それを高尚なことですよー、って
洗脳されてる。
そんなの嘘だよ。
ほんとうは、感謝も生き甲斐も、
みんなが当たり前に持ってるもので、
探さなかった方がぽこんと
見つかるものだ。

あーーー、
こんなに長い文章で分かりづらい。
こんなはずじゃなかったんだけど。
誰かにバスッと伝わる人が
一人でもいたらうれしいなぁ。

因みにこのテーマは
私の卒論の内容でした。