母がお骨になって、我が家に帰ってきました。
祭壇には、裏千家の正教授だった母のために、
茶道の道具を並べました。
「並べ方が違う」「お道具の扱いが悪い」と、
母のお叱りの声が聞こえてきそうですが・・・。
最期の衰弱している母を見ていた時には、
もうこれ以上無理させるのが可哀そうと思っていましたが、
元気で優しい笑顔の母の遺影を見ていると、
なんで・・・と悲しみや悔しさが込み上げてきます。
母が、何となく性格が変わったなと感じ始めたのが、9年位前。
ベッドから落ちて腰を痛めたのがきっかけなのか、、
何度も同じことを繰り返して何かを言うようになり、
「おかしい」と思い、物忘れ外来を受信したのが7年前。
認知症は、物を忘れるだけと思っていたけれど、
脳の病気だから、身体のいろいろな機能が徐々に低下していくものなんですね・・・。
その時くらいから、母は今までできていたことが、少しずつできなくなっていきました。
そして、体力的にも少しずつ変化が表れてきて・・・。
その変化に気づくたびに、涙を流してきました。
母が我が家で初めて失禁した時には、
ショックの余り泣く母を見て、一緒に泣いてしまいました。
(後に、この失禁は軽い脳梗塞のせいだとわかりました)
「先にぼけたもん勝ちだよ」
夫は笑いながら言いました。
「お義母さんは、つらい記憶もきっと無くなっているよ。
ある意味、嫌なこと全部忘れて幸せなんだよ。
今という時間を、楽しく過ごせるようにしてあげよう。」
同じことを何度も繰り返して言う母に対して、
ストレスがたまっていく私。
そんな時、ゆりえが作った歌 「たとえ今だけでも」。
『たとえこの記憶が今だけでも
幸せでいてくれるなら
何度でも伝えるよこの気持ち
いつもありがとう』
『そばでこうして笑い合えるのは永遠のことじゃないから
今だけはそばにいてあげたいの
笑顔見ていたい あなたが眠るまで』
(作詞・作曲 ゆりえ)
母が認知症とわかった時から、
「今」という時間が、今までよりずっと貴重に感じるようになりました。
イライラしているとき、ゆりえの歌を聴いて、
なんどでも繰り返す会話も、ありがたいと思えるようになりました。
母の笑顔がとても嬉しく感じました。
認知症の母を支える私を、更に支えてくれた夫と娘に
心から感謝!!