あと5年、10年で別珍がなくなる⁉️ | 〈受注制作〉ざふ屋(坐蒲は坐禅、瞑想、ヨガなどに使うお座布団)

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自然と安定する楽な坐蒲。
坐った時滑りにくい坐蒲。
自分に合うものがなくて手作りしたことがきっかけ。
主に坐蒲や坐禅、密教に興味を持つ息子、大好きな温泉、旅行、蕎麦などなどの記録です。

今回は、坐蒲の要である別珍の将来の話。
坐蒲を作る私の人生の挫折話です笑


あと5年もしくは10年で別珍(ビロード)がなくなるかも。



昨日の夜、別珍生産者と連携の深い方との電話。

電話のお相手は、Terasun坐蒲の別珍の仕入れ先。


発端は、私から質問攻めメールを送信。笑

坐蒲をより良いものに、使いやすいものに、と試行錯誤しているうちに。


・生地の摩擦

・生地の向きごとの耐久性


これら疑問がクリアしたかった。


先方からしたら

『とてもお困りのようだったから』とわざわざお電話くださった照れキラキラ



あれよあれよと、意気投合。

良いものを届けたい想い、が同じ。


だんだんヒートアップチュー

話題は、私たちの別珍(ビロード)について。



『あと5年もしくは10年で別珍(ビロード)がなくなるかも。』


あくまで推測らしいが、以下の理由がある。



1.製造に使われる織り機が今は生産されていないチーン


2.壊れたら部品を作るとこからスタート…コスト滝汗


3.生産者が高齢化、後継者問題ゲッソリ


4.別珍は需要が少ないゲロー




これは大問題じゃないですか。

恥ずかしながら、知らなかったー。


生産者と近い距離で深く信頼し合ってお取引されてらっしゃるのが非常に分かる話だった。



弱小な私も

『何か出来ることないですか?』

ってついつい言ってしまうぐらい。

⬆︎ホントに言った笑笑い泣き



私になにができる?


売り上げの一部をストックしていってある程度貯まったら喜捨するか?



いやいや、待て待て、そんなちっぽけな問題ではないショボーン

そんなんで解決できたら、誰かがもうやってるに違いない。


なんとかできる方法はないか…❓


先方と話していても、どうすることもできなかった。



どうしてこんなに救いたいのか?

坐蒲を作れなくなる、これもたしかに。

しかし、ここは私の挫折物語が関係している。


この除雪も挫折気味。笑



私は、石川県の伝統工芸である加賀友禅の伝統工芸師になるのが夢だった。

中学生の頃母と体験した加賀友禅彩色。

正方形の小さな絹生地に、紫陽花の下絵が描かれている。

これに自分が思う好きな色を自由に色付けていくもの。

⬆︎加賀友禅の彩色。


⬆︎これは型染。加賀伝統工芸村 ゆのくにの森

こっちの型染の方が馴染みあるのかなぁ。



この体験で加賀友禅が好きになり、金沢市白山市などの数々の友禅工房に見学に行った。


将来は加賀友禅を受け継ぐ伝統工芸師になると決意したのは中学3年生の夏だった。


加賀友禅が学べる高校が唯一ある石川県。

日本で最も古い歴史のある工業高校。

そこに入るべく猛勉強。👈これ、絵の猛勉強🖼。


絵なんて本気で描いたことない。

毎日、放課後美術室で鉛筆デッサン。

牛乳パックから始まり、丸い球体、ガラスビン、空き缶、ティッシュペーパー…


鉛筆一本の、濃淡で描くのが難しくて難しくて。

文字や写真入りの空き缶の日は、最悪滝汗

何時間かかってもオワラーン笑い泣き



陸上部だったけど、部活も早々に引退して美術室に引きこもっていた。


その甲斐あって❓高校へは、奇跡的に推薦入試で合格。

推薦入試⁉️そう、絵の。

絵(血の滲むような鉛筆デッサン)描いて、作文書いて終わり。


入試当日、周りの人の絵が上手いこと上手いこと。

ドン引き。びっくり


私は個性的な絵が得意❓だったから笑


そんなんなのに、合格したなんてホント奇跡。

今思えば、絵は下手だったけど陸上で真面目な方だったからそこが評価されたんだと思う笑笑い泣き

内申点?とかあったんかなー。



そこから三年間。

卒業製作で、一着の加賀友禅の浴衣(先生や友達の手を借りて、ギリギリホントギリギリで完成させるくらいの大作)作り上げるまで。


私の夢は途切れることなく、伝統工芸師になるために、毎日励んでいた。


卒業後は金沢市の、とある染色工房に入る予定だったが。


直前だったよ。

『来てくれるのはありがたいが、バイト代も払えない』


そう言われたのが、高校卒業する年の明けた頃。


当時、就職氷河期🦣

あらゆる企業からの募集人数が少ない。

なかでも、特に、伝統工芸は…汗汗汗



『バイト代なんていらない、それでも行く』

と両親と祖父母を説得した。


祖父はとても真面目な人。

将来は公務員になりなさい、と言う人。

安定、真面目、誠実、継続が合言葉。

バイト代も払えない将来性のない職業、と思われたのかもしれない。


そんな祖父が、許してくれる訳なくて。


お金なら出してあげるから、進学しなさい。と言われた。



私は挫折って言葉をこの時は知らなかったけど、今思えばこの時に味わった感覚は挫折に近いものがあったと思う。



別珍の話に戻る。

そう、伝統を途切れさせる訳にはいかない。


きっと、私が実現できなかった悔しさと、重ねているのかもしれない。





わたしができること。

それは、別珍の良さを伝えていくこと。


坐蒲を作っているからこそ、出会う方がいて。

その方に、別珍っていいなぁと心から思ってもらえるような坐蒲を届けること。



これに尽きる。


そう思って、、、


ショップカードを一新しました。


坐蒲の要である別珍に、少しでも興味をもってくれる方が増えてくださいますよう照れ



Terasunも、別珍さんを、支えられるよう精進いたしますお願い



別珍の将来の話と私の挫折話でしたおいで照れ


今日も、一日楽しもう❗️っと