ワイン畑での、楽しいおしゃべりの中で、

(野良仕事は、手を動かしながら

いろんなおしゃべりが出来るのがすき)

テレケさんって、バカなの?

と聞かれた。


どんな脈絡で聞かれたのかもわからずに、きょとん、としたよ。


でも、なんか、他の3人には、

理解できてる様だったな。


わたしがきょとんとしていたもので、

説明?補足、してくれました。


バカって、どういうことかというと、

頭を使わないでおしゃべりができる人、

ということだって。


多分褒めてもけなしてもいない

フラットな表現として。


正直、嬉しかったよ。

バカボンのパパみたいなイメージで

受け取った。


断然、それ、得意かも。

なるほどねぇ。


きっと、この世を楽しめるようになって

だんだん、そこに戻ってきたんだなぁ。


こんなことって、言われないと

わからない。氣づかない。


たしかに、中途半端な話題?

中途半端な頭の使い方なら、

そんな退屈な話、

(それは大体世の中の常識みたいな

ジャッジ視点が入ってる話、かな)

くだらない話のほうが

よっぽどくだらなくない(謎かけ?笑)

って、思ってる節はあるかもしれない。



"バカスイッチ、オン"の方が

面白い話の展開が飛び出る、

とも思う。実体験として。


しかし、頭を使わないで話す、か。


よく手にとって考えてみると、

それは、即興の音楽のようなものだ。

反射と環境と相手の状況を

それに合わせたり、

裏切ったりしながら、

妥当性と意外性の狭間で

パスを出していく。

それは、大笑いに及ぶ時もあれば

貴重な世界を見せてくれることもある。


とすると、頭を使う、というのは、

逆にどういう観念でパスを出していく

作業のことを言っているということになるのだろうか。

なかなかに、興味深い。



あ、頭の使い方、が、

根本的に違う種類だから、

それは、他の人たちにとって、

理解できないゆえ、バカ、に、

感じられる、ということだろうか。

この辺は謎のままだ。


私は、そのバカという表現の

補足説明をきいて、逆に喜んだけれど、


きっとそれは、自分ににとって、

スイングしてる、

という感覚に近かったから

のような氣がしてきた。


思考を捨てて

その場のリズムに身を委ねて

体が動きたいように踊る。


それが、変な動きになろうが気にせず

幸せを享受して踊っている時、

その踊る姿は、

自分でかっこいいと思ったり、

(変な動きなのに)

なんだか氣に入ってもらえることが

多いのだよ。

そういう感じにも近い。


それは、今までの人生を

映し出していると思う。

今まで味わってきたものを、

一度捨ててゼロに戻している

ようでもあり、

それを知ってから手放して得た

自由度というものも搭載している。


そういう意味で言えば、

食べた食事の栄養だけを吸収して、

消化できなかった分を外に出した、

ということに近いのかもしれない。

つまり、食べたものは、

エッセンスをしっかり、

この人生に取り入れて、

手放したものには感謝して、

それを水洗トイレで流さずに、

私は、堆肥化して敷地内の土として

綺麗な花や、美味しい野菜にするのだ。

そういうこと。


ここで、おーーー!!と

また、感動するのは、

やっぱり、こうして、

結局、大なり小なり同じ構図が

繰り返されるんだなぁ、という感覚。

まるで、フラクタル構造だ。

だから、私は、これから建てる新居に

どうしてもコンポストのトイレを

採用しないと氣がすまなかった、

そういうことに帰結してくるわけね。


はい、この内容も、頭を使わないで

書いているのかもしれません。


何故なら、まさか、

トイレに行き着くとはね。

話の流れに連れていかれて

思わぬところにたどり着いてしまった感、

半端ないですから。

自分の想像をどんどん超えていくわけで、これは、なんなのでしょうね。😆


面白い。


こんな、わたしの頭の中、

曝け出しな文章、

読んだ人には理解できるのだろうか?

でも、自分的には、とても興味深い

思索の散歩道だったので、

このままブログに残してみます。



色々わかったこともあれば、

分からないことも生まれた、

そんな散歩道。



全く的外れだったらつまんないから

おしゃべりしてたメンバーには

ブログのことは、黙っておこう。


わはははは。