受験シーズンが始まっている。これまで頑張ってこられたみなさんに合格してほしい。


 高校受験でも大学受験でも、精一杯頑張った努力が報われるように、最後は神さま仏さまにお願いする。体調を崩さないように、得意な分野が試験に出るように、割り切れない部分を、神さま仏さまにお願いする。今も昔も、人はそうしてきた。


 外国に行くと、「宗教は何ですか?」と聞かれる。


 日本人は、神さま仏さまによくお願い事をするが、信仰心はほとんどない。

 外国では、ノーベル賞受賞者でも、「受賞できたのは神の思し召しだから。」と、神に感謝しながら賞をいただく。出会いも結婚も、その人と会えたのは、神の思し召し。人との出会いでもそのような考え方をする。宗教的な教えか、信仰心のなせる技かと思う。


 ある敬虔なクリスチャンで、末期がんに冒された方の病床にお見舞いしたことがある。

今まで生きてこられたのは神の思し召し。神に召されて行くのだから、みなさんはお元気で。」


 信仰の深い方は、この世の務めを終える時、そのように信じて、あの世に召されていく。


 それにつけても、日本の政治は何だろう?

 新聞、テレビを賑わせているのは政局の話ばかり。それは、国民の思し召しではない。


 国民は、「もっと早く、混乱しないで、国家の発展に尽くしてほしい、国民生活を守ってほしい。ああ、神さま仏さま。」、そう思っているのではないか。

 この国の政治家はどうなっているのだろう。そう思うこの頃だ。