このブログは

 

「私、癌サバイバーらしいです」

生き方と装いで

自分を取り戻すまでの記録

 

として、実体験をもとに書いています。

 

 

はじめから読む方はこちら

 第1話下差し

 

 

 

 

3月も半分が過ぎて、

少しずつ春らしくなってきました。

 

昨年の今頃は、

 

ちょうど抗がん剤をスタートしたばかりで

春を感じる余裕なんて

正直ありませんでした。

 

 

前回の記事では、

乳がんのサブタイプなどの

 

詳しい検査結果と、

抗がん剤初回投与日の体調の変化について

書きました。

 

前回の記事はこちらから読めます。

下差し

 

 

 

 

2025年3月いよいよ抗がん剤治療が

スタートしました。

 

 

副作用については事前に説明もあり、

プリントもいただいていましたが、

 

吐き気止めや便秘薬、頓服などなど

たくさんの薬が事前に処方されて

 

どの薬が何なのか・・・あせる

 

薬剤師さんの説明を聞くだけでは

薬の容量など頭に入らず

 

「人生でこんなにたくさんの薬をもらったのは初めてだな」

 

と思いながら、薬の袋に一つづつに

重要な事はメモ書きをしました。

 

 

この時はこれほどの量の薬を処方された

現実に不安しかなかったです。不安

 

 

抗がん剤の投与前には

点滴で吐き気止めも入ります。

 

 

「やっぱり吐き気は避けられないのかな…」

 

 

テレビで見てきたような辛さが

待っているのではと

頭の中は良くない想像ばかりもやもや

 

 

そんな中、主治医の先生から

 

「今は吐き気止めの薬が

かなり良くなっていますよ」

 

と聞き、半信半疑でしたが

今さらジタバタしても仕方ない、

なるようにしかならない。

 

そう思うしかありませんでした。

 

 

初めての抗がん剤投与は

不安からのスタートでした。

 

 

 

 

抗がん剤(AC療法)4クールで感じた副作用(私の場合)

※副作用の出方には個人差があると

思いますが、私の場合です。

 

 

  • 吐き気

吐いてしまうほどではありません

でした。ただ常に胃が重だるい感じ

これも1週間ほどである程度

収まりました。

 

食欲は少し落ちる程度で、

食べられないほどでは

ありませんでした。

 

 

 

  • 便秘

2~3日出ない状態に

 

処方された薬で3日ほどで改善。

 

最初に処方された薬が合わず、

初回にかなり苦しい思いをしたので

2回目の投与から薬を変更してもらいました。

 

 

 

 

  • 味覚障害

水さえも美味しく感じられず、

口の中にずっと違和感

※炭酸水が飲みやすく

水分補給に常備していました。

 

食べ物の味が美味しく感じられない。甘味はわかるが塩味が曖昧。

料理を作ると濃い味になり過ぎるので

自炊は危険だと感じた。

 

 

 

 

 

  • 口の渇き

思っていた以上に強く、夜中に何度か水を飲むことも。

食事も水分が必須でパンやご飯などパサついて食べずらい。

 

うどんなど汁物が食べやすかったが

太麺は辛く、細麺やソーメンが

とても食べやすかった。

 

 

 

 

  • 倦怠感・眠気

日中も気づくと

寝てしまうような状態

 

これも1週間ほどで落ち着き、

その後は比較的元気に過ごせました。

 

 

 

 

  • 発熱(抗がん剤投与初回のみ)

投与10日後に発熱

 

白血球が下がり始めるのが投与後10日前後との事でその通りでした。

念のため病院で

インフル&コロナの検査。

感染症ではないことを確認し

副作用の白血球の減少によるものだろうとのことでした。

 

抗がん剤投与中は白血球が減少し感染症になりやすく重症化するリスクが高いらしく、注意が必要との事でした。

 

 

抗がん剤2回目以降は、

白血球の低下を防ぐために毎回

「ジーラスタ」という注射をする事に

 

おかげでその後は発熱する事は

ありませんでした。

 

 

 

「ジーラスタ」について

抗がん剤の翌日に病院で

ジーラスタの注射を

打ってもらっても良いのですが

私は翌日に自動で薬が入る仕組みの

ボディポッドを選択しました。

 

体調の悪い時に病院へ行く事なく

本当に助かりました。

取り外しも簡単でした。

 

 

ジーラスタの装着写真はこちら

左のチューブの先が

針になっていて下腹に刺してあります。

刺す時だけチクッとしますが装着最中は

痛みはありません。

装着は看護師さんにして頂きます。

 

 

 

そして、初回抗がん剤投与から約2週間後

いよいよ髪の毛が抜け始めました。

 

 

「とうとう来たなという感じでしたが、

 

 

これはある程度覚悟していました。

 

 

 

それよりも、

私は部屋中に髪の毛が散らばる方が

掃除が大変そうで嫌でした(笑)

 

 

抜け始めたタイミングで新聞紙を敷いて、

軽く触って抜けるものは自分で取りました。

 

無理に引っ張ったわけではありません。

触るだけでボロボロと驚くほど簡単に抜けてしまいます。笑い泣き

 

 

結果、2日ほどでほとんど

抜けきりました。

 

抜けきると言ってもツルピカに綺麗に抜ける訳ではなく

抜けない毛があちらこちらに微妙に残っていました。

 

そのせいで見た目はとてもみすぼらしく、

より病人感が増して見える。泣

 

バリカンで綺麗に坊主にする手段も

選択肢にあったのですが

 

なぜだか残った少しの髪の毛が

とても愛おしくて…笑

 

 

残ってくれた貴重な髪の毛は

大切にそのままにしておく事にしました。

 

 

抜けきるまでは常にヘアキャップをかぶり

部屋に髪の毛が散乱することなく

掃除の心配は一件落着ですOK

 

 

副作用の抜け毛は、髪だけでなく全身の毛が抜けます。

眉毛やまつ毛もなくなります泣

 

髪が一番早く抜け、眉毛まつげは

3クールが終わる頃だったと思います。

 

 

髪の毛と眉毛が無くなり

驚くほど人相が変わりました。ガーンガーン

 

 

一気に病人に見えます。

ほんとに鏡を見るのが辛かった。ショボーン

 

 

 

それでも私は出かける時には

 

スカーフウィッグをつけてハットキャップ

 

 

メイクをして口紅付けまつげ唇アイシャドウ

 

 

好きな服を着るエプロンハイヒールドレスデニムスカートTシャツ

 

 

 

それだけで、

気持ちが少し上がるのを感じましたアップドキドキ

 

 

今は本当に便利な時代です。

 

・ウィッグ

・眉毛シート

・つけまつげ

 

などなど、外出しなくても

ネットで揃います。

 

こういった小物を駆使すれば

治療前と変わらない

髪も眉毛もまつ毛もある

自分に戻れます。

 

体調さえ良ければ、

容姿を気にせずに外出もできる。おねがい

 

 

家にこもっていると、

どんどん自分らしさを失っていくようで

 

 

社会から置いていかれるような、

そんな不安もありました。

 

 

でも、

 

鏡の中に

少しだけ笑顔の自分が見えたとき乙女のトキメキ

 

思いましたひらめき電球ひらめき

 

 

お洒落は、

 

誰かに見せるためのものではなくて

 

「自分を労わるためのもの」
なんだと

 

 

私にとって“装い”は、

ただの見た目ではなくて

 

心を少しだけ前に向けてくれるもの。

 

 

病気になってから、

笑顔が減っていたかもしれません。

 

 

 

だからこそ今は、

無理をするのではなく

自分を大切にするために

笑顔になれることを選びたい。

 

 

 

そんな気持ちが、

この頃から少しずつ強くなっていきました。

 

 

 

この頃はまだ、

「見た目を整えれば気持ちも整う」

そう思えていた時期でした。

 

 

 

でもこのあと、もう一歩深く

「自分と向き合う出来事」

が待っていました。

 

 

その話は、また次回に。

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

前回は癌がわかり、治療方針が決まるまでの不安な気持ちや

治療に向けての準備や覚悟、

ウイッグ事情について書きました。

 

そして今回は、
乳癌のサブタイプなど

詳細な検査結果を聞いた日から

抗がん剤初日までのお話です。

 

(前回の記事はこちらから読めます

下差し

 

 

 

検査が一通り終わり、
いよいよ結果を聞く日が来ました。

 

もちろん、

不安と緊張がないわけではありません。
でもその一方で、

 

「早く今の状況を知りたい」

 

そんな気持ちの方が強かった気がします。

 

抗がん剤治療をすることは、
すでにわかっていました。

だから、ある程度の覚悟は
出来ていたと思います。

 

 

ただ・・・
きっと動揺するだろうし
先生の話を

ちゃんと聞けるかどうかもわからない。

 

大事なことを聞き逃したり、
勘違いしてしまっても困る。

 

そう思って、主治医の先生に

 

「録音してもいいですか?」とお願いし、
一部始終を携帯で

録音させていただきました。

 

 

告げられた病名は

左浸潤性乳管癌

 

そして診断の時点で、
リンパ節への転移も確認されていました。

 

サブタイプ

HER2陽性 ホルモン受容体陰性

ホルモン治療は効果がないタイプでした。

 

 


Ki67(増殖の速さ)48
・核グレード(顔つき)3

 

残念ながら
おとなしいタイプの癌ではないようでした。

 

 

そして

ステージ2B 


 

 

 

 

実は最初の検査のとき、

先生からこんなことも言われていました。

 

「肺に少し影が見えるんですよね・・・」

 

 

その言葉を聞いたとき、

頭の中に浮かんだのは


「もしかして転移?」という言葉でした。

 

 

もし肺にも癌があれば、

ステージは4になる可能性もあります。

 

 

先生はとても落ち着いた口調で

 

「仮に肺にあったとしても

治療は変わりません。
抗がん剤で消えることもありますから、

まずは様子を見ましょう」

 

と説明してくださいました。

 

 

私の中で告知の次に同様したのが

この肺の影でした。

 

「先生の様子を見ましょう」の言葉も

「治療法がない」というように

捉えてしまうくらいマイナスに

受け取っていました。

 

言葉も出ず

ただ、ため息が出た事を

記憶しています。

 

 

家族にはこのことは

話していませんでした。

 


余計な心配を

かけたくなかったのもありますし、

 

まずは自分で受け止めてから

伝えようと思っていたからです。

 

何よりまだ確実な結果ではなかった事だけが

心の支えでした。

 

 

 

そして今回の検査結果で
肺への転移はないことがわかりました。

 

その言葉を聞いたとき、

とにかくホッとしました。

 

心の中のひっかかりというか

不安の壁が一つ

スッと消えて行く感じで

目の前が少しだけ明るくなりました。

 

 

一つでもプラスの材料があった事が

とても嬉しかったおねがい

 

 

もちろん治療はこれからですが、

それでも「まずはここから」
そんな気持ちでした。

 

そして

主治医の先生がおっしゃった

「抗がん剤で癌が消える人もいる」

という事実に対して

 

先日聞いた時の私は

「その奇跡はほとんどないんだろうなぁ」

と否定的でしたが

 

今回は

希望を捨てずに抗がん剤を頑張ろうビックリマーク

 

前向きな気持ちになれた

私がいました。

 

 

 

HER2タイプの乳がんには
よく効く分子標的薬があるそうで、

抗がん剤分子標的薬

両方を使う治療になるとのことでした。

 

抗がん剤は3週間に1回。

 

最初は

AC療法(アドリアシン・エンドキサン) → 4クール

 

そのあと

DHP療法
(ドセタキセル・ハーセプチン・パージェタ) → 4クール

 

計8回の抗がん剤治療になるようです。

 

 

 

この日は本当に
たくさんの説明を受けました。

 

正直、情報量が多すぎて・・・アセアセ
全く頭に入らない泣

すべてを理解できませんでした。

 

 

 

 

病院から乳がんについて

わかりやすく書かれた冊子や
検査結果のプリントもいただいたので、

ひとまず持ち帰り、
あとでゆっくり読むことにしました。

 

 

実は私は、抗がん剤以外の治療法
少し気になっていました。

 

いくつか主治医の先生に質問してみました。

 

・陽子線治療

・光免疫療法
私の場合は効果が期待できないとのこと。

 

 

・ハイパーサーミア(温熱療法)
抗がん剤がかなり大変だと思うので
体力的にきついのではとのこと。

 

 

・水素吸入
これは問題ないそうです。

 

 

この結果、
抗がん剤治療をしながら出来ることは

水素吸入くらいとわかりました。

 

 

どこかでまだ少し

化学療法を選んだ自分の選択に

不安がありました。

 

でも

今回聞いた事でスッキリしました。

 

すこしづつ視界が良くなるような

そんな感覚でした。

 

 

そのあと、薬剤師の方から
薬の説明も受けました。

 

様々な副作用について一通り

話を聞きました。

 

結論は

「とにかく個人差がある」
「やってみないとわからない」
ということ。

 

 

事前にわかっている副作用については
薬でコントロールしてくれるとのことで、

それは少し安心材料になりました。

 

とは言えこの時点では副作用の不安で

頭の中はいっぱいです。

 

 

 

抗がん剤治療の前に
「CVポートの埋め込み手術」

済ませました。

 

 

毎回、血管から針を刺す抗がん剤は
色んなリスクがあるらしく、

 

 

この病院では
基本的にCVポートを

推奨しているそうです。

 

正直よくわからなかったけれど、

「先生がおすすめするなら」

と快諾しました。

 

 

とはいえ、
身体にメスを入れるのは人生で初めて。

 

とても緊張しました。

 

でも手術は日帰り。
局所麻酔で、あっという間に終わりました。

 

傷の痛みは2週間くらいでなくなり

違和感は慣れるまで2カ月はかかったように

思います。

 

今では忘れているくらい

気にならなくなりました。

 

私にとって

抗がん剤投与前にやって良かった事の

一つです。

 

そういえば
梅宮アンナちゃんも抗がん剤の途中から
CVポートにして

「すごく良かった」

と言っていたのを思い出しました。

 

私にとって

経験者の方々の経験談は

とてもに参考になりました。

 

 

そんなこんなで

あっという間に3月になりました。

 

いよいよ
抗がん剤治療がスタートします。

 

 

抗がん剤前日の夜は、
やはり緊張していたのか

あまり眠れませんでした。

 

そのせいもあって
当日は少し寝坊気味に起床。

 

バタバタと準備をして
病院へ向かいました。

 

 

事前の検査
(体重・血圧・血液検査)を済ませ、

問題もなかったので
予定通り抗がん剤の投与へ。

 

抗がん剤の前に吐気止めの薬からスタート

 

その後、いよいよ抗がん剤です。

最初の抗がん剤(アドリアシン)は

なんとも毒々しい

真っ赤な色をした薬でした。

 

 

 

 

 

少し緊張していましたが
実際に投与している間は

何の苦痛もありません。

 

CVポートのおかげで
身動きも取りやすくトイレも

途中で行く事が出来ました。

 

 

 

尿は事前の説明通り

赤くなっていました。びっくり

 

これは事前に効いてないと驚くなぁ~

と思いましたが

しっかり体内に抗がん剤が

入って来ている事に間違いない。

 

 

赤い薬(アドリアシン)の投与中は

氷を口の中に入れておくようにと

紙コップに小さな氷を

山盛り提供されました。

 

口の中を冷やす事で

口内炎の予防になるらしいです。

 

言われるがままに氷を口へ、

溶けてなくなれば

また次の氷を口へと・・・

 

副作用怖さに

必死に氷をなめていました。

 

 

投与中に栄養指導の栄養士さんが来て

抗がん剤治療中の食事の取り方について

指導を受けました。

 

やはりこの手厚さを見ると

副作用は避けて通れないんだな・・・と

 

不安と共に身が引き締まる

思いになりました。

 

 

治療は順調に終了しました。

 

そのまま何事もなく帰宅。

 

お昼ごはんも
普通に食べることができました。

 

「なんともないなぁ

 

「このあとどうなるんだろう

 

そんなふうに
少しドキドキしながら過ごしていました。

 

夕方、早めにお風呂へ。

 

するとこのあたりから
少し辛くなってきました。

 

ちょっとした貧血のような

そんな症状だったと思います。

 

お風呂上がり、
倒れ込むようにベッドへ。

 

 

そのまま
3時間ほど眠ってしまいました。

 

 

目が覚めたときには
胃のむかつきがあり

食欲はありません。

 

とりあえず
水分だけは取らなければ

と思いながら

 

少しづつ水を飲みました。

 

結局、だるさが続いたので
その日は夕飯は取らず

早めに就寝。

 

 

前日の寝不足もあったせいか
夜はぐっすり眠れました。

 

 

次回は
抗がん剤の副作用について
書いてみたいと思います。

 

 

同じ治療を受ける方の
少しでも参考になったら嬉しいので、
できるだけ正直に記録を残していこうと思います。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 


 

前回の記事では、
「癌」と告げられた日から病院選びのことを書きました。

 

 

下差し前回の記事はこちらです

 

 

 

今回は、治療が始まるまでの“静かな準備期間”の話です。

 

手術が先だと思い込んでいた私

私は癌と言われたら、
すぐに手術になるものだと思っていました。

 

なぜなら

母も知人も、先に手術だったからです。

 

でも私の場合は
先に抗がん剤、その後に手術とのこと。

 

 

そういうこともあるんだ……

 

それが最初の驚きでした。

 

2月は検査。
抗がん剤治療は3月から。

 

2月は普段通り過ごせると聞き、
少し時間があることにホッとしました。

 

偶然にも、娘の産後を手伝う予定で
3月は仕事を入れていませんでした。

まるで、治療のために用意された時間のようでした。

 

 

治療で最初に言われた具体的な事

主治医の先生から、
具体的に言われた事がひとつあります。

 

「ウィッグはすぐに必要になるので、早めに用意してください。」

 

そうか……

やっぱり髪の毛はなくなるのよね。

 

 

抗がん剤治療=脱毛。
頭では分かっていたけれど、
その言葉で現実になりました。

 

 

ウイッグ探しの現実

私はすぐに検索を始めました。

 

「抗がん剤」
「副作用」
「脱毛」
「医療用ウィッグ」

 

サンプルを取り寄せ、試着もしました。

 

う~ん・・・どうしてもしっくりこない。

 

サイズが合っていなかったのかもしれない。
慣れていなかったのかもしれない。

 

とにかく変なんです。
率直に言うと似合わないショボーン

 

そして現実的な事で言うと

ウイッグは頭の締め付けと暑さがとても

不快でした。

 

はぁ~~~悲しい

 

鏡の前でため息しか出ない

 

私はヘアスタイルには自分なりの拘りがあり

カットやカラーは選び抜いた美容師さんにお願いしていました。

 

ウイッグが悪い訳ではないと思うのですが

テンションは下がる一方です。

 

髪を失うこと以上に、
「自分らしさ」が遠くなる気がして、
それが一番つらかったのかもしれません。

 

 

スカーフウイッグとの出会い

そんな時に見つけたのが
スカーフタイプのウィッグでしたひらめき電球

 

スカーフにマジックテープが付いていて、
前髪ウィッグが脱着できるタイプ。

 

種類も豊富で、とてもお洒落ラブラブ

 

しかもブランドを立ち上げた方が

癌経験者とのこと。

 

だからこそ、
痒いところに手が届く工夫がされていましたグッド!

 

それを見つけた瞬間、
一気に落ちていた気分が回復しましたドキドキ目がハートアップ

 

 

「これなら、髪がなくても安心して外出できるスター

 

私にとってその安心感は

想像以上に大きかったのです。

 

その上、かぶり心地も最高でした。

まさに神アイテムグッド!

 

 

 

 

私が見つけたこのスカーフウィッグはこちらです

私のようにウイッグがしっくり来ずお困りの方がいらっしゃったら

覗いてみて下さいね。

下差し

 

※ご紹介は個人的な体験によるものです。

関係者ではありません。

 

 

 

抗がん剤の副作用を検索しすぎて不安がマックスに

治療についても、たくさん調べました。

 

「抗がん剤」

 

「放射線」


「副作用」

 

検索すればするほど、不安になる一方でしたあせる

 

 

でも途中で、私は立ち止まりました。

 

まだ起きていない未来を
何度も先取りして怖がっている自分に気づいたのです。

 

治療内容は結果次第。
今すぐ私が決められることではない。

 

だったら
今できることに集中しようと

気持ちを切り替えました。

 

治療の助けになるような事や

治療中のライフスタイルに取り入れる事など

この時点で私がやってみようと思った事を

ピックアップしました。

 

 

治療前に私が選んだあれこれ

ダイヤオレンジ体力低下に備え体を動かす。
→癌患者さん向けオンラインヨガに申込む

→マシンピラティスの体験レッスンへ

 

ダイヤオレンジ身体を温める

→お風呂に必ず浸かる

→温かい飲み物を飲む

→ミネラルミスト浴へ通う

 

ダイヤオレンジ身体に優しい食事を選ぶ

→4毒(砂糖・油・乳製品・小麦粉)を極力避ける

→栄養価の高い食材をとる


ダイヤオレンジストレスの排除

→笑顔でいられることを優先する

 

ダイヤオレンジ定期的な水素吸引

※元々水素吸引には興味があり癌に効くかも??

説もあるらしく、まだ研究途上のようですが

身体にとってマイナスはないので

この機会にスタート

 

そして、一番は

いつも通りに一日を過ごす!!

 

それは小さなことだけれど、
確かな選択でしたキラキラ

 

 

実は

このあれこれの中には

健康な時からやってみたかった事も

含まれています。

 

今までは時間がない・・・とか

お金がない・・・とか

今じゃないとか・・・

言い訳して後回しにしていました。

 

今回は身体にとって良い事

を考えたら必然的に優先順位が

上がりました。

 

何より

時間は有限です。

出来る時に出来る事を

やっておきたいという

思いが強くなっていました。

 

些細なことですが

やりたかった事が出来る喜びで

ちょっぴりワクワクしている

私もいました。

 

 

癌になり

嫌な事ばかり考えていましたが

小さな喜びはちゃんとあることに

気づかされた瞬間でした。

 

 

 

改めて再認識した「選択できる」ということ

大きな出来事が起こると、
人生は一瞬で変わるように思えます。

 

でも実際は違う。

その中でも私たちは、
ひとつひとつ選びながら生きている。

 

 

どの病院に行くか。


誰の言葉を信じるか。


どんな気持ちで今日を過ごすか。

 

 

病気になって初めて、
私は「選択」の重みを知りました。

 

 

そして同時に、
どんな状況でも自分で選べることは

ちゃんと残っているのだと

知りました。

 

 

まだ治療は始まっていませんでした。

 

それでも私は、
どこかで覚悟を決めていました。

 

病気になっても、
自分らしさまで手放さないこと。

 

静かな覚悟の始まりでした。

 

 

次回は、検査結果が出て治療方針が決まり、
いよいよ抗がん剤が始まります。

 

この時点での選択が

今後治療と共に軌道修正される事になるとは

この時は予想もしていませんでした。

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乳癌の告知を受けて
一番最初にした事は家族への連絡でした。

泣き崩れるでもなく、取り乱すでもなく、
どこか冷静な自分がいました。

 

しこりを見つけ告知されるまでは前回ブログでご覧ください。

 

下差し

 

 

 

家族への連絡を終えて私が次にやった事、

それは病院選びでした。

 

何のツテもない私は、
ネットで検索するしかありませんでした。

 

都内の名高い大きな病院。
市内の総合病院。


いくつか候補を挙げる中で、
ひとつだけ心に引っかかる病院が

ありました。

 

こじんまりしているけれど乳腺外科が専門の
S病院。家から電車で8分。


そして何より口コミがとても良かった

 

でも、命に関わるかもしれない選択。
口コミで決めていいのだろうか…

 

頭では迷いながらも、
心はどこかそこに向いていました。

 

紹介状を書いてもらうために

近所のクリニックへ行き、
先生にも相談しました。

 

都内の大きな病院の中で一つ

すぐに受け入れ可能な病院がある事。


市内の病院は乳腺外科の医師が多い事。

 

とても有益な情報を頂けたけれど、

なぜかしっくり来なかった…

 


私が気になっていたS病院について尋ねると
「聞いたことはありますね」という程度

 

紹介状は二日後に出来上がる

との事だったので


「もう少し考えさせてください…」

そう言ってクリニックを出ました。

 

迷いますよね。


大きな病院の安心感か。
専門性の高さか。
それとも、自分の直観か。


でもクリニックを出た瞬間、
なぜか私はS病院へ電話をしていました。スマホ

 

口コミで評判だったのは院長先生。
きっと簡単には診てもらえないだろう

 

と思いながらも、
思いの丈をそのまま電話で伝えました。

 

「院長先生に診ていただきたいですビックリマーク

 

すると・・・

 

「明日か明後日来てもらえれば

院長先生に診てもらえますよ。
ただ予約外なのでかなりお待ちいただきます」

 

明後日は紹介状が出来る日だ電球


「明後日行きます!よろしくお願いします」

 

気づけば道端で携帯を握りしめスマホ

その場でお辞儀していました。

 

タイミングが良すぎる。

とにかく行ってみよう。
合わなければセカンドオピニオンもある。


そう思っていました。

 

皆さんならどうしますか?
直観を信じますか?

 

私が皆さんの立場なら

こんな大事な選択を直観で大丈夫なの?

と思ったと思います。

 

でも今思えば、あの時の私は

「正解」探していたのではなく
自分が納得できる選択をしたかったのだと

そう思いました。

 

もちろんこの時はまだ

他の病院の選択肢は

捨てていませんでした。

 

すぐに動ける事で気持ちがまぎれたし

止まっている事が不安だったの

かもしれません。

 

病院病院病院病院病院病院病院病院病院病院

 

二日後、紹介状を握りしめS病院へ

 

三時間程待ったでしょうか
午前中最後の診察で呼ばれました。

 

触診、そしてエコー検査

「左胸の乳がんが

リンパにも転移していますね」

 

その言葉は、すでに聞いていたはずなのに、
この日は言葉がずっしりと重くのしかかりました。

 

 

私は思わず口にしました。

 

 

「先生、私・・・・もうダメですか?」

 

 

声は小さく震えていた事を覚えてます。

 

心臓の音が先生に聞こえるくらい

高鳴っていました。

 

 

先生は私の目をまっすぐ見て、

 

 

「大丈夫ですよ。治せますよ」

 

 

その瞬間

張りつめていた心がほどけました。
ぐわっ~と感情が込み上げてきました。

 


癌とわかって初めて、

自分の感情に触れた瞬間でした。


でもその時はなぜだか

涙は出ませんでした。

 

 

この時、癌とわかってからずっと
感情にふたをしていた自分に気づいた

瞬間だったと思います。

 

不安な時ほど平静を装ってしまう

自分にも気づきました。

 

頭の中が真っ白で何も考えられず

ただ診察の流れに身を任せていました。

 

すぐに

組織検査が始まりました。

 

針で癌の組織を採って

乳癌のタイプを調べる検査との事


組織を取るための大きな器具を見て

その大きさに驚きと怖さで

身体が硬直していましたガーン

 

それはまるで機関銃のようでした。

 

先生から

 

「大げさな器具で音は凄いけど

一瞬だからね」・・・と

 

あれよ、あれよと言う間に胸と脇に

「バキュン銃バキュン銃

と数回。


大きな音と衝撃。

もちろん痛かった~えーん

 

でも、これから始まるかもしれない未来への不安に比べたら、
一瞬で終わる痛みは我慢できました。

 

 

「結果は2週間後
CTやMRIの結果も含めて、最善の治療を決めましょう」

 

そして最後に先生は

私の肩に優しく手を置いて

 

「治せるから、大丈夫」・・・と

 

 

改めて言われたその一言で

涙があふれ出てきました

泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣泣

 

 

安堵だったのか…
それとも恐怖があふれただけなのか。


今でもよくわかりません。

 

感情をしまい込んだ箱の

蓋を開けられたと言うのではなく

箱のどこかに穴が開いて漏れだした

そんな感覚でした。

 

この時に
この先生を信じて

治療を頑張ろうと決めました

 

 

 

私はこの時

すぐ手術になるものだと思っていました。

 

けれど治療は、

先に抗がん剤から始まるとの事だった

 

「抗がん剤」をやるんだ・・・

 

想定外だった驚きと

不安と複雑な気持ちでした。

 

私の認識では「抗がん剤」は

辛そう

というイメージしかなかった。

 

2月は検査。
抗がん剤治療は3月から。

 

2月は普段通りに過ごせると聞き、
少し時間があることにほっとしました。

 

偶然にも、娘の産後を手伝う予定で
3月は仕事を入れていませんでした。

 

不思議なくらい、
物事が淡々と決まっていく。

 

けれど私の心だけは、
まだ現実に追いついていませんでした。

 

「治せるから、大丈夫」

 

あの言葉を何度も思い出しながら、
それでも夜になると不安が顔を出す。

 

抗がん剤という言葉も、
リンパ転移という現実も、

理解できていた訳ではなかった。


まだどこか他人事のようでした。

 

この時私は

「何も始まっていない時間」の中に

立っていました。
 

希望と不安のあいだで、揺れながら。

でも不安の方がとてつもなく

大きくのしかかっていました。

 

 

次回は
治療が始まる前に

私が考えていたことや、始めた事について
書いてみようと思いますおねがい

 

 

最後まで読んで頂き

ありがとうございました。

 

私「癌サバイバー」

言われる人らしいです。

 

乳癌の告知からちょうど1年が

過ぎました。

 

治療の目途が立った事で

癌告知から治療についての

記録を残したいと

思うようになりました。

 

しばらくの間、スタイリストとしての

内容から離れますが

ご理解頂ければ幸いですm(__)m

 

癌と診断された日から治療までの

詳細な事実と、私のありのままの想い

心の揺れ動きの中で「自分らしく生きる」

を選び続けた記録です。

 

興味のない方はスルーをしてくださいね。

 

 

なぜ私がこの場で癌についてを

書こうと思ったか

詳細は前回の記事に書いています。

 

よろしければご覧くださいおねがい

下差し

 

 

 

 

始まりは、本当にいつもの何気ない

日常の一コマでした。

 

お風呂でいつも通りに身体を洗っていた時、
タオル越しに左胸に触れて

 

「あれ?」??

 

思わず手が止まりました。

 

鏡で両胸を比べて見ても分からない。
触らなければ気づかないくらいの

しこりでした。

素手でもないのに、なぜ気づいたのか・・・


昨日も同じように洗っていたはず

偶然だったのか。導かれたのか

今でも不思議です。

 

すぐにネット検索しました。

「乳癌」パソコンサーチ

 

 

でも、情報が多すぎて・・・

知らない言葉も多くて

素人の私には何も判断できない。


「乳癌は乳腺外科へ」

 

その情報だけを頼りにその夜のうちに

3日後に近所クリニックへWEB予約をしました。

 

私は、気になると放置できないタイプです。
そして、悪い想像で自分を追い込むのも嫌だった。

だからこの時点では誰にも言っていません。

まだ何でもない可能性もあったから。

いや、きっとそう思いたかったのでしょう。

 

 

 

病院病院病院病院病院病院病院病院病院病院病院病院病院

 

診察当日。

近所の乳腺外科まで歩いて10分。

内科がメインの小さな町のお医者さんです。

 

触診のあとエコー検査。

先生はモニターを見ながら、

あっさりとこう言いました。

 

「左胸。これですね。
左脇にも気になるものがあります。

悪性の可能性があるので

明日マンモグラフィをしましょう。」

 

 

……え?

 

なんて?

 

どういうこと?

 

今、私は何を言われたの?

 

悪性って?癌なの?

 

これって告知???

 

頭の中で何度も問い直しました。

 

 

と同時に私は、

「明日は仕事があるので、

来週でもいいですか?」

と、言っていました。

 

すると先生はきっぱりと、

 

「仕事と身体、どちらが大切ですか」

 

その一言で、状況の重さを悟りました。

身体が、ぞくっと震えました。

 

私、癌かもしれないんだ・・・

 

ここから頭の中は癌の事でいっぱいです。

ついついネットで無駄に検索していました。

 

でも、まだわからないし・・・

 

と自分に言い聞かせながら

押し寄せようとしている不安を

取り除いていました。

 

 

 

翌日のマンモグラフィで、

はっきりしました。

 

 

「癌」でした。

 

 

しかもリンパにも転移していて

初期ではない状況だと

はっきり言われました。

 

今思うとこれが俗に言う

「告知」だったと思う。

想像していたのとは違って

とてもカジュアルにサラッと言われた。

 

その言葉はBGMのように

流れて来たような感覚だった

まだ全く呑み込めていなかったです。

 

でも心臓は今までに経験した事がないほど

早く打っているのに、
不思議なくらい頭の中は冷静でした。

 

昨日の段階で、無意識ですが

覚悟してのかもしれません。

取り乱すでもなく、泣く事もなく。

 

ただ、事実を処理している自分がいました。

この時まだ現実として受け止められて

いなかったのだと思います。

 

 

そこからは「感情」より「段取り」でした。

 

仕事はどうする?


娘の産後の手伝いは?


保険は?


病院はどこにする?   

などなど、頭の中は大渋滞。

 

大きな病院は一カ月待ち。
乳腺外科医は足りないというのが

現実だそうです。

 

病院選びという難問。

それでも時間は待ってくれない。

 

この時間も

癌は進行しているのではないのだろうか?

という焦りもなくはなかった。

 

 

 

渋滞中の頭の中、一番最初にした事は

家族(子供たち)への連絡でした。

 

クリニックを出て目の前の広場で

電話をかけました。

 

まず息子へコールスマホ

どうせ出ないだろうなぁ・・・

思っていたのですが、

この日はめずらしくすぐ出た!

 

私は驚くほど冷静に伝えられました。

息子も静かに
「わかりました。また連絡して」とだけ。

 

 

次は娘

でも娘にはすぐには連絡できませんでした。

 

なぜなら・・・

この時娘は臨月。

まもなく二人目の出産を控えていました。

 

余計な心配はかけたくない

産まれるまで黙っておこうか・・・

とも考えた。

 

でも私が産後の手伝いに行けない

可能性もある。

すぐに伝えようと思った。

 

その日の夕方、娘からビデオ電話が

かかってきました。

孫の顔を見せてくれる為に娘からは

ビデオ電話が通常です。

 

そのタイミングで伝えました。

言葉は冷静だったと思います。

いつも通りにふるまったつもりだったけれど

実際の顔はどうだっただろうか・・・

 

娘の目に映った私は、
いつもと違っていたかもしれません。

通話は、いつもよりずっと短い時間で

終わりました。

 

 

私の母は60代で癌で亡くなっています。

だから、どこかで
「自分もいつか癌になるのかもしれない」

と漠然と思っていました。

 

でも、いざ告げられると

他人事のようで感情が追いつかない。

 

悲しみも、恐怖も、まだ来ない。

 

人生で初めて「死」を意識する

病気になったのに。

気持ちだけが置いていかれたような

そんな感覚でした。

 

あの日の私は、

泣くでもなく、叫ぶでもなく、

ただ、現実を仕事のように

処理していました。

 

たぶんそれは、

心が自分を守るための
最初の防御だったのだと思います。

 

 

次回は、
「病院選び」という

大きな決断について書きます。

 

限られた時間の中で、

何を基準に選んだのか。

 

そして置いてけぼりだった感情が、
少しずつ動き始めた時の事にも

触れていきますね。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。