私「癌サバイバー」
と言われる人らしいです。
乳癌の告知からちょうど1年が
過ぎました。
治療の目途が立った事で
癌告知から治療についての
記録を残したいと
思うようになりました。
しばらくの間、スタイリストとしての
内容から離れますが
ご理解頂ければ幸いですm(__)m
癌と診断された日から治療までの
詳細な事実と、私のありのままの想い
心の揺れ動きの中で「自分らしく生きる」
を選び続けた記録です。
興味のない方はスルーをしてくださいね。
なぜ私がこの場で癌についてを
書こうと思ったか
詳細は前回の記事に書いています。
よろしければご覧ください![]()
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始まりは、本当にいつもの何気ない
日常の一コマでした。
お風呂でいつも通りに身体を洗っていた時、
タオル越しに左胸に触れて
「あれ?」![]()
思わず手が止まりました。
鏡で両胸を比べて見ても分からない。
触らなければ気づかないくらいの
しこりでした。
素手でもないのに、なぜ気づいたのか・・・
昨日も同じように洗っていたはず
偶然だったのか。導かれたのか
今でも不思議です。
すぐにネット検索しました。
「乳癌」![]()
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でも、情報が多すぎて・・・
知らない言葉も多くて
素人の私には何も判断できない。
「乳癌は乳腺外科へ」
その情報だけを頼りにその夜のうちに
3日後に近所のクリニックへWEB予約をしました。
私は、気になると放置できないタイプです。
そして、悪い想像で自分を追い込むのも嫌だった。
だからこの時点では誰にも言っていません。
まだ“何でもない可能性”もあったから。
いや、きっとそう思いたかったのでしょう。
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診察当日。
近所の乳腺外科まで歩いて10分。
内科がメインの小さな町のお医者さんです。
触診のあとエコー検査。
先生はモニターを見ながら、
あっさりとこう言いました。
「左胸。これですね。
左脇にも気になるものがあります。
悪性の可能性があるので
明日マンモグラフィをしましょう。」
……え?
なんて?
どういうこと?
今、私は何を言われたの?
悪性って?癌なの?
これって告知???
頭の中で何度も問い直しました。
と同時に私は、
「明日は仕事があるので、
来週でもいいですか?」
と、言っていました。
すると先生はきっぱりと、
「仕事と身体、どちらが大切ですか」
その一言で、状況の重さを悟りました。
身体が、ぞくっと震えました。
私、癌かもしれないんだ・・・
ここから頭の中は癌の事でいっぱいです。
ついついネットで無駄に検索していました。
でも、まだわからないし・・・
と自分に言い聞かせながら
押し寄せようとしている不安を
取り除いていました。
翌日のマンモグラフィで、
はっきりしました。
「癌」でした。
しかもリンパにも転移していて
初期ではない状況だと
はっきり言われました。
今思うとこれが俗に言う
「告知」だったと思う。
想像していたのとは違って
とてもカジュアルにサラッと言われた。
その言葉はBGMのように
流れて来たような感覚だった
まだ全く呑み込めていなかったです。
でも心臓は今までに経験した事がないほど
早く打っているのに、
不思議なくらい頭の中は冷静でした。
昨日の段階で、無意識ですが
覚悟してのかもしれません。
取り乱すでもなく、泣く事もなく。
ただ、事実を処理している自分がいました。
この時まだ現実として受け止められて
いなかったのだと思います。
そこからは「感情」より「段取り」でした。
仕事はどうする?
娘の産後の手伝いは?
保険は?
病院はどこにする?
などなど、頭の中は大渋滞。
大きな病院は一カ月待ち。
乳腺外科医は足りないというのが
現実だそうです。
病院選びという難問。
それでも時間は待ってくれない。
この時間も
癌は進行しているのではないのだろうか?
という焦りもなくはなかった。
渋滞中の頭の中、一番最初にした事は
家族(子供たち)への連絡でした。
クリニックを出て目の前の広場で
電話をかけました。
まず息子へコール![]()
どうせ出ないだろうなぁ・・・
と思っていたのですが、
この日はめずらしくすぐ出た!
私は驚くほど冷静に伝えられました。
息子も静かに
「わかりました。また連絡して」とだけ。
次は娘
でも娘にはすぐには連絡できませんでした。
なぜなら・・・
この時娘は臨月。
まもなく二人目の出産を控えていました。
余計な心配はかけたくない
産まれるまで黙っておこうか・・・
とも考えた。
でも私が産後の手伝いに行けない
可能性もある。
すぐに伝えようと思った。
その日の夕方、娘からビデオ電話が
かかってきました。
孫の顔を見せてくれる為に娘からは
ビデオ電話が通常です。
そのタイミングで伝えました。
言葉は冷静だったと思います。
いつも通りにふるまったつもりだったけれど
実際の顔はどうだっただろうか・・・
娘の目に映った私は、
いつもと違っていたかもしれません。
通話は、いつもよりずっと短い時間で
終わりました。
私の母は60代で癌で亡くなっています。
だから、どこかで
「自分もいつか癌になるのかもしれない」
と漠然と思っていました。
でも、いざ告げられると
他人事のようで感情が追いつかない。
悲しみも、恐怖も、まだ来ない。
人生で初めて「死」を意識する
病気になったのに。
気持ちだけが置いていかれたような
そんな感覚でした。
あの日の私は、
泣くでもなく、叫ぶでもなく、
ただ、現実を仕事のように
処理していました。
たぶんそれは、
心が自分を守るための
最初の防御だったのだと思います。
次回は、
「病院選び」という
大きな決断について書きます。
限られた時間の中で、
何を基準に選んだのか。
そして置いてけぼりだった感情が、
少しずつ動き始めた時の事にも
触れていきますね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。







