このブログは
「私、癌サバイバーらしいです」

 

―生き方と装いで

自分を取り戻すまでの記録 ―


として、実体験をもとに書いています。


はじめから読む方はこちら

下差し

 

 

 

前回は、

手術前後の現実的な事について

書きました。

前回の記事はこちらから読めます。

下差し

 

 

手術から約2か月後の

2025年11月20日放射線治療が始まりました。

 

放射線治療は、

それまで通っていた病院ではなく
大学病院へ通う事になりました。

 

術後2ケ月の時間を要したのは

予約がなかなか取れなかったのです。

 

初めての大きな病院。病院

 

診察も会計も、

とにかく何をするにも時間がかかる。

それまでの病院との違いに、

最初は少し戸惑いました。

 

 

放射線治療は全25回

土日祝を除き、毎日の通院です。

 

病気になってから、
毎日外へ出かける事が
なかったので、

 

体調も良いし、

「ちょうど良い運動になるかな」

そんなふうにも思っていました。

 

病院までの道にある

銀杏並木がとても綺麗で、
今でも印象に残っています。

 

 

 

放射線治療が終わる頃は、

ちょうどクリスマスの時期。

 

毎日通院は大変ではありましたが、
外に出る事で季節を感じられる事にも、
小さな幸せを感じていました。キラキラ

 

 

治療そのものは、

ただ横になっているだけ。

 

痛みもなく、治療中に何か違和感を感じる事もありませんでした。

 

ただ、

 

「今、放射線を浴びているんだ・・・」

 

という見えないものへの不安感だけは、

どこかにありました。

 

 

放射線治療では、上半身裸になり
頭の被り物も外す必要がありました。

 

 

その為、前髪ウイッグの脱着が

だんだん面倒になり
通院はスカーフと帽子の組み合わせが

定番になりました。

 

 

 

 

 

 

服も、脱ぎ着しやすい前開きのアイテムばかりを

着ていました。

 

毎日ほとんど同じような服装。爆  笑

 

でも、そんな中でも
スカーフと服の色合わせだけは、

自分なりに楽しんでいました。

ハートピンクハートグリーンハートブルーハートイエローハート

 

「今日はこの組み合わせにしようかな」ハットデニム

 

そんな小さな事でしたが、
毎日の通院の気持ちを少し軽くしてくれていた気がします(o^―^o)ニコ

 

 

最初に副作用の説明は受けていましたが、
体感としては大きな副作用もなく、

 

15回目を過ぎた頃から
照射部位が少し日焼けしたかな?

という程度の赤み。

 

20回目くらいから、

しっかり赤くなってきたかな

という感じでした。

 

先生からは、

放射線による皮膚の赤みは
治療が終わってから1週間~10日程して

強くでる事がある

 

と説明を受けていました。

 

そして、本当にその通りでした。

 

治療が終わってしばらくすると、
照射部位が日焼けの酷い状態のように

真っ赤になり、ヒリヒリと痛みました。

 

特に私の場合は、

鎖骨周りが一番ひどかったです。

 

それでも、

「これも徐々に治っていくんだな」

と少しホッとしていた頃、


別の問題が起きました。アセアセ

 

 

背中にあった引っかき傷が、
どんどん悪化していったのです。

 

痒くて掻いてしまい、
かさぶたを取ってしまったのは

自分の不注意だと思っていました。

 

でも、傷はなかなか治らず、
どんどん化膿していきました。もやもや

 

 

洋服に膿がつかないよう、
傷パワーパッドを貼って

過ごしていましたが、


それでも良くならない。

 

「なんでこんなに治らないんだろう…」

 

そう思っていたある時、

 

その傷がある場所が、
放射線を照射した左側で
しかも鎖骨の裏側

肩甲骨の上あたりだという事に

気づきました。

 

 

「まさか関係あるのかな…?」

 

そう思い、病院へ電話をしました。

 

 

すると、

 

「念の為、一度診せて下さい」

 

と言われ、その日のうちに受診する事に。

 

 

 

先生は傷を見るなり、

 

「あー、これは放射線皮膚炎ですね」

と。

 

本当に驚きました。

 

 

 

実はその傷、
放射線治療の後半にはすでにあり、
少しずつ悪化していました。

 

でも私は、

 

「直接放射線を当てた場所ではないし…」

 

と思い込み、
先生には何も伝えていませんでした。

 

すると先生は、

「何かあったら、どんな事でも

言ってくれて良かったんですよ」・・・と。

 

 

さらに、
私が自己判断で貼っていた

傷パワーパッドが、
逆に悪化させてしまった可能性が高い

とも言われました。

 

 

薬を処方してもらい、
指示通りに対処すると、

2週間ほどで傷は落ち着きました。
 

 

ただ、かなり酷かったので、
今でも跡は残っています。悲しい

 

 

人に見える場所ではなかったのは

救いでしたが、

 

「違和感を感じた時は、
自己判断せず、早めに相談する事が

大切なんだ」

 

と強く感じた出来事でした。

 

 

この頃には、
術前抗がん剤で苦しんだ味覚障害も、
ほとんどなくなっていました。OK

 

食事も美味しく食べられるようになり、
体調もかなり良かった。ニコニコ

 

 

放射線治療も、
体調そのものに大きく影響する副作用は

なかったので、

 

「早く仕事に復帰したい」

 

そんな気持ちが強くなっていました。

 

 

今思えば、
少し調子に乗っていた部分も

あったかもしれません。

 

 

だからこそ、

 


今回の放射線皮膚炎は、

「まだ治療中なんだ」

と改めて気を引き締める

きっかけにもなりました。

 

 

そして放射線治療が終わると、
次は術後抗がん剤が待っていました。

 

 

先生からは、

 

「これは副作用が比較的少ないから

大丈夫ですよ」

 

と言われていました。

 

 

この頃の私は、
体調もかなり戻ってきていて、

 

「もう少しで普通の生活に

戻れるかもしれない」

 

そんな気持ちにもなっていました。

 

 

でも実際は、


「元気なのに治療が進められない」


という、
また違った壁に向き合う事になります。

 

 

次回は、
現在も続いている術後抗がん剤について

書こうと思います。

 

 

この闘病記も、
ひとまず一区切りになると思います。

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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前回は揺れながらも、
少しずつ「今の自分」を受け入れられるようになっていった事を書きました。

前回の記事はこちらから読めます。

下差し

 

 

 

そして

次に待っていたのは、
手術という現実でした。

 

乳がんの手術には、
全摘か、温存かという選択があります。

 

 

私はこの選択に、少し迷いがありました。

 

 

残すことでリスクがあるのなら、
いっそすべて取ってしまった方が

いいのではないか…

 

そんなふうに、どこかで単純に考えていた自分もいました。

 

 

でも、主治医の先生は


「抗がん剤がよく効いて、腫瘍が小さく

なりましたから温存で大丈夫ですよ」


とおっしゃいました。

 

私自身、胸がなくなることに未練はなく、


それよりも

再発リスクの方が怖かったため、
その点についても確認しました。

 

すると・・・

 

私の場合は
どちらを選択しても再発リスクは

大きく変わらないとのことでした。

 

そうなんだ…

 

自分なりに覚悟をしていたので

少し拍子抜けしたような

複雑な心境でした。

 

 

これまでの治療の中で、
先生の言葉や判断には、

自然と信頼を感じていました。

 

だからこそ最終的には、
その言葉に背中を押されるようにして、
温存という選択をしました。

 

 

手術は、私にとって初めての経験でした。

 

全身麻酔も初めてで、
「眠っている間に終わる」

と頭ではわかっていても、
どこかで拭いきれない不安がありました。

 

 

それでも、
ここまで来たのだから大丈夫。

と自分に言い聞かせていました。

 

手術室では看護師さんが

とても優しく寄り添っていただき

眠りにつくまでしっかりと手を握って

くれていました。

 

無機質な手術室の中で

手の温もりを感じて

少し気持ちが和らいだな~

と思っていたら

 

「麻酔が入りますよ。10秒くらいで

眠くなります。」・・・・と

 

ほんとに

そんなに短い時間で眠くなるの?

と半信半疑でした。

 

私は10秒では無理かもしれない

と思っていたら

 

 

看護師さんが数を数え始めました。

 

 

 

「1、2、3、4、5・・・」

 

 

 

次に記憶があるのは

名前を呼ばれて

 

目を開けると

家族の顔が見えました。

 

 

「もう終わったんだ」と

 

 

どこか不思議な感覚でした。

そして心からホッとした自分がいました。

 

 

手術は、思っていたよりも

ずっと早く終わりました。
時間にして、2時間もかからなかったと

思います。

 

 

気がついたときには、
すでにすべてが終わっていて、

私の場合は術後も、驚くほど順調でした。

 

 

尿のカテーテルも入っておらず、
数時間後にはトイレへ。

 

念のため看護師さんが

付き添ってくださり、
車いすで向かいましたが、
問題なく、自分の足で歩いて

用を足すことができました。

 

 

午前中の手術でしたが、
その日の夕食もきちんと

食べることができました。

 

 

手術翌日から

リハビリも始まりました。

 

これもおかげ様で

リハビリの先生に合格点を頂くほど

順調。

 

 

「手術」という言葉から

想像していたものとは違い、
体は思っていた以上に

しっかりとしていて、
回復もとてもスムーズでした。

 

 

 

もちろん、まったく不安がなかった

わけではありません。

 

 

でも実際に終えてみて感じたのは、


手術そのものよりも、
これまでの抗がん剤治療の方が、
私にとってはずっと

大変だったということでした。

 

 

振り返ってみると、
不安の中にいながらも、

私はちゃんと選び、受け止めて、
一つひとつを乗り越えて

きたのだと思います。

 

 

そしてこの時も、
装いは私のそばにありました。

 

特別なことではなくても、

病院へ向かう日と退院の日

私は同じ服を選びました。

 

 

スタイリストではありますが、
この時ばかりは

 

「お洒落をする」

というよりも、


今の自分にとって心地よいこと

大切にしました。

 

 

脇のリンパも取る予定だったため、
術後に腕の上げ下げがしやすいように、
前開きのトップスを選びました。

 

 

ボトムスは、

さっとはけるイージーパンツ

 

 

そんなふうに、
体への負担を減らしながら、


少しでも安心して過ごせるように

整えた装いでした。

 

 

ほんの少し整えることで、
気持ちも一緒に整っていく。

 

そんな感覚が、確かにありました。

 

 

 

こうして、手術は無事に終わりました。

 

 

けれど、治療はまだ続きます。

 


次は放射線治療です。

 

 

その先に待っていたのは、
また別の現実でした。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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前回はDHP療法の副作用についてもまとめました。

前回の記事はこちらから読めます。

 

下差し

 

 

 

 

2025年

3月6日~5月8日

→AC療法4クール

 

5月29日~8月21日

→DHP療法4クール

 

おかげ様でここまで大きなトラブルなく

術前の抗がん剤は予定通り

無事終了しました拍手

 

この時は達成感でいっぱいでした爆  笑

 

 

 

抗がん剤の副作用と向き合う中で、


「お洒落は自分を労わるものだ」

 

と気づいたあの頃。

 

前向きになれない日も受け入れながら、
私は少しずつ、自分のペースで治療と

向き合うようになっていきました。

 

 

そしてこの頃から、
「装い」への向き合い方にも、

少しずつ変化が生まれていきました。

 

 

鏡を見ることが

つらかった時期もありましたショボーン

 

 

体の変化に戸惑い、
今までの自分とは違う姿に、

目をそらしたくなる日もありました悲しい

 

 

それでも、
ほんの少し整えるだけで、

気持ちが、少しだけ前を向くことがありました。

 

特別なことではなくていい。


完璧でなくてもいい。

 

 

それでも、


「ちゃんと自分でいられる」

 

そんな小さな感覚が、

少しずつ戻ってきていました。

 

 

不安がなくなったわけではありません。

 

 

むしろ、いつもどこかで

不安が背中合わせにあるような感覚は、
あの頃と変わらないままでした。

 

 

体調にも波があり、
思うようにいかない日も、

これまでと同じようにありました。

 

 

先のことを考えると、
ふと立ち止まってしまうことも

ありました。

 

 

それでも私は、少しずつ

「大丈夫」

重ねていたのだと思います。

 

 

不安をうまくかわしながら・・・


自分と付き合っていくことを

覚えてきたようなそんな感覚でした。

 

 

一歩進んで・・・

 

また立ち止まる・・・

 

そんなペースでも、
それでも確かに、

前に進めている実感がありました。

 

 

「大丈夫」

 

と言い切れるわけではないけれど、


それでもこのままの自分で、

進んでいけるような気がしていました。

 

 

そんな病気に対する感情と

現実(仕事)は別物でした。


スタイリストの仕事は一度お休みし、

Instagramの投稿も止めていました。


 

発信する余裕がなかった…

 

というのもありますが、

万全な状態でない現状では

クライアント様に失礼に当たります。

 

「今の自分では仕事はできない」と

早い段階で実感していましたし

 

完璧でなければいけない・・・

という思いが強かった。

 

 

それでも、
ストーリーズだけは続けていました。

 

全部を止めてしまったら、
もう戻れなくなってしまうような

気がしていたからです。

 

それだけでなく
私の
このありのままの姿が、

もしかしたら

誰かの助けになるかもしれない。


そんな思いも、どこかにありました。

 

 

出かける日には、
その日のコーディネートを、

短い動画で残していました。

 

 

通院の日は

スウェットのこともありましたし、


前回と同じコーディネートで

出かける日もありました。

 

 

以前の私だったら、
「スタイリストらしくないNG」と

発信すらできなかったでしょう。

 

 

でも、治療中のこの時は


「それでもいい」

 

と思えていましたし、

それが居心地が良かったのです。

 

 

無理に整えなくても、
その日の自分に合った装いでいい

 

 

そんなふうに、


少しずつ自分を許せるように

なっていったのだと思います。

 

 

この頃、
「装い」の意味も、

少しずつ変わっていきました。

 

綺麗に見せるためでもなく、


誰かのためでもなく、

 

ただ、
自分を守るためのもの。

 

揺れる気持ちを整え、
不安の中にいる自分を、

そっと支えてくれるもの。

 

装いは
そんな存在になっていきました。

 

もしかしたら、
同じように悩んでいる人が

いるかもしれない。

 

 

外見の変化に戸惑いながら、
気持ちの置きどころを探している人が

いるかもしれない。

 

 

そんな人にとって、
装い

少しでも支えになるのだとしたら。

 

そして、
完璧ではない日々の中でも、
それでも

 

「自分らしくいよう」

 

としている姿が、

誰かの小さな希望になるのだとしたら。

 

 

そんな想いが、
心のどこかに芽生え始めていました。

 

そんなふうに、
揺れながらも少しずつ

 

「今の自分」

 

を受け入れられるようになっていました。

 

 

 

 

その頃に次は

手術という現実が待っていました。

 

 

次回は手術前後の現実的な事について

書いてみたいと思います。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

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第1話下差し

 

 

 

 

前回は、初めての抗がん剤(AC療法)で副作用と向き合いながら、

気づいたことをかきました。

AC療法での副作用についても

まとめています。


前回の記事はこちらから読めます。

下差し

 

 

AC療法4クールを終え、

2025年5月29日。

DHP療法(4クール)のスタートです。

※D→ドセタキセル(抗がん剤) 

H→ハーセプチン P→パージェタ

(H・Pは分子標的薬)

 


ようやくAC療法の副作用のサイクル

わかり、動ける時期もつかめるようになり、

タイミングを見て外出する事もできていました。

 

次の抗がん剤(DHP療法)に向けて、副作用に備えた薬が処方されました。
これまでの薬に加え、痛み止めやアレルギー薬も増えていました。

 

 

主治医の先生からも


「抗がん剤が効いていますね。

腫瘍は当初より小さくなっていますよ。

次の抗がん剤が本番です。頑張りましょうね。

 

と言われ、

新たな抗がん剤への不安はありましたが、

AC療法をやり切った達成感と何より腫瘍が

小さくなっているいう事が嬉しかったおねがい

 

「次もきっと頑張れるビックリマーク

 

前向きな気持ちで、臨みましたグー

 

 

ですが・・・
その気持ちは、

すぐに揺らぐことになります悲しい

 

 

DHP療法は、AC療法よりも

副作用が強くでました。

 

・全身の痛み
・便秘から下痢への変化
・強い味覚障害(味がしない、食べづらい)
・食欲低下
・体力の低下、息切れ
・貧血によるだるさ

 

※DHP療法で感じた副作用の詳細については、同じ治療を受ける方の参考になれば

と思い、記事の最後にまとめています。

 

 

身体の痛みは、副作用だとわかっていても


「もしかして

癌が転移しているのではないか…」


そんな不安が頭をよぎります。

痛みが抜けるまでは、気が気ではありませんでした。

 

食事もつらくなりました。


何を食べても味がしない。美味しくない。
ボソボソして食べづらく、食欲もわかない。

 

それでも、

食べなければ体力が落ちてしまう。
痩せてしまえば、さらに回復が遅くなる。

 

「食べること」がこんなにも大変になるとは思いませんでした。

 

 

DHP療法に入ってから、一気に体力が落ちたようにかんじました。

 

駅の階段で息が上がる。
それだけのことで、不安になる。

 

主治医の先生に相談すると、

血液検査の結果を見て


貧血ですね。・・・と

 

これも抗がん剤の副作用だと

教えてもらいました。

 

「治療が終われば戻りますよ」

 

その言葉に少し安心しながらも、
体調が悪いと、どうしても気持ちは

後ろ向きになります。

 

 

前向きでいようと思っていたのに、
そうなれない自分に、

戸惑う日もありました。

 

 

そんな中での楽しみは、

友人とのランチでした。

 

味はよくわからない泣
それでも、

誰かと笑いながら食事をする時間は、

気持ちを軽くしてくれましたスター

 

不思議と、家で食べるより少しだけ美味しく感じるのです。

体調の良い日は、なるべく外に出るように

していました。

 

 

とはいえ、

人と会うには準備が必要です。

 

ウィッグや帽子で脱毛をカバーし、
眉毛やまつ毛も整える。

 

指先のしびれで細かい作業が難しく、
メイクにも時間がかかります。

 

それでも、メイクをすると
「いつもの自分」に戻れるような気がして、
最初はとても嬉しく感じていましたドキドキ

 

 

でも、

いつもそうできるわけではありません。

 

メイクをする気力すら湧かない日もやもや
 

人に会うことが、

ただただ負担に感じる日悲しい

 

 

 

「外に出たい」と思う気持ちと、

「誰にも会いたくない」という気持ちが、
自分の中で揺れ続けていました。

 

メイクをすれば、普通の自分に戻れる。口紅

 


でも、メイクすらできない日は、
自分が自分ではないような感覚になることもありました不安

 

 

そんなときは、

自分の気持ちに正直に

無理をしないことにしました。

 

人に会わなくていい場所へ。


一人で、公園を歩くことにしました。

 

家の近くの公園ですが、
ゆっくり歩いたのは初めてでした。

 

 

 

木々の緑や、鳥のさえずり。


子どもたちの笑い声。


穏やかに散歩する人たちの姿。

 

 

ただ歩いているだけなのに、
少しずつ気持ちが緩んでいくのを

感じました。

 

 

こうして歩けること。


見えること。

 

感じられること。


身体が自由に動くこと。

 

 

それまで当たり前だったことが、
とてもありがたく感じられました。

 

 

帽子キャップにマスクをして

上下ジャージにスニーカースニーカー

 


このときの私にとって、

一番心地いいスタイルです乙女のトキメキ

 

 

人の目を気にせず、

自分のペースで歩ける場所。


気づくと、深く呼吸をしていました晴れ

 

「ああ…私、ずっと呼吸が浅かったんだ」

 

知らず知らずのうちに、
心も身体も緊張し続けていたのだと

思います。

 

 

前向きでいなければいけない…


頑張らなければいけない…

 

そう思っていたけれど、
そうじゃない日があってもいいんだビックリマーク

・・・と

 

ありのままの私を肯定できた

そんな瞬間でした。

 

 

メイクができない日も、


人に会いたくない日も、


何もしたくない日も。

 

それでも、その時間は
ちゃんと自分を守っている時間なのだと、
少しずつ思えるようになりました。

 

 

そんなふうに、

前向きになれない日も受け入れながら、
私は少しずつ、自分のペースで

治療と向き合うようになっていきました。

 

その一方で、現実として向き合っていたのが
抗がん剤によるさまざまな副作用です。

 

感じ方や出方には個人差がありますが、
私自身がDHP療法(4クール)で経験した

副作用をここにまとめておきたいと

思います。

 

 

抗がん剤DHP療法(4クール)で感じた副作用

※副作用は個人差があると思います。

以下はあくまで私の場合です

 

  • 身体の痛み

→投与3日後くらいから、筋肉痛のような、発熱時に感じるような全身の痛みが出ました。

日常生活に大きな支障が出るほどではありませんが、横になりたくなるようなだるさがありました。

初回が最も強く感じたため、処方された痛み止めを一度だけ使用。
痛みは2〜3日でおさまりました。

 
 
  • 便秘・下痢

→投与当日から便秘になり、処方されたマグミットを服用しました。

便秘が改善した頃から今度は下痢に。

下痢は長引かず1〜2回でおさまりますが、体力を消耗するため、その日は数時間横になることが多かったです。

 
 
 
  • 強い味覚障害

→AC療法からの積み重ねもあるのか、
味覚障害が強く出ました。
 

・水が苦く感じて飲めないため、炭酸水で

水分補給


・味をほとんど感じられず、甘味のみ多少感じる程度


・刺激の強い食べ物は口の中が痛く感じる

また、口内の水分が極端に少なく感じ、

食べ物がボソボソして飲み込みづらく、

汁物中心の食事になりました。

 

食べやすかったもの
そうめん/茶碗蒸し/豆腐/フルーツ
アイスクリーム/ゼリー/プリン/ヨーグルト

 
 
  • 吐き気・食欲低下

→吐き気は薬でコントロールされていたため感じませんでしたが、胃腸の重だるさがあり、投与後1週間ほど食欲が落ちました。

1週間を過ぎる頃から、徐々に胃腸の不快感は軽減していきました。

 
 
 
  • 貧血

→赤血球の数値が低下し、貧血症状が出ました。

その影響で、1クールのみ次の投与までの期間を通常の3週間から4週間に延ばして調整しました。

 

症状としては、階段を上がるだけで息切れ。

また、夏場だったこともあり、炎天下での外出では普段以上の疲労を感じました。

 

この薬は心臓にも負担がかかる可能性があるため、「無理をしないように」と医師から言われていました。

 

 

 

  • 指先足先の痺れ

→3回目の投与が終わった頃から、少しずつしびれが強くなっていきました。

日常生活に大きな支障はないレベルですが、ピーク時には
・お米を研ぐ
・スマートフォンをタップする
といった動作でも痛みを感じることがありました。

 

しびれは、半年経った現在も残っています。
回復には年単位かかることもあり、完治しない場合もあるとのことです。

 
 
 
  • 爪の変形・変色

→手足ともに、爪が二枚爪のようになり、
一部は剥がれることもありました。
ただし、剥がれても痛みはありませんでした。

また、爪の色は薄黒く変色しました。

 
 
  • アレルギー反応

→初回投与後から、両手の指に小さな水疱状のブツブツができ、その後皮むけが起こりました。

足の皮も同様にむける症状がありました。

保湿は必須です。

また、ボディソープや歯磨き粉がヒリヒリとしみるため、刺激の少ないものに変更しました。

 
 
 
  • 発熱(2回目投与後のみ)

→2回目の投与から4日後に発熱がありましたが、1日で解熱しました。
 

DHP療法でもAC療法と同様に、白血球の減少を抑えるためのジーラスタを毎回使用していましたが、発熱はこの1回のみでした。

 

 

 

そしてこの頃から、
「お洒落」への向き合い方にも、

少しずつ変化が生まれていきます。

 

 

次回は、抗がん剤治療の中で気づいた
「装いがくれた力」について書いてみたいと思います。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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「私、癌サバイバーらしいです」

生き方と装いで

自分を取り戻すまでの記録

 

として、実体験をもとに書いています。

 

 

はじめから読む方はこちら

 第1話下差し

 

 

 

 

3月も半分が過ぎて、

少しずつ春らしくなってきました。

 

昨年の今頃は、

 

ちょうど抗がん剤をスタートしたばかりで

春を感じる余裕なんて

正直ありませんでした。

 

 

前回の記事では、

乳がんのサブタイプなどの

 

詳しい検査結果と、

抗がん剤初回投与日の体調の変化について

書きました。

 

前回の記事はこちらから読めます。

下差し

 

 

 

 

2025年3月いよいよ抗がん剤治療が

スタートしました。

 

 

副作用については事前に説明もあり、

プリントもいただいていましたが、

 

吐き気止めや便秘薬、頓服などなど

たくさんの薬が事前に処方されて

 

どの薬が何なのか・・・あせる

 

薬剤師さんの説明を聞くだけでは

薬の容量など頭に入らず

 

「人生でこんなにたくさんの薬をもらったのは初めてだな」

 

と思いながら、薬の袋に一つづつに

重要な事はメモ書きをしました。

 

 

この時はこれほどの量の薬を処方された

現実に不安しかなかったです。不安

 

 

抗がん剤の投与前には

点滴で吐き気止めも入ります。

 

 

「やっぱり吐き気は避けられないのかな…」

 

 

テレビで見てきたような辛さが

待っているのではと

頭の中は良くない想像ばかりもやもや

 

 

そんな中、主治医の先生から

 

「今は吐き気止めの薬が

かなり良くなっていますよ」

 

と聞き、半信半疑でしたが

今さらジタバタしても仕方ない、

なるようにしかならない。

 

そう思うしかありませんでした。

 

 

初めての抗がん剤投与は

不安からのスタートでした。

 

 

 

 

抗がん剤(AC療法)4クールで感じた副作用(私の場合)

※副作用の出方には個人差があると

思いますが、私の場合です。

 

 

  • 吐き気

吐いてしまうほどではありません

でした。ただ常に胃が重だるい感じ

これも1週間ほどである程度

収まりました。

 

食欲は少し落ちる程度で、

食べられないほどでは

ありませんでした。

 

 

 

  • 便秘

2~3日出ない状態に

 

処方された薬で3日ほどで改善。

 

最初に処方された薬が合わず、

初回にかなり苦しい思いをしたので

2回目の投与から薬を変更してもらいました。

 

 

 

 

  • 味覚障害

水さえも美味しく感じられず、

口の中にずっと違和感

※炭酸水が飲みやすく

水分補給に常備していました。

 

食べ物の味が美味しく感じられない。甘味はわかるが塩味が曖昧。

料理を作ると濃い味になり過ぎるので

自炊は危険だと感じた。

 

 

 

 

 

  • 口の渇き

思っていた以上に強く、夜中に何度か水を飲むことも。

食事も水分が必須でパンやご飯などパサついて食べずらい。

 

うどんなど汁物が食べやすかったが

太麺は辛く、細麺やソーメンが

とても食べやすかった。

 

 

 

 

  • 倦怠感・眠気

日中も気づくと

寝てしまうような状態

 

これも1週間ほどで落ち着き、

その後は比較的元気に過ごせました。

 

 

 

 

  • 発熱(抗がん剤投与初回のみ)

投与10日後に発熱

 

白血球が下がり始めるのが投与後10日前後との事でその通りでした。

念のため病院で

インフル&コロナの検査。

感染症ではないことを確認し

副作用の白血球の減少によるものだろうとのことでした。

 

抗がん剤投与中は白血球が減少し感染症になりやすく重症化するリスクが高いらしく、注意が必要との事でした。

 

 

抗がん剤2回目以降は、

白血球の低下を防ぐために毎回

「ジーラスタ」という注射をする事に

 

おかげでその後は発熱する事は

ありませんでした。

 

 

 

「ジーラスタ」について

抗がん剤の翌日に病院で

ジーラスタの注射を

打ってもらっても良いのですが

私は翌日に自動で薬が入る仕組みの

ボディポッドを選択しました。

 

体調の悪い時に病院へ行く事なく

本当に助かりました。

取り外しも簡単でした。

 

 

ジーラスタの装着写真はこちら

左のチューブの先が

針になっていて下腹に刺してあります。

刺す時だけチクッとしますが装着最中は

痛みはありません。

装着は看護師さんにして頂きます。

 

 

 

そして、初回抗がん剤投与から約2週間後

いよいよ髪の毛が抜け始めました。

 

 

「とうとう来たなという感じでしたが、

 

 

これはある程度覚悟していました。

 

 

 

それよりも、

私は部屋中に髪の毛が散らばる方が

掃除が大変そうで嫌でした(笑)

 

 

抜け始めたタイミングで新聞紙を敷いて、

軽く触って抜けるものは自分で取りました。

 

無理に引っ張ったわけではありません。

触るだけでボロボロと驚くほど簡単に抜けてしまいます。笑い泣き

 

 

結果、2日ほどでほとんど

抜けきりました。

 

抜けきると言ってもツルピカに綺麗に抜ける訳ではなく

抜けない毛があちらこちらに微妙に残っていました。

 

そのせいで見た目はとてもみすぼらしく、

より病人感が増して見える。泣

 

バリカンで綺麗に坊主にする手段も

選択肢にあったのですが

 

なぜだか残った少しの髪の毛が

とても愛おしくて…笑

 

 

残ってくれた貴重な髪の毛は

大切にそのままにしておく事にしました。

 

 

抜けきるまでは常にヘアキャップをかぶり

部屋に髪の毛が散乱することなく

掃除の心配は一件落着ですOK

 

 

副作用の抜け毛は、髪だけでなく全身の毛が抜けます。

眉毛やまつ毛もなくなります泣

 

髪が一番早く抜け、眉毛まつげは

3クールが終わる頃だったと思います。

 

 

髪の毛と眉毛が無くなり

驚くほど人相が変わりました。ガーンガーン

 

 

一気に病人に見えます。

ほんとに鏡を見るのが辛かった。ショボーン

 

 

 

それでも私は出かける時には

 

スカーフウィッグをつけてハットキャップ

 

 

メイクをして口紅付けまつげ唇アイシャドウ

 

 

好きな服を着るエプロンハイヒールドレスデニムスカートTシャツ

 

 

 

それだけで、

気持ちが少し上がるのを感じましたアップドキドキ

 

 

今は本当に便利な時代です。

 

・ウィッグ

・眉毛シート

・つけまつげ

 

などなど、外出しなくても

ネットで揃います。

 

こういった小物を駆使すれば

治療前と変わらない

髪も眉毛もまつ毛もある

自分に戻れます。

 

体調さえ良ければ、

容姿を気にせずに外出もできる。おねがい

 

 

家にこもっていると、

どんどん自分らしさを失っていくようで

 

 

社会から置いていかれるような、

そんな不安もありました。

 

 

でも、

 

鏡の中に

少しだけ笑顔の自分が見えたとき乙女のトキメキ

 

思いましたひらめき電球ひらめき

 

 

お洒落は、

 

誰かに見せるためのものではなくて

 

「自分を労わるためのもの」
なんだと

 

 

私にとって“装い”は、

ただの見た目ではなくて

 

心を少しだけ前に向けてくれるもの。

 

 

病気になってから、

笑顔が減っていたかもしれません。

 

 

 

だからこそ今は、

無理をするのではなく

自分を大切にするために

笑顔になれることを選びたい。

 

 

 

そんな気持ちが、

この頃から少しずつ強くなっていきました。

 

 

 

この頃はまだ、

「見た目を整えれば気持ちも整う」

そう思えていた時期でした。

 

 

 

でもこのあと、もう一歩深く

「自分と向き合う出来事」

が待っていました。

 

 

その話は、また次回に。

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。