本日の日刊スポーツのこちらの記事!!

 

生島ヒロシ、TBS→フリーで年収10倍/連載16 - 芸能 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

 

私が所属させていただいている生島企画室会長でもある

生島ヒロシさんのヒストリー。

 

連載記事で今日は16回目。

 

毎日楽しく読ませていただいています。

 

遂に話は1990年、

TBSの朝のワイド番組「ビッグモーニング」

のところまでやってきました!!

 

私のことも書いてくださっているのですが、

朝、読んで涙が出そうなほど嬉しかったですおねがい

 

私がフリーになって初めての番組は、

生島ヒロシさんのアシスタントとしてのこの番組でした。

 

お陰様で、私はフリーアナウンサーとして

「ビッグモーニング」を3年半を担当させていただいた後

フジテレビのワイドショー「ビッグトゥデイ!」

テレビ朝日の「Jチャンネル」フィールドキャスターなど、

常にいい仕事に恵まれました。

 

その後、仕事を辞め専業主婦となりました。

ところがある日突然夫が亡くなり、

精神的に辛い日々が続いていました。

そんな時、偶然、生島さんにお会いする機会があり、

そこで20年ぶりの再会となりました。

 

14年間のブランクがあり、

とても仕事に復帰できないと思っていたのですが、

生島ヒロシさんの

「大丈夫!!」

という持ち前のポジティブさで、

私をどん底から引き揚げてくださったのです。

 

復帰後初めての仕事が、

TBSラジオ「生島ヒロシのサタデー一直線」

生島さんのアシスタントでした。

緊張の中、再び生島さんのアシスタントを務めさせていただけるありがたさ、嬉しさをかみしめておりました。

 

今日の記事で、「かつての戦友」と書いてくださっています。

 

「戦友」なんてあまりにも恐れ多い言葉です。

私にとって、生島さんは「師」であり「恩人」です。

 

『「生島企画室」の所属になってくれました』

・・・なんて、とんでもないアセアセアセアセ

私は『「生島企画室」に所属させていただいた』のです。

 

「感謝!!

 

LINEで直接生島ヒロシさんに伝えればいいことですが、

ブログで思いを綴らせていただきます。

 

フリーアナウンサーとして

実業家として

父親として

魅力ある人間として

これからも益々元気に輝き続けてください炎

 

もうすぐ6000回を迎える

TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」

当日(4月5日)は早起きして生でしっかり聴きます!!

 

【フリーアナウンサー】寺田理恵子と生島ヒロシが伝説の番組『ビッグモーニング』の当時を語る!生島が寺田を激怒させた事件とは!?今だから言える番組の裏話が盛り沢山! - YouTube