私がフジテレビ入社当時アナウンス部長だった山田祐嗣さん。

 
とても穏やかな方で、
誠実で
真面目で
優しくて・・・
 
「オレたちひょうきん族」の山村美智子さん(現:山村美智さん)のピンチヒッターの話をする時、
「寺田君、
山村君の留守の間、一回だけ、やってみる?」
 
いつも、「やりなさい」ではなく、「やってみる?」と私の気持ちを、聞いてくださいました。
 
私が、自信ない顔をすると、
 
「大丈夫だよ!横澤さんも新人でいいって言ってるしウインク
 
と背中を押してくださいました。
 
その後、私がアナウンス業務以外の仕事が多くなり、
男性誌の「プレイボーイ」のグラビアや、
クラウンレコードからのデビューの話などをするときも
 
「こんな仕事来ているけど…。どうかなぁ?」
 
もし、部長が良くない仕事と思っていたら、私にまで話を繋がないでしょう。
 
私のところに話が届くということは、既にフジテレビの広報とアナウンス部を通じている話であるということ。
 
だからこそ、私のもとに来たお話は、チャレンジあるのみ。
 
当時の私は、仕事は全てありがたいお話だと思って引き受けさせていただきました。
 
その後、山田部長の退社と私の結婚退社が同じ年になりました。
 
山田さんは、共同テレビに異動となり、
フジテレビアナウンサーの退社後のマネージメント業務を行う「人材開発部」という部署を創設し、そこの部長になりました。
と同時に私は、引き続き山田さんのもとで、共同テレビ所属フリーアナウンサーとして始動したのです。
 
あの時、共同テレビが人材開発部をつくっていなかったら・・・
山田さんが上司でなかったら・・・
フリーアナウンサーの私は存在しなかったでしょう。
 
 
私はものすごいあがり症。
大舞台で失敗してしまう悩みを打ち明けると、
 
「僕だって、すごいあがり症なんだ。
マイクの前では今でも緊張するよ。
でもね、しゃべりだしたら、自信を持って!
大丈夫だからニコニコ
 
ニッポン放送のアナウンサーから、フジテレビのアナウンサーとなった山田祐嗣アナウンサー。
 
「声は人なり」
 
いつも笑顔で見守ってくださり、
私の背中を押してくださった
素晴らしい恩師であり上司に、心より感謝申し上げます。
 
そして心よりご冥福をお祈り申し上げます。